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2006年12月 アーカイブ

2006年12月01日

海外旅行・生水厳禁の理由

■スキューバーダイビング中のハプニング


潜水を終え浮上するとき、減圧のため
水面下5メートルで、約3分間停止…

ついふた月前のこと。
スキューバーダイビングで潜水中に、やや下痢ぎみに便意を催し、お腹がグリグリいいだした。よほどのことがない限り、 バーディから離れる勝手な行動は許されない。

潜水コースを終えるまで必死にこらえ、ようやく浮上。
船に上って「トイレは?」 
『すみません、有りません』 
「……」
船が港に戻るまでの約20分、出そうになるのを必死こらえ…脂汗。

ようやくトイレに駆け込み、事なきを得た…。           
                                 
夜中に出発して、コンビニで朝食を摂り、そのまま一本目を潜水したのが原因…。
この正月、フイリピン・セブ島で潜る予定。水が変わり、食べ物が変わり、お腹を
こわしやすい。薬を携行し、怠りなく万一に備えたい…。

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 151】
~食と健康~
「海外旅行、生水厳禁の理由」

海外旅行に出かけたとき、気をつけなければならないのが「水」。
会社の慰安旅行の帰り、香港を飛び立つ時、ムシムシする空港で、自販機が目に入った。カチ割氷の入ったコカ・コーラを、みんなで飲んだ。

関空から金沢へ向かうバスで、下痢症状を訴える人が出た。帰って二日間寝込む者も出た。空港の自販機、 しかもコカコーラなら安心と思ったのが大きな間違いだった。カチ割氷が原因でした。最初に買って飲んだのは私…海外慣れしていて、 免疫力があるのか?症状が出なかった。

毎日食べている白いご飯、日本料理は、日本の気候風土が生んだ水…美味しい"軟水"から生まれてくる。
ヨーロッパや東南アジアの水は、石灰岩の地層で、マグネシウムを多く含む"硬水"。マグネシウムや石灰分の多い"硬水"でご飯を炊くと、 黄色っぽくパサパサしたご飯になり、美味しくない…。それ故、油で炒めたり、トマトや香辛料を加えた調理方法になるのです。

流しそうめんや魚の洗い、冷やっこなどは、きれいな真水が生んだ、日本を代表する料理の傑作。 かつおや昆布の旨みを引き出して作る、煮物や吸い物、だしつゆが決めてのうどんや、そうめんも、日本の水から生まれてきた調理方です。
日本料理は、できるだけ手を加えずに、その素材の持ち味を生かそうと工夫する。これも、軟水のきれいな水のお陰。外国で、 これらの料理に出会うことはない。
このような食環境で育った私たち。海外を旅行して、料理が口に合わないのも無理からぬこと。海外でも、 イタリアやフランスの料理は美味しい。しかし、アメリカやイギリスの料理は美味しくない。毎日こてこてした、 ボリュームたっぷりの肉料理を食べていると、つくづく日本が恋しくなってくる。

海外へ出かけ、衛生管理の行き届いた都会で下痢をする人がいるのは、「硬水」に多く含まれる、マグネシウムが犯人です。
マグネシウムは、腸を刺激して便意をもよおす性質がある。わが家の便秘薬の成分を見たら、ちゃんとマグネシウムの文字があった。 海外旅行で生水を飲まないようにするのは、「不衛生だから」だけではないのです。

YOUS「水のあれこれ」より

2006年12月05日

福祉が充実すると社会が乱れる(2)

建設会社を営むM社長、32歳の時に独立。妻に支えられ朝から晩まで一所懸命働いた。もともと腕の良かったM社長、 建てた家は評判となり、独立から七年後には、二十数名を擁する会社の社長になっていた。

M社長が夜遊びを始めたのは、ちょうどこの頃。最初は週に二、三度で、それも少し夜が遅くなるぐらいでした。それが連日、 午前様へと変わっていき、仕事は社員任せ。当然、夫婦喧嘩の毎日で、二人の子どもは怯え、暗い家庭になっていったのです。
このような状態で経営がうまくいくわけがなく、一億五千万円の負債を抱えて倒産。債権者を前にM社長は罵倒されるに任せ、 家に帰っては腑抜けのように布団を被って寝ていた。
ここで「何とかしなければ」と立ち上がったのが妻。ある朝、夫の布団を剥ぎ取って、「こうなったのは、あなたのせいだけではない。 私も悪かった…。二人で債権者を回って、迷惑をかけたことを詫びましょう」と言い出したのです。

