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2007年01月 アーカイブ

2007年01月05日

落語・松竹梅

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 155】
~ことば遊び~
「落語・松竹梅」

正月最初のメルマガは、「ガマの油売り」「おそろしく長い口上」「寿限無」など、落語ネタを題材にしてきました。
今年は「松竹梅」という、名前だけ?めでたい、落語のさわりを一席…。

♪長屋に、松太郎、竹吉、梅三郎なんてのがいたら、これはこれでめでてェんですが、彼らすべて器用でないのは、 しょうがねェところでして…
松さんが大家さんのところに、ある相談に行きやしてな…。

「大家さん…。あの、実はですね…。明日、うちの町内の自治会長さんとこの息子さんが結婚することになったんですがね…、 急に仲人夫婦の都合が悪くなりまして…それで突然、大役がうちらに回ってきましてね…。
大家さん、それで…、相談に乗っていただきたくて…」

『ほう、そうかい。松さん、それは大変だねェ』

「で、うちの長屋の竹吉、梅三郎も一緒に大役を仰せつかったんですけどね、この3人で何か出来ることはないかと、 話し合ったんですが…、今の今まで、あ~でもない、こ~でもないと、結論が出ないまんまでして…。
結婚式は明日なんで、いよいよ弱っちまって…。
で、大家さんは物を知ってるから、何かの足しになるだろうから、ご伝授いただいたらどうだろう…ってわけで、 あっしが代表で来たわけなんですが…」

『松さん、そうかい、それはありがたいねェ…。そういえば、あなた方は3人合わせるとちょうど"松竹梅"になって縁起がいい…。
じゃ、どうだろう、これは簡単だよ、そして縁起がいい…。
すぐに覚えられるよ。その面白いご祝儀を授けましょうか』

「すぐに覚えられる? そいつはありがたい…」

『これは、お開きの前にやっていただきたい…。いいご祝儀で、パッと盛り上がってお開きとなると、 あなた達の印象もグッと良くなるでしょう』 

『まず松さん、あなたが、「え~、最後にご祝儀を行います」と言ってから、
「なったなった蛇(じゃ)になった…当家の婿殿、蛇になった」 って、 あなたが先導を切って言うんですよ! めでたい席の最後の最後に、 「蛇なつた」 だなんて、なんて嫌なことを…って、皆さんが思うでしょう?』

『で、次に竹さんが、 「何蛇(なにじゃ)にな~られた?」 って、すかさず聞くんです。 で、ここが一番大切なんですよ。

最後に梅さんが、 「長者にな~られた…」って 言えば、どうです? 
皆さんは感心するでしょう。松さん達に大役を果たしてもらってよかった、今後もお願いしたい…って、信頼もつくってもんですよ』

「そうですか…? 早速、帰って練習します。大家さん、どうもありがとうございました」てんで…、明日の結婚式に備えて、 泊り込みで練習を始めた。
念には念を入れて… ってなわけで、とにかく3人は、何度も何度も繰り返し練習して…もう、寝言に 出るほど練習した…。

お後の噺は…12日金曜日につづく

2007年01月09日

フイリピン・セブ島にて

■フイリピン・セブ島でのスナップ


   ↑ 斜め前から                 ↑ 正面から

  お魚(イザリウオ)が潜んでいるのが分りますか? 
  滅多にお目にかかれない、約30センチの大物です。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 156】
「フイリピン・セブ島にて…」

正月休み、フイリピン諸島中央部のレジャースポット、セブ島でバカンスを楽しんだ。出発日の29日、金沢は雪だった。 関空から5時間で、常夏の国セブ国際空港に降り立った。スキューバダイビングのメッカである。

フイリピン第二の都市(人口60万)セブ・マクタン島。私たちのホテルはヒルトンに隣接し、セブでは三本の指に入る、ゴルフ場、 ビーチ、ヨットハバーが付属する「シャングリラ・マクタンLR」。ホテルに着くと、アメリカや日本の観光客でいっぱい。

