■「月のうさぎ」
「うさぎ うさぎ 何見てはねる…」で始まる、童謡「うさぎ」。
古く、江戸時代から子ども達に歌われ、親しまれてきました。
ある時、キツネと猿とウサギが、神様に食べ物を差し上げることになった。
ところがウサギは、食べ物を見つけることができなかった。
そこでウサギは、「自分を食べてください」と、火の中に身を投げた。
神様はそれを哀れみ、ウサギを月の世界に住まわせたのです…
【吉村外喜雄のなんだかんだ - 152】
「童謡"しゃぼん玉"に込められた親の愛」
10月の初め、久しぶりに神渡良平先生の講演を聴いた。講演の中に、童謡作家、野口雨情(1882~1945)の逸話が出てくる。 雨情が「しゃぼん玉」 を作詞した時の逸話である。何度聞いても目頭が熱くなる。
なかなか子宝が授からなかった雨情、結婚八年目にようやく女の子を授かった。
目の中に入れても痛くないほど可愛がった。
ところが、二歳のとき伝染病にかかり、雨情の必死の祈りも虚しく、死んでしまった。
雨情は、悲しみを忘れようと、浴びるように酒を飲んだが、忘れることが出来なかった。ある日、娘が夢の中に現れた。泣いていた。
涙に濡れた顔を見たときハッと我に返り、目が覚めた。
「このままでは天国にいる娘に会わせる顔がない。
お前の分まで一生懸命生きよう…」
それが雨情の転機となり、「七つの子」「青い目の人形」「十五夜お月さん」など、後世に残る童謡を書き残した。「しゃぼん玉」は、
亡くなった娘さんへの思いを歌に込めて、作詞したものです。
「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ 」
私はこの歌を、ごく平凡なしゃぼん玉を飛ばしている情景だと思っていた。
が、そうではなかった。亡くなった我が子への、父の思いを歌にしたものだったのです。
致知出版 神渡良平著「下座に生きる」から
1920年に発表され、当時の人々を大感激させた童謡「十五夜お月さん」
も、野口雨情の実体験を童謡に、作詞したものです。
野口家は、水戸藩ご用達の豪農だったが、雨情の時代になって家勢が傾き、一家は離散してしまった。その悲しみを歌にしたのが
「十五夜お月さん」です。
「十五夜お月さん ごきげんさん ばあやは おいとまとりました
十五夜お月さん 妹は いなかへ もらわれてゆきました
十五夜お月さん 母さんにもいちど わたしは逢いたいな 」
お母さんが亡くなってしまったので、小さい妹は、遠い田舎へ貰われて行った。
婆やも、お暇をとって国へ帰ってしまった。雨情一人、後に残された寂しさを、十五夜お月さんに訴えたのです。
雨情の悲しみは、メロディーの美しさと重なって、世の親たちの心を打った…。
そして今も、心に残る名曲として、歌い継がれているのです。
日本人は、こよなく「花鳥風月」を愛する。とりわけ、春の花見と秋の月見には深い思い入れがある。童話「かぐや姫」や「うさぎ」
に代表されるように、"お月さん"は、日本人の心の拠りどころなのです。
※神渡良平
S23年生まれ。作家。若くして脳梗塞に倒れ、半身不随の危機を乗り越えて、
「人はそれぞれなすべき使命がある」という人生観で、作家に転進。
著書に「安岡正篤の世界」「中村天風の世界」「一隅を照らす人生」など多数…