妻の気迫に押されたМ社長、一軒一軒土下座をして回った。耳を覆いたくなる罵詈雑言の連続。しかし、最後に回った債権者が、 「経営者にとっては、倒産は宿命みたいなものだ。あんたたち夫婦にやる気を感じた。早く返済してもらいたいので資金を貸そう」と、 言ってくれたのです。

それからというもの、初心に返り、夫婦は朝から晩まで、必死になって働いた。
全債務を返済したのは八年後。「妻がいてくれなかったら、いま自分は生きていたかどうか。本当に感謝しています…」と、 M社長は真剣に過去を振り返った。

今週の倫理446号より

【心と体の健康情報 - 272】
~子育て心理学~
「福祉が充実すると、社会が乱れる?(2)」

国会で、毎年三万人の自殺者を減らそうと審議している。ところが、日本や北欧のように、福祉が充実している先進国で、 生きがいを失い、自殺者が増えているのは何故なのか? 考えなければならない現象です。

社会の弱者を保護することは、先進社会にあっては大切なことです。
弱者に対する税制上の配慮、失業救済、身障者・病弱者・高齢者の保護、その他社会福祉の充実によって、貧しい人、 困った人が救済されます。

しかし、どんなに制度を充実させても、ものには程度があって、バランスを失わないことです。弱者になって、福祉の恩恵を受け、 国の庇護に頼ったほうが得だと悟った時、人は哀れにも、自ら、弱者になり下がろうとする…。

こうして、弱者に手厚い保護を加えれば加えるほど、更に弱者が増える社会になる。弱者天国の行き先は、 個人の堕落と社会システムの崩壊…。これ以上の不幸はない。

企業においても同じことが言える。福利厚生を充実させ、社員の給料や待遇を良することが、経営者の責務と考える。 「福利厚生を整えれば、優秀でよく働く人材が集まり、会社の離職率も下がるだろう…」と、ほとんどの経営者が信じて疑わない。
私は、日立家電(18歳の時)、積水ハウス(28歳の時)、ノエビア(38歳の時)、何れの会社も創業間もない頃、その会社に携わり、 頑張ってきた。
創業間もなく、給料が安く、待遇が今よりずっと悪かった頃、毎晩遅くまで必死に働き頑張った。あの頃の方が、社員に熱気があり、 ヤル気に満ちていた…。

そういった、幾つか大きな会社に勤めた経験から、「給料や待遇は良くすればするほど、人は働かなくなる」 「いくら待遇を良くしても、辞める人は辞めていく」という現実を見てきた。
人が一番働く環境は、福祉が充実した会社でも、週休完全二日制でも、世間より給与の高い会社でもないのです。

前の会社で管理職をしていた頃、下請け業者を引き付けておくには、徳川家康の「農民は太らせず、やせさせず」 の状態にしておくことだと、上司に教えられた。下請け業者、儲かってお金が貯まると、百万円もする掛け軸を買ったり、豪邸を新築したり、 クラウンに乗ったりして、働かなくなる? 
「活かさず殺さずが丁度良い」と…。
(今の私は、三方良しの精神で経営しています)

家康が、人心を掴むのが上手いと言われる所以の一つは、この言葉も感じられる。給料や待遇は良すぎず、悪すぎず、 ほどほどのとき"人は最も働く"ということを…。
会社経営も、同じことが言えるのでは? 儲かり過ぎず、悪すぎず、ほどほどの時の社長が、一番生き生きとよく働く…。

中日新聞 漫画家 江川達也「本音のコラム」より

2006年12月08日

童謡「シャボン玉」に込められた親の愛

■「月のうさぎ」
「うさぎ うさぎ 何見てはねる…」で始まる、童謡「うさぎ」。
古く、江戸時代から子ども達に歌われ、親しまれてきました。

ある時、キツネと猿とウサギが、神様に食べ物を差し上げることになった。
ところがウサギは、食べ物を見つけることができなかった。
そこでウサギは、「自分を食べてください」と、火の中に身を投げた。
神様はそれを哀れみ、ウサギを月の世界に住まわせたのです…


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 152】
「童謡"しゃぼん玉"に込められた親の愛」

10月の初め、久しぶりに神渡良平先生の講演を聴いた。講演の中に、童謡作家、野口雨情(1882~1945)の逸話が出てくる。 雨情が「しゃぼん玉」 を作詞した時の逸話である。何度聞いても目頭が熱くなる。