ホテルで取る朝食・夕食の楽しみは、何と言ってもバイキング。品数は、東京の五つ星ホテルのゆうに3倍はあろうか…。 日本食の種類も多く、寿司コーナー、うどん・ソバコーナー、沢庵・キュウリの漬物など。味噌汁も何種類か用意されていた。

着いたその日から街へ繰り出し、レストランで夕食。タイ料理、韓国料理、イタリア料理など、本場の味が楽しめる。 驚きは日本料理店。みんな思い思いに注文したが、故郷の居酒屋のよう…。最後に注文したカレーウドン、うどんダシの味付けが良く、 大うけだった。毎夕食が楽しみで、グルメツアーのよう…。
31日夜は、ホテルのプールサイド広場で、「カウントダウン・パーティ」。
飲んで・食べて・ディスコを踊って…。11時59分、舞台の上のミュージシャンの掛け声に合わせ、19、18、17…スリー、ツー、 ワン、「ハッピーニューイヤー」。
と同時に、夜空に花火がバンバン上る。アメリカ人は隣の人と抱擁し、新年を祝っていた。
ところで、フイリピンと言えは、古代から伝わる「ヒーリング・マッサージ」が観光の目玉。観光客が集まるところには、 しやれたマッサージ店が人目を引く。

セブ島の住民はほとんどキリスト教徒。フイリピンで、アジア首脳会議が開かれることと、フセイン処刑直後ということで、 警備は厳重を極める。
一般道からホテルへの入り口は、屈強な警備員が犬を従え、ホテルに入る人や車、積荷をチェック。 ミラーで車体の下までくまなくチェックする。

韓国ドラマ「オールイン・運命の愛」の、アメリカン・マフィアの別荘警備シーンのよう…。数百メートル入ったホテルの玄関前は、 手荷物チェックを受ける人の列。
1月2日の夕方は、セブ市最大のショッピンクセンターへ。入り口道路は渋滞、人で溢れかえっている。ショッピングセンター出入り口でも、 手荷物と身体チェックを受けた。

通貨はペソ。400ペソは日本で約千円(1:2.5)。お腹いっぱい飲んで食べて大体550ペソ。日本で3千円はするTシャツが、 500ペソで買える。
デパートや専門店は、品質も良く安心だ。台湾やマレーシアのように、店員の売り込みもなく、買う時の駆け引きも不要だった。

問題はタクシー。相手が日本人と見れば吹っかけてくる。
メーター上では170ペソ程度なのに、一緒に行った若い女性、ホテルに着いたら500ペソ寄こせと、降ろしてくれない。
先に着いた私たちの仲間が交渉して、ねばる運転手を説得。350ペソで何とか話をつけた。理屈が奮っている。帰りは空車になるから、 往復運賃を寄こせと言う。メータの付いていないタクシーには絶対乗らないこと。乗る前に運賃交渉することでしょう。

運転が乱暴なのは東南アジア共通。すき間を見つければ、前の車の左でも、右でも構わずに追い越す。信号は市の中心部にあるだけ。 人よりも車が優先する社会だ。
貧しい人が多く、道路沿いに目をやると、三畳一間くらい、トタンで囲っただけの、豚小屋のような粗末な家が並んで見える。

市営バスは見当たらず、庶民の足は、軽トラックに屋根を乗せた乗り物。
10人くらい乗れる。街を走る車の半分はこの軽トラ。50メートルに一台くらい走っていて、やたらと多い。

一人乗りの自転車輪タクから商売を始めて、お金が貯まると、二人乗りサイドカー付バイクへ。それでしっかり稼いで、 乗り合い軽トラックを手に入れるのが夢という。
いつも思うことだが、東南アジアを観光する日本人の姿を、現地人はどんな目で見つめているのだろうか?

