■フイリピン・セブ島でのスナップ
↑ 斜め前から ↑ 正面から
お魚(イザリウオ)が潜んでいるのが分りますか?
滅多にお目にかかれない、約30センチの大物です。
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 156】
「フイリピン・セブ島にて…」
正月休み、フイリピン諸島中央部のレジャースポット、セブ島でバカンスを楽しんだ。出発日の29日、金沢は雪だった。 関空から5時間で、常夏の国セブ国際空港に降り立った。スキューバダイビングのメッカである。
フイリピン第二の都市(人口60万)セブ・マクタン島。私たちのホテルはヒルトンに隣接し、セブでは三本の指に入る、ゴルフ場、 ビーチ、ヨットハバーが付属する「シャングリラ・マクタンLR」。ホテルに着くと、アメリカや日本の観光客でいっぱい。
ホテルで取る朝食・夕食の楽しみは、何と言ってもバイキング。品数は、東京の五つ星ホテルのゆうに3倍はあろうか…。 日本食の種類も多く、寿司コーナー、うどん・ソバコーナー、沢庵・キュウリの漬物など。味噌汁も何種類か用意されていた。
着いたその日から街へ繰り出し、レストランで夕食。タイ料理、韓国料理、イタリア料理など、本場の味が楽しめる。
驚きは日本料理店。みんな思い思いに注文したが、故郷の居酒屋のよう…。最後に注文したカレーウドン、うどんダシの味付けが良く、
大うけだった。毎夕食が楽しみで、グルメツアーのよう…。
31日夜は、ホテルのプールサイド広場で、「カウントダウン・パーティ」。
飲んで・食べて・ディスコを踊って…。11時59分、舞台の上のミュージシャンの掛け声に合わせ、19、18、17…スリー、ツー、
ワン、「ハッピーニューイヤー」。
と同時に、夜空に花火がバンバン上る。アメリカ人は隣の人と抱擁し、新年を祝っていた。
ところで、フイリピンと言えは、古代から伝わる「ヒーリング・マッサージ」が観光の目玉。観光客が集まるところには、
しやれたマッサージ店が人目を引く。
セブ島の住民はほとんどキリスト教徒。フイリピンで、アジア首脳会議が開かれることと、フセイン処刑直後ということで、
警備は厳重を極める。
一般道からホテルへの入り口は、屈強な警備員が犬を従え、ホテルに入る人や車、積荷をチェック。
ミラーで車体の下までくまなくチェックする。
韓国ドラマ「オールイン・運命の愛」の、アメリカン・マフィアの別荘警備シーンのよう…。数百メートル入ったホテルの玄関前は、
手荷物チェックを受ける人の列。
1月2日の夕方は、セブ市最大のショッピンクセンターへ。入り口道路は渋滞、人で溢れかえっている。ショッピングセンター出入り口でも、
手荷物と身体チェックを受けた。
通貨はペソ。400ペソは日本で約千円(1:2.5)。お腹いっぱい飲んで食べて大体550ペソ。日本で3千円はするTシャツが、
500ペソで買える。
デパートや専門店は、品質も良く安心だ。台湾やマレーシアのように、店員の売り込みもなく、買う時の駆け引きも不要だった。
問題はタクシー。相手が日本人と見れば吹っかけてくる。
メーター上では170ペソ程度なのに、一緒に行った若い女性、ホテルに着いたら500ペソ寄こせと、降ろしてくれない。
先に着いた私たちの仲間が交渉して、ねばる運転手を説得。350ペソで何とか話をつけた。理屈が奮っている。帰りは空車になるから、
往復運賃を寄こせと言う。メータの付いていないタクシーには絶対乗らないこと。乗る前に運賃交渉することでしょう。
運転が乱暴なのは東南アジア共通。すき間を見つければ、前の車の左でも、右でも構わずに追い越す。信号は市の中心部にあるだけ。
人よりも車が優先する社会だ。
貧しい人が多く、道路沿いに目をやると、三畳一間くらい、トタンで囲っただけの、豚小屋のような粗末な家が並んで見える。
市営バスは見当たらず、庶民の足は、軽トラックに屋根を乗せた乗り物。
10人くらい乗れる。街を走る車の半分はこの軽トラ。50メートルに一台くらい走っていて、やたらと多い。
一人乗りの自転車輪タクから商売を始めて、お金が貯まると、二人乗りサイドカー付バイクへ。それでしっかり稼いで、
乗り合い軽トラックを手に入れるのが夢という。
いつも思うことだが、東南アジアを観光する日本人の姿を、現地人はどんな目で見つめているのだろうか?