なかなか子宝が授からなかった雨情、結婚八年目にようやく女の子を授かった。
目の中に入れても痛くないほど可愛がった。
ところが、二歳のとき伝染病にかかり、雨情の必死の祈りも虚しく、死んでしまった。

雨情は、悲しみを忘れようと、浴びるように酒を飲んだが、忘れることが出来なかった。ある日、娘が夢の中に現れた。泣いていた。 涙に濡れた顔を見たときハッと我に返り、目が覚めた。
「このままでは天国にいる娘に会わせる顔がない。
お前の分まで一生懸命生きよう…」
それが雨情の転機となり、「七つの子」「青い目の人形」「十五夜お月さん」など、後世に残る童謡を書き残した。「しゃぼん玉」は、 亡くなった娘さんへの思いを歌に込めて、作詞したものです。

「しゃぼん玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風 風 吹くな しゃぼん玉飛ばそ 」

私はこの歌を、ごく平凡なしゃぼん玉を飛ばしている情景だと思っていた。
が、そうではなかった。亡くなった我が子への、父の思いを歌にしたものだったのです。 

致知出版 神渡良平著「下座に生きる」から

 

1920年に発表され、当時の人々を大感激させた童謡「十五夜お月さん」 も、野口雨情の実体験を童謡に、作詞したものです。
野口家は、水戸藩ご用達の豪農だったが、雨情の時代になって家勢が傾き、一家は離散してしまった。その悲しみを歌にしたのが 「十五夜お月さん」です。

「十五夜お月さん ごきげんさん ばあやは おいとまとりました
十五夜お月さん 妹は いなかへ もらわれてゆきました
十五夜お月さん 母さんにもいちど わたしは逢いたいな 」

お母さんが亡くなってしまったので、小さい妹は、遠い田舎へ貰われて行った。
婆やも、お暇をとって国へ帰ってしまった。雨情一人、後に残された寂しさを、十五夜お月さんに訴えたのです。
雨情の悲しみは、メロディーの美しさと重なって、世の親たちの心を打った…。
そして今も、心に残る名曲として、歌い継がれているのです。

日本人は、こよなく「花鳥風月」を愛する。とりわけ、春の花見と秋の月見には深い思い入れがある。童話「かぐや姫」や「うさぎ」 に代表されるように、"お月さん"は、日本人の心の拠りどころなのです。
                                               
※神渡良平
  S23年生まれ。作家。若くして脳梗塞に倒れ、半身不随の危機を乗り越えて、
  「人はそれぞれなすべき使命がある」という人生観で、作家に転進。
  著書に「安岡正篤の世界」「中村天風の世界」「一隅を照らす人生」など多数…

2006年12月12日

大学を出ることの意味

12月1日、京都へ論語の勉強に出かけた折、円山公園から、ねねの道、高台寺を散策。今年最後の紅葉を楽しんだ。


高台寺・圓徳院の
桃山時代を代表する庭園の紅葉

今月出産する二人目の外孫の安産祈願にと、八坂神社にも立ち寄った。

今日は、月初めの一日、本殿はお参りする人でにぎわっていた。その本殿をぐるりと取りまいて、お稲荷さんやミニ神社があり、 お参りしている。

そこで私も、由来を記した立て札を読みながら、一つ一つお参りして歩いた。
商売繁盛の「蛭子社」、「大黒福の神」。舞妓さんがお参りする「美の神神社」。
伊勢神宮・天照大御神をお祀りした、「神宮社」。
そして「疫払い神社」など、数えたら12ケ所もあった。

【心と体の健康情報 - 273】
~子育て心理学~
「大学を出ることの意味/今どきの若ものは…」

古代アッシリアの遺跡で発見された文字。解読したら「今どきの若いものは実に困ったものだ」と書かれていた…。 よく知られている逸話です。

生きてきた時代が違えば、育った環境も違う。当然両者の意見は、かみ合わなくなる。若い人から逆に年配者を見れば、 「考えが古くてついていけない…」と言うだろう。
例を挙げれば、私たちの世代、子どもの頃はいつもお腹を空かせ、何もかも貧しかった。懸命に働いて欲しいものを一つひとつ手に入れ、 幸せを実感しながら、人生を歩んできた。「もったいない精神」が体全体に刷り込まれた世代である。
私の息子の世代になると、生まれた時から衣食住満ち足り、なに不自由なく育った。この当時、日本人一人当たりのGDPは、 アメリカに次いで世界第二位、世界一・ニの豊かな国になっていたのです。