2007年01月12日

落語・松竹梅/つづき

■ことば遊び 小話「文鳥」

お城へ出入りの商人が、隣国中国の文鳥を手に入れました。全部で6羽。
大変珍しいので、お殿様に献上することになりました。ところがお殿様、とても縁起をかつぐお方。めでたい数でないと、お喜びになられません。

「まずいな。七・五・三のどれかでないと、まずい…」。いくら数えても、6羽しかいません。商人は思案の末、「ええ、ままよ!」と、 日本の文鳥を一羽まぜ、七羽にして殿様に献上しました。

「おお、これは珍しい」。殿様は大変ごきげんで、一羽一羽大変な可愛がりよう。
数週間後に呼び出され、「はて、中国の文鳥と申しながら、日本の文鳥が混じっておるぞ。どうしたことじゃ…」。商人は返事ができず、 震えておりました。

すると、日本の文鳥が小さな口を開けて申しました。
「お殿様、私は通訳にございます…」


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 157】
~ことば遊び~
「落語・松竹梅/つづき」

毎年正月は、おめでたい噺を取り上げている。今年は「松竹梅」という、名前だけめでたい?落語のさわりを一席。今日は、 その続きです。

♪ …で、明日の結婚式に備えて、泊り込みで練習を始めた。
念には念を入れて…ってなわけで、とにかく3人は、何度も何度も繰り返し練習して…もう、寝言に出るほど練習した。  烏カァで夜が明けて…

「本日はお日柄もよく、皆様お集まりいただき、誠にありがとうございました」
当たり障りのない祝辞のほうは、松さんの力で、なんとか無事に終わりやして…
式次第もつつがなく、行なわれたまではいいんですがな…。

ところが梅三郎、ものすごい上がり症でしてな。これがただの上がり症じゃねェ… 
さんざん練習したというのに、本番になると、パンとセリフがわかんなくなってしまいやして…。
どうしよう、どうしようと考えれば考えるほど、ドッポにはまるんですな…。
それでも、ご祝儀の時間は刻々と迫って来やすから、ますます錯乱状態に陥りやして…。

松「え~、最後にご祝儀を行います。なったなった蛇になった…当家の婿殿、
   蛇になった」 
竹「何蛇にな~られた?」 
梅「大蛇にな~られた」
松太郎、耳打ちして、「おいおい…、そうじゃないでしょう…」
梅「あッ 間違えてたか…あ~あ~、間違えてた…もう一回やってくれ…」

松「では、もう一度…。なったなった蛇になった…当家の婿殿、蛇になった」
竹「何蛇にな~られた?」 
梅「亡者にな~られた…?」

もう収拾がつきませんな…。これ以上やったらどんな悪いことになるか、ってェんで、松も竹吉も「…はい、ここでお開きで~す」 って、言わざるを得なくなりやして…。言うか言わないうちに、身支度を整えるのもそこそこに、そそくさと、2人は帰ってしまいやした。

こうして、最悪のところでお開きになってしまったんですが、式も終わっているのに、気づかない梅三郎。ブツブツと続けやす…。
「え? これで違うのか?…待てよ…なったなった蛇になった…当家の婿殿、蛇になった…だろ?…で、何蛇にな~られた?… 炊飯ジャーにな~られた…なんか違うな…」

最初のうちは、こんなのはまだ奥ゆかしかったのですが…。
「あれ? 変だな…なったなった蛇になった…当家の婿殿、蛇になった…
何蛇にな~られた?…カルト教の信者にな~られた…
あれ? これもおかしいなァ」

「あ、わかった! なったなった蛇になった…当家の婿殿、蛇になった…
何蛇にな~られた?…重傷患者にな~られた…? 
これじゃ来られなくなった仲人と同じようなものだし…」

式が終わったというのに、独り言をブツブツ言ってやして、
こんなこと、式の最中に言ってたら、それこそ袋叩きに合いかねませんですな。
「なったなった蛇になった…当家の婿殿、蛇になった… 何蛇にな~られた?…
長者にな~られた…」

