4年ぶりに訪れた上海
■上海でのスナップ写真
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 160】
「4年ぶりに訪れた上海」
先週、傘下の代理店を伴って、4年ぶりの上海観光を楽しんだ。
空港から乗ったリニアモーターカー。最高速度は430キロ、わずか8分の乗車時間だったが、期待したほどスピード感はなかった。
蘇州へ向かう高速道路は片側四車線。車の量も多く、ロサンゼルス郊外を走っているような錯覚に陥る…。朝夕は、出勤・ 帰宅の自家用車の列で延々の渋滞。車窓から見える景色。オレンジ瓦に白い外壁のモダンな二階建住宅が遠望できる。4年前に見た、 みすぼらしく粗末な街並みは、完全に姿を消していた。
北京オリンピックを直前に、景観整備に力を入れているのでしょう。高速道路に沿って巾約100メートル、
古くて見苦しい民家や農家は全て強制立ち退き。その跡地を植林し、公園に整備していた。
何十棟もの高層マンションを一気に建築していた、4年前の建築ラッシュは、もうない。高速道路に沿った民家は、
そういったマンションに移転させられたのでしょう…。
正月に訪れたフイリピン・セブ島は、トヨタやニッサンなどの日本車が8割だった。一方の上海は、
日本車は十台に一台くらいしか見かけなかった。
4年前、公用車やポンコツ中古ワーゲンのタクシーくらいしか走っていなかった上海。朝の出勤時は、
自転車とバイクがイナゴの来襲のように、道路を埋め尽くしていた。
今は、カローラクラスの真新しいセダンやワンボックスカーが縦横に走る。庶民が自家用車を持つ時代になったのです。日本でいえば、
約30年前の昭和60年初頭の頃でしょうか…。
けたたましく警笛を鳴らし、すき間があればどんどん割り込んでくる。車優先の、乗っている私たちが恐怖に駆られる乱暴な運転。
歩行者もまた、信号が赤だろうが、車の間を縫って道路を横断してくる。交わす会話はかん高く、街全体がセカセカと、
ヒステリックに見える。。
バスが観光地に着くや、貧しい身なりの物売りや、空き缶を持った乞食が降り口に群がり寄る。断っても、無視しても、
しつこく食い下がってくる。
4年前に比べ、乞食の数がやたらと多くなったのが気にかかる。
政府が、高速沿いの美化に力を注ぎ、イメージアップに努めても、こう乞食が多くては、中国の恥部は隠しきれないと思う。
人口1800万の大都会。排気ガスが太陽光線をさえぎり、330メートルの東方明真珠塔展望台から見下ろす上海の街はモヤに霞み、
遠望がきかない。代理店の中には、喉の痛みを訴える者も出た。
蘇州で遊覧船に乗ったが、川からドブの臭いが上ってくる。下水整備が不十分なのでしょう。
4年前に比べ、すべての面で庶民の生活レベルが上ってきているのが分る。
当時、街を歩く若い女性は、化粧なし、ヘアーは黒のストレート、ハンドバックを持つ人はなく、ミニスカートにストッキング姿は、
外資系企業に勤める女性くらいだった。
今回訪れて、女性の多くが装い、美しく髪を整え、化粧していたのは、嬉しいかぎりです。
三日目の自由行動のとき、二十歳過ぎの日本語のわかる女性を、日当350元でくどき落し、道案内役と通訳を兼ね、連れ歩いた。
中華料理に飽きた最終日の夜は、観光客がめったに訪れない下町の、しゃぶしゃぶの店で食事をした。近所に目をやると、 太郎という名と、田村という名の大きな日本食のお店があった。店に入ると、従業員が皆日本式におじぎして、「いらっしゃいませ~」と、 お愛想がいい。何れも寿司カウンターがあった。日本食のお店が、上海の下町にも見られるようになったのです。
只、"官営"の観光施設で働く従業員は、お客様に笑顔を振りまくことをしない。何をすれば、お客様に喜んでいただけるか… 分っていないようです。