戦後の発展を支え、豊かさのシンボルだった家電ブームが去って、家の中は消費財で溢れ、売るものも買うものもない時代になった。 生活に余裕が出た私たち庶民は、土地や株を買いあさって、にわか成金が続出。高級車や貴金属、毛皮が売れ、円高を背景に、海外ブームに沸いた。

肉体労働が嫌われるようになり、ホワイトカラーがもてはやされるようになった。
バブルがはじけ、経済が低迷している時、雇用を守るため、国は休日を国民に奨励。週休二日が広がっていった。日本人から「勤勉」 というふた文字が消えていったのです。

怠惰になった日本人は、かってのように若者を育成し、企業の最前線に駆り立てる必要を感じなくなった。 若者を必要としなくなったのでしょう…。
安価な労働力、つまり、パートやフリーター、外国人労働者で間に合わせ、あふれた若者は、深夜のコンビニのレジ係、 ファーストフードの店員、風俗業や、サラ金などといった職業へ…。このような仕事は、資格もいらなければ、高等教育も不要である。

ところが、親や教師は、「大学へ進学しなければ駄目だ」という。将来何になりたいかはともかく、大学だけは出ておけと言う。 こんな時代だから、一流企業を目標に、エリートの座をつかめというのだろうか?

私たちと、その親の世代にとって「学歴」は、絶対的な価値を生み出すものと考えられてきた。富めるものはその富を守り、 社会的評価を高める手段として、貧しいものは、貧しさから抜け出す手段として、「学歴」の持つ価値は絶対的だった。
その一つが、結婚式での仲人の新郎新婦紹介…親の見栄・世間体が、我が子を一流校へと駆り立てる。

そういった社会の風潮を背景に、いつの頃からか、教育そのものが金儲けを目的としたものに変質していった…?  少しでも良い学校へ進学させたい親の弱みを突いて?学習塾が繁盛し、何箇所も受験させたあげく、私立の高校・大学は入学金をせしめる。 その金策に、親は頭を悩ませることになる…。

なのに子どもは、どれだけ親に感謝し、将来恩を返えそうと思っているだろうか?
将来どうあれ、資格を取ることを目的とした専門学校がやたらと増えている。
宅建主任や、情報・ビジネス専修学校など、資格を取ったからと、直ぐ良い職にありつくことができ、食べられるわけではない。 どうなるものでもないのです…。

12/10夜9時のNHKスペシャル「ワーキングプア」。"働けど働けど暮らし楽にならず"、そんな暮らしをしている家庭が、 全国に400万世帯はあるという。

二人の子どもを抱える母親。一流大卒なのに、子どもを抱える母子家庭ということで、働き口がない。日に4~5時間の睡眠で、 三つの勤め先でパート。
夜中まで働き、収入は合わせて18万円。必死に頑張り、何とかしのいで生活している…。
そんな環境から抜け出そうと、会社の求めに応じ、国家資格を取得した。
が、付いた資格手当はわずか10円、時給650円が660円になっただけ…
達成感のない努力を強いておきながら、「それが教育」とうそぶく…。

今の時代の若者たちに、無力感を植え付けたのは、明らかに一つ前の世代の古い価値観?を若者に押し付けている、 私たちではないでしょうか?

2006年12月18日

回転寿司から魚が消える

■東洋一の都市「上海」

来月の会社行事に、上海旅行が企画されている。4年前、初めて観光した時の印象が、 今も強烈に残っている。 当時まだ工事中だったリニアモーターカーが、空港から上海までの30キロを7分で結び、世界一、 アジア一を誇る施設が、 あちこちに建造されている。

歴史文化の都市上海の人口は1800万人。東洋一の大都会である。
古い街並みと、超近代的ビル群、古い文化と、新しい文化が混在した上海に、また新しい名所が誕生する。

森ビルが、日本企業の出資を仰ぎ、地上101階、高さ492メートルのオフイスビルを計画しているのです。

展望台の高さは世界一。最高級のホテルが入り、上海にビジネス・文化・エンターテイメントの一大拠点が誕生する。 天空に伸びるその姿は、上海の新しいシンボルになるでしょう。

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 153】
~食と健康~
「回転寿司から魚が消える?」

北京市の中心街にある"元禄回転寿司"は、テニスコートが4面も入る中国最大の広さ。よく食べに行くという大学生、 「寿司は大好き、中華と違って油が少なくて健康にいい…」と言う。この回転寿司チェーンは、北京市に16店、全国に60店を数える。