やっとのことで正解が出た頃には、あたりはもう真っ暗で…」
「え? 誰も聞いていないの?」と、そこへやって来た警備員さんが一言、
「あの…もう、式場、閉めたいんだけど…」

2007年01月16日

好きな自分を生きる

■日本精神
戦前、日本の統治国となり、日本の教育を受けた台湾に、日本人が失ってしまった「日本精神」が、60年を経た今も息づいているという。
ところが、戦後の日本人は、日本人であることの「自信」と「誇り」を失ってしまったと、言われるようになった。

台湾には、日本人が学ぶべき「正しい日本史」が残っていて、日本統治時代を正しく評価する、歴史観教育が行われているという。
台湾人と台湾の中に、日本人の本当の姿を見つけることができるのです。

台湾に巨大ダムを建築し、今も台湾で尊敬と敬愛の念を持たれている、我が故郷金沢出身の"八田與一"土木技師は、「日本精神」 を代表する人物として、台湾の人たちに語り継がれている。その日本精神は、以下の四つの規範で言い表わされる。
(1) 嘘をつかない          (2) 不正をしない 
(3) 全力をつくす           (4) 失敗を人のせいにしない

11/30 北国新聞「時鐘」


【心と体の健康情報 - 276】
~幸せな人生を歩むために~
「好きな自分を生きる」

友人から、ざ・ぼんぢわーく工房/第31集「自分を大好きになりませんか」と題した本をプレゼントされ、読んだ。
第31集を書いた下地規子さんは、沖縄で「ネットワークこころの会」を主宰している。以下、下地規子さんの「自分を好きになりませんか」 からの抜粋です。

「自分を大好きになりませんか…」
だって、せっかく生きてきた人生、自分が好きでないと楽しくないですよね…。だから、 「自分を大好きになって生きる人生、楽しい人生を送りましょうよ…」

ところが、無理して嫌いな自分を生きている人がどれほど多いことか。楽しい人生を送るためには、 「どんな自分が好きか?」を考え、好きな自分を生きるようにすればいいんです。簡単なんです。

好きな自分を生きることを選択をすればいいだけです。嫌いな自分が分ったら、「あっ、 こういう生き方をする自分が嫌なんだ…」
嫌いな自分が分れば、もう簡単じゃないですか。
その反対のことをすればいい…。

ねえ、怒る自分が嫌いだったら、笑う自分になればいいでしょ。
嘘をつく自分が嫌いだったら、正直な自分になればいいじゃないですか。
そうなるのは、他人でなくて自分なんです。自分が自分を決めればいいだけの話。こんな簡単なことに、 みんな苦しんでいたんです。

そこで「選択する」ことから始めます。
「何をするの?どうするの?やるの?やらないの?」
常に問い続けていく。その時に「やりたくない」という答えもすべて"肯定的"に受け止めます。「わかった。 やりたくないのね、いいよ」

例えば「ボランティアしましょう」と言われ、「行かないと何か言われる」。あるいは 「行かないと嫌な人だと思われる」そうやって、無理して無理を重ねて、 ストレスが溜まるというような生き方をしている人が多いんですよね…。

「ストレスのない生き方をしましょう」。そして、自分自身の中をホントにクリアーにして、 「自分が何をしたい人間なのかを、見つけていくようにしましょう…」

そのためには「常に行動する」ということを心がける。
私たちの頭は賢くて、良いことをしようと思えば、10でも20でも浮かんできます。でも、行動できますか?
「100良いことを考えるよりも、自分が満足できることを1つやる」 すると不思議なことに、どんどん自分が変わっていくんです。

「やりたくない」と、自分を肯定的に受け止め、そのように行動したら、周りの人たちは「自分勝手で我がままな人」と、 白い目で見るのでは?と思ってしまう。
ならば、「そう思われないよう行動すればいい」となり、やっぱり無理をして、ストレスを溜めてしまうといういうことに、なりはしないか… ?

要は、自分のことばかり考えず、人にどう思われているかなど、気にせず、人の役に立つことをしたり、良いと思ったことを、 素直な気持ちでやればいいのです…。そのうちに、何も考えなくても体が勝手に反応するようになる。
いつしかそれがその人の人格となり、幸せな人生を歩むことが出来るでしょう。

2007年01月19日

核保有の是非を問うこと…

■世論調査

NHKの世論調査で、"九条"の是非について、「改正すべき…3割」「九条の解釈を変更するだけでいい…3割」「今のままでいい… 3割」と、意見が三つに割れた。
防衛省昇格に伴い、「自衛隊を憲法上、明確に位置づけるべきか?」については、70%の人が「そうすべきだ」と答えている。

安倍内閣が最初に成立させた重要法案、「教育基本法の改正」については、「改正を望む…73%」 「もっとみんな日本の国のことを考えるべき…86%」と、ほとんどの国民が現状の教育政策に危機感を持っている。

内閣に期待する教育政策で、多かったのは…
「国を愛する心」「公の精神」「日本の伝統を育む」
「日本の史観・価値を考える」「豊かな人格形成を育む」etc

読売ウイークリー11月12日号より


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 158】
~歴史から学ぶ~
「核保有の是非を問うこと…」

北朝鮮の核保有を受けて、自民党の閣僚が「わが国の自衛のために、日本も核について考えることがあってもいいのでは…」 と公言したら、早速野党から「問題あり」と、国会で追求された。

日本の核保有について、過去一度も公の場で話し合われたことがないとしたら、その方が問題でしょう。「核保有論議」は、 禁止される論議なのでしょうか?
「憲法」についても、「再軍備」についても、そのあり方を議論して何が悪いというのか?
民主主義国家を自負するのであれば、右の考え方の人がいて当たり前だし、左の考え方だからと、国家が抑え込めるはずがない。今の日本で、 禁止されるべき議論など、あってはならないのです。

16~7年前のこと。当時400社くらいの会員を擁する、石川県では名の知れた経営者団体に所属していた。当時、 七尾市に能登支部を開設することになり、手伝ったことがある。それぞれツテを頼って会員を募ったところ、 30社くらい入会申し込みがあった。

信じられない話ですが、月例会の会場にと、七尾市の商工会議所へ、研修室の借り入れ申し込みをしたところ、「貸せない」という。 理由を尋ねても、はっきりしない。しばらくして、入会者の会社に電話がかかってきて、「退会したほうがよい」と言う。
理由は、「"赤"に染まった団体だから」と言う。さらに付け加えて、「警察がマークして嗅ぎまわっている。このままでは、 会社の信用に傷が付く…」という信じられない内容。退会者が続出した。

確かに、東京の上部団体は、政府の中小企業政策に反対することが多かったが、限られた左翼思想の政党を支持する団体ではない。
石川県の組織は、上部団体に何ら影響されない、真面目に経営の勉強をする、自主独立の組織。会の規約で、たとえ個人であっても、 会の中で政治宗教活動を行うことは認められない。

どんな理由で警察がマークするようになったのか? 戦前の言論統制時代ではあるまいに…。こんな平和な世の中に、 警察が思想的理由で、私たちの団体を反社会的組織としてマークし、圧力をかけてくるとは…。

話を戻して、「核保有・憲法・軍備」のあり方などは、政治的余波が大きく、国の進むべき方向、 安全保障に大きな関わりを持つだけに、その道の専門家の間で、高度な議論を戦わす必要があると思う。

政治家が「核保有」の是非を言い出すと、命取りになりかねないご時世。
政府は、日本の核武装について、この60年間一度も検討したことがないのかというと、そうではない。最近、 公文書が公開されるようになって、明らかになった。
1960年にフランス、64年に中国が核武装したのを受け、当時の佐藤栄作首相が、64年12月ライシャワー駐日大使に対し、 「日本も核武装を真剣に考えたい。その可能性を検討したい…」と伝えた。