中国のお魚料理といえば、ソウギョや鯉などの淡水魚が中心。国民の所得水準の高まりとともに、より価格の高い海水魚が、 食卓に乗るようになった。
台湾でもマグロの人気は高く、家庭で食するようになった。5年前まで、台湾で獲れたマグロの8割は、日本に輸出していた。 今は9割を台湾国内で消費する。

魚を食べる習慣のなかったヨーロッパ諸国でも、若者を中心に海水魚ブームに火がついた。BSE問題や、鳥インフルエンザの発生で、 魚志向が強まってきたのです。ロンドン市内の回転寿司は30店舗を数え、ニューヨークやモスクワでも、寿司は、 レストランの人気メニューになっている。

つい最近、ロシアのスパイだった、元連邦保安局中佐が、ロンドンで殺された。
その日、彼が歩いた足跡をたどると、寿司バーで人に会った時、放射性物質を被爆したと、捜査当局が発表。ロンドンの寿司バーが、 世界の注目を浴びることになった。
世界でとれるマグロの約4/1を日本人が食べている。ところが、世界的日本食・魚食ブームのあおりで、 日本国内の水産物価格は上昇の一途。
マグロは前年比47%高、カツオに至っては、72%も高くなっている。

ここへ来て、海外での魚介類の調達が思うようにいかなくなってきている。
日本の企業がマグロ、サケ、タラなどを買い付けようとしても、外国勢より低い価格しか提示できず、輸入できない「買い負け」のケースが、 急増しているのです。
数年前までは、日本企業の独断場だった買い付け。今は年末年始の必要量を確保するのも難しい。 日本が世界中の魚を思い通りに買えた時代は、終わりを告げようとしていて、マスコミは「将来食卓からマグロが消える」と、騒いでいる。

追い打ちをかけるように、"黒マグロ"の漁獲制限が段階的に実施されることになった。現在3万2千トンの漁獲量が、 2010年には20%減の、2万5千5百トンに減らされるのです。

11/28読売新聞

肉・野菜・果物・穀物・魚、ありとあらゆる食材を世界中から買い求め、日本人の胃袋を満たしてきた。そんなむさぼり尽くすような、 大量消費の食文化から、自然の恵みを大切に守り・育てる食文化へ、転換する時期が来ているのです。

庶民の魚、サバもイワシもシシャモも、高級魚の仲間入り…。食卓が寂しくなった。マグロの"トロ"も、間もなく、 庶民の手には届かなくなるだろう。
今の内に回転寿司で、お腹いっぱいトロをほお張ることにしよう…

2006年12月21日

若く見える人、見えない人

■老夫婦、食事での会話。
夫 「あっ! ズボンの上にこぼしちゃった…」
妻 「駄目じゃない、ちゃんとハンカチを膝の上に乗せておかなきゃ!」
夫 「このハンカチ、年を取るにつれて上がって、首元に挟むことになるよなぁ~」
妻 「そうよ、最後は顔の上にのせておしまいヨ!…」
夫 「……」
脳梗塞を患うと、ご飯をぼろぼろこぼすようになる。ところが当の本人は、そのことに気づかない。
年をとると、いずれはなんらかの病を患い、床に伏せ、人様の世話になって死んでいかねばならない。 2025年には、3軒に一軒が、 65歳以上の夫婦二人、或いは一人住まいになるという。

まだ先のことと、考えたくはないが…実のところ、誰の世話になって、どのような場所で安心して死んでいけるのか? 妻?息子?娘?、 自宅で?施設で?病院で…?


【心と体の健康情報 - 274】
~幸せな人生を歩むために~
「若く見える人、見えない人」

二ヶ月前、中学卒業後初めて、50年ぶりの同窓会に出席した。初めてということで、幹事から紹介され、一人ひとりお酌して歩いた。 一番端の席に、足が悪いのでしょう、低い椅子に腰掛けて、一段高いところで食事をしている人がいた。
そこで私は大失態をした。年恰好から、"先生"が同席されていると勘違いして、ご挨拶に行ったのです。「吉村と申します。 卒業以来50年ぶり、先ほどから先生を拝顔し、先生のお名前が思い出せません」と言ったら、「バカ、私も同級生だよ…」

二週間後、記念写真が送られてきた。Yさんは若い頃から童顔、50代半ばにしか見えない…10歳は若い。後列のMさんは、 苦労したのでしょう? 
70半ばに見える。シワやシミが多く、尋ねたら、病気をしたという…。