それに対し米国は、「核の傘で守るから」と日本を説得。日本は交換条件に、日本の経済発展をアメリカが全面支援すること、 沖縄を日本に返還すること。
この二つを呑ませることで、政治的解決を図った。
その後日本は、核拡散防止条約に加盟して、非核大国としての道を歩むようになった。

11/3 読売新聞「憲法公布60年座談会」より抜粋

2007年01月23日

好きな自分を生きる/命がけて人生を楽しもう

■心に残ることば

「誰かのための人生ではなく、自分のための人生でありたい」

「人は、"ごめん"と言って死んでいく人と、
     "ありがとう"と言って死んでいく人に分かれる。
      ありがとうと言って死んでいく人間になりたい」

NHKドラマ「マチベン」"安楽死を裁けますか?"より


【心と体の健康情報 - 277】
~幸せな人生を歩むために~
「好きな自分を生きる/命がけで人生を楽しもう」

「病気の心因は心の不自然さにある。 病気はありがたい自然からの注意…
喜んで受け、生き方を正すとき。そうすれば、おのずと癒えていく 」
                   
ストレスが原因で胃潰瘍になって入院。健康を取り戻して退院しても、日常生活で原因となる「ストレス」を取り去らない限り、 また再発する可能性が大だ。
真の健康を取り戻すには、ストレスが発生しない環境に改善していくことです。

以下、ざ・ぼんぢわーく工房/第31集 下地規子さんの
「自分を好きになりませんか」からの抜粋、その2です。

一度ガンを患って再発したK子さんが相談に来た。
「あなたは、あることを変えさえすれば、治るでしょう」
『じゃあ、私は何をすればいいのですか?』
「楽しんで生きることです。生き方を変えることです」
『でも、私にはできません。夫が外へ出かけるのを嫌がるのです』

「K子さん、あなたは病院に行くか、癌で死ぬかでしょ…。
どうせ死ぬんだったら、死ぬまで"命がけで楽しんでみませんか"
あなたが一番したいことは何ですか?」
『旅行に行きたい…』
「じゃあ、旅行に行きましょうよ。お父さんがね、"旅行に行くの?
何日間?僕のご飯は?と言ったら、お父さんごめん、"命かかってるから"私行ってくるって、言いなさい」

実は、ご主人もあまり具合が良くなくて、ずっと薬を飲み続けていてね、毎食きちっと食事をとり、薬を飲む。 そのため奥さんに居て欲しいのです。

彼女は毎日、外へ出かけるようになった。ご主人の冷たい視線も気にならなくなった。 奥さんはニコニコ出かけていく。カラオケに行こうと誘われ、行った。これがまた楽しい。 人生には楽しいことがいっぱいある。
そう、私は肺ガンで死ぬんだから、今楽しまなくちゃ。
"肺が元気になるかな"と思って、水泳にも行った。
最初は5メートルも泳げなかったK子さん。25メートルプールを10往復できるくらい、上手になった。

親戚がカナダにいるので、「じゃ、行きましょう」と、カナダにも行った。娘たちが、「お母さん、 元気なうちにどっか旅行に行こう」
『じゃ、北海道に行きたい』
沖縄から北海道に行って帰ってきた。そうやっているうちに、気がついたら3年経っていた。

その間に、病院から"もう亡くなられたか"と思って、電話が入ったそうです。「どうしてますか?」『はい、 元気にしてます』と言ったら、電話を切られたそうです。

彼女は入院する日の、日付メモを持っていたんです。それをずっとポケットにしまい込んでいたと、言っていました。 そして、入院の日付メモから3年目に、市の健康診断を受けに行きました。
レントゲンを撮ると、肺の影が全部消えて、無くなっていたそうです。
病気は、"自分の力"で治そうとしなければ、良くなりません。
私たちの思いが、体に影響を与え、エネルギを与えます。
外へ出してくれるご主人に、「ありがとう」って感謝して、一つ気持ちを変えるだけで、心も体も健康になるのです。

人生、ただ長く生きようとするだけでは、意味がありません。
どれだけ楽しく、深く生きるかということです。

病気になると、医者にすべて頼ろうとする。医者は、病気を治してくれる。
しかし、病気を治すために最も大切なことは、自ら、本気で「治りたい」「絶対に治ろう」と思い続け、病気に負けまいとする、 強い意志を持つことです。

人の体には、病気を起こすものに抵抗し、それに対処しようとする能力がある。
人が持つ、「自然治癒力」の力に、もっと目を向けなければならない。

2007年01月26日

有事に国を守れるか?

■世界の核兵器
○核保有国…米国(10,104発)、ロシア(16,000発)、
         フランス(350発)、英国(200発)、中国(200発)

○核を保有していると見られている国
  イスラエル(60~80発)、インド(50~60発)、パキスタン(40~50発)
○核保有疑惑国…イラン、北朝鮮
○核兵器保有・核開発計画を放棄した国
  ブラジル、アルゼンチン、アルジェリア、リビア、イラク、南アフリカ
  ウクライナ、カザフスタン、ベラルーシ(ウクライナの隣国)

11/3 読売新聞


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 159】
「有事に、国を守れるか?」

核保有国?となった北朝鮮。外交姿勢は一段と強気。「過去、軍備を怠って滅びた国は多い。が、飢饉で滅びた国はない」と、 胸を張る。

北朝鮮の核実験を受けて、国連の安全保障理事会は、制裁決議を採択した。
北朝鮮の核は、どの国に向けられているのだろうか。
北朝鮮が保有する弾道ミサイルには、射程500キロの「スカットC」1300キロ中距離の「ノドン」、長距離の「テポドン」がある。

昨年7月に発射された、テポドン2号の射程は6千キロはあるとされ、米本土をも脅かしかねない。
中距離ノドンの着弾可能な国は、日本・韓国・中国・ロシア。
中国は同胞、ロシアは北朝鮮寄り、韓国は同一民族で、核攻撃など有り得ないと、友好的方針を堅持。北朝鮮にとって日本は、 拉致問題などでささくれ立った状態の、極めて好ましくない国である。

「アメリカの言いなりで、六カ国協議に参加する資格などない。アメリカに協議の結果を聞くだけで十分」と、反日感情むき出し。
核の照準が日本に向けられていたとしても、不思議ではない。

北朝鮮の核が、日本の安全に"あいくち"を突きつける格好になり、日本政府に衝撃が走った。国民の生存と利益を守るのが政治。 憲法を尊重し、尊守しなければならないのは当然だが、憲法に縛られて、国を滅ぼすようなことがあってはならない。

世界有数の軍事力を有しながら、憲法が足かせになって、日本周辺の安全保障を"自前"で解決できない。日米同盟に頼るしかない。
日本が核の洗礼を受けて、甚大なる被害を受け、何十万人が死んでも、北朝鮮に攻め入って、軍事基地や施設を叩くことが出来ない。
アメリカに頭を下げて、日本を守ってもらうしかないのです。

北朝鮮は日本をなめてかかる。日本に脅しをかけ、侮辱する態度をとっても、攻め込まれる危険がない。これで日本は、 真の独立国と言えるだろうか? 
憲法九条で平和、平和と言っているだけでは、国の安全は守れません。

核が打ち込まれた時、日本は何が出来るのだろうか?ひたすら防戦するだけ? 
日本に代わってアメリカが北朝鮮を叩く? アメリカの国民が、自国が侵略されてもいないのに、日本の為に自らの命を投げ出し、 戦ってくれるだろうか? 
"NO"である。
つい数年前まで、有事の時、自衛隊が前線へ戦車を走らそうとしても、道路交通法に払拭して、走らせることができなかった。 法整備がなされていなかったのです。国会で議論しようにも、野党の猛反対が目に見えていて、放置されていたのです。
日本の石油の90%は、イランやその周辺の中東諸国からの輸入で賄っている。
自衛隊のイラク派遣のような、国際平和への協力も、日本が一国平和主義を貫いて、"不参加"とは言えない国際情勢にあるのです。

今の憲法のままでは、自衛隊を海外に派遣するのも、自国が非常事態に陥った時の対応も、難しいのです。

読売新聞の政治報道を読んで

2007年01月30日

主夫になってみると…

■読売新聞「つれあいにモノ申す」より

◎「関白へ謀反したい」
夫は古い考えの人で、三歩下がってついて来るような女性を理想としている。
身の回りのことなど何一つ自分でできず、相談事を持ちかければ面倒がって、「良きに計らえ」という。
なのに、私が判断をして事を済ますと、「勝手なことをするな!」
事あるごとに「誰のお陰で三度三度暖かいご飯がいただけると思っている」
などと言い出す始末。「…離婚します!」

◎「自業自得よね…」
仕事はするが、家の事は一切してくれない夫。階段の電球が切れたのに、交換する気などさらさらない。が、夫は夜になると、 暗闇の中を寝に上がっていく。ある日、夫の叫び声がした。何事かと駆けつけたら、階段の下でみごとにこけていた。非常に気の毒だが、 「ざまあみろ…」

【心と体の健康情報 - 278】
~男の言い分、女の言い分~
「主夫になってみると…」

読売新聞「妻と夫の定年塾」を読んだ。私と妻は、同じ職場で働く共働き夫婦。
妻は、仕事と家事と孫守りと、毎日一人三役のてんてこ舞い…。そんな妻の苦
労が分る、良い記事だったので、以下転載します。

「もういい…」。会社で働くのがどんなことか、よく分った。
定年まであと3年を残して、達郎さんは無力感におそわれた。
妻に目を向ける。茜さんは生き生き働いている。子供を独立させた後、パートの経理事務のベテランだ。ただ、 家事と仕事を両立させるのが一苦労である。妻も55歳なのだ。

よし、おれは「主夫」になろう…。
「何言ってんのよ…」と、茜さんは反対した。でも、会社をやめるという夫の意思は固い。こうして達郎さんは、 めでたく主夫になる日がやってきた。
三度のごはんを作る。掃除洗濯はもちろん、食料品から生活用品まで、すべての買い物も引き受けた。やってみると主夫は、 根気のいる力仕事であった。そのうえ頭も使う。達郎さんは「早まったか…」と、後悔した。
妻の茜さんは、家庭内に「主夫」がいることの居心地のよさにうっとり…。朝は焼きたてパンと、目玉焼きのいいにおいで、 機嫌よくお目覚めだ。昼ごはんも、夫が弁当を二人分作る。ゆうべの残り物を上手に使うのだ。

雨が降ると、達郎さんは妻を職場の入り口まで送り迎えする。
そのうち茜さんは、冬は寒いとか夏は暑いなどと、理由にならない言い訳をして、夫の達郎さんをこき使うようになった。

夕食がほぼ出来上がる時間に突然、「友達とごはん食べて帰ることになったから、夕食いらないわ。 しょうがないでしょォ、女には付き合いってもんがあるのよ」との電話…。

毎日の献立に行き詰って、夫が「今夜何が食べたい?」と聞けば、「何でもいいよ!」って、 偉そうに答えるではないか。
達郎さんはムッとした。しかし考えてみれば、これらのすべてが、今まで自分が妻に対して言ってきたこと、 やってきたことである。

「いってらっしゃい…、今夜は茜さんの好きなビーフシチューよ!早く帰ってきてね…」。あれ… おいら"おねエ言葉"使ってるじゃん…と、達郎さんドキリとした。

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