50を過ぎると、白髪が目立ち、頭が禿げ上がってくる。若く見える人、老けて見える人、私たちの年齢になると、 前後20歳くらい齢が開いて見えてくる。
まだ若いつもりでも、写真は正直。
写真に写る己の姿は、何ともむさくるしく爺むさい…写真を直視することができない。

若く見える人は、大概仕事を持っている。そして、忙しそうに飛び回っている。
現役バリバリ、心にハリをもって働くことが、若々しさを演出するのでしょう。

私が三十歳の頃、「しいのみ学園」が話題になったことがある。映画にもなった。
遥か昔のことと思っていたら、昨年4月、30数年ぶりに、何と101歳になられた曻地三郎園長が、講演に現れたのです。 まるでタイムスリップ…。100歳を過ぎた今もなお、現役バリバリなのです。

二時間立ったままマイクなしで講演。しかも自らあみ出した"棒体操"を約十分間、私達を立たせての実技指導。101歳なのに、 棒を片足立ちで、組んだ両手の中をくぐらすのです。身体は柔らかく大変お元気。とても101歳の老人には見えません。

ご自身は医学博士ですが、他にもいくつか博士号を取得。語学も堪能で英語やドイツ語が得意。更に、ロシアで論文を発表するため、 ロシア語をマスター。
63歳から韓国語を勉強し、5年で自由に話せるようになり、95歳から中国語を覚え始め、話せるようになったという。

90歳を過ぎて韓国に"しいのみ学園"をつくり、95歳の時、民間の身障者施設が未成熟の中国に渡り、"しいのみ学園"を開園。 今後20箇所は増やしたいという。
講演2ヶ月後、アメリカ、ヨーロッパ、南アジアの大学に招かれて、世界一周講演旅行に旅立たれた。そして、 今年も引き続き講演旅行に出かけていった。
102歳になられた現役園長…曻地氏には、余生というものがないのでしょう…。
一世紀を生き抜いて、なお盛んなのです。

また、京都で論語を教えていただいている"伊與田 覺"先生は、今年91歳。
来年も引き続き教壇に立たれるという。毎回3時間近くの講義。ご高齢の老人には見えない、ハイレベルの格調高い講義をされます。

来年、団塊の世代が60歳の定年を迎え、働き場を失う。長年培った経験や能力、まだまだ生かせるのに、もういらないとお払い箱。 国や社会にとって、大きな損失でしょう…。

■曻地三郎(しょうちさぶろう)氏
小学校、女学校、師範学校の教員を経て、現在、福岡教育大学名誉教授。
S29年我が子が小児麻痺の身障者になったが、障害者を受け入れる学校がなく、独力で「しいのみ学園」を設立、 障害者の教育指導に当たる。
医学・文学・哲学・教育学博士。新万葉歌人。そのほか、韓国大邱大学教授・大学院長。中国長春大学名誉教授。著書130冊。

2006年12月22日

江戸川柳

■流行語大賞
2006年度流行語大賞は「イナバウアー」
荒川静香さんの、天女のような美しい滑りが、まぶたに焼き付いている。

トップ10に選ばれた流行語は、「品格」「えろかっこいい」「格差社会」「たらこ・たらこ・たらこ」「脳トレ」「ミクシィ」 「メタボリックシンドローム」

特に印象に残ったのは、日ハム・ヒルマン監督の「信じられな~い」と、早稲田実業・斉藤投手の「ハンカチ王子」でした。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 154】
~ことば遊び~ 
「江戸川柳」

毎年2月、応募作品の中から発表される、第一生命のサラリーマン川柳は、世相がみごとにおり込まれ、ユーモアに溢れ、面白い。
それにも増して面白いのが「江戸川柳」。親子・夫婦の間の人情、恋模様など、 ちょっと卑猥で滑稽で、日常生活を風刺しているのがいい。庶民の暮らしの泣き笑いが伝わってくる。

よく知られているものに…        
「雷を まねて腹かけ ヤッとさせ」 「大晦日 よく廻るのは 口ばかり」
「役人の 子はにぎにぎを よく覚え」 「弘法も 一度は筆で 恥をかき」
「清盛の 医者は裸で 脈をとり」

お嫁さんを詠む
「形見分け 初めて嫁の 欲が知れ」 「叱らずに 隣の嫁を ほめておき」
「なりったけ 嫁小便を 細くする」   「屁をひって 嫁は雪隠 出にくがり」
  
昼寝をするとき、夫婦、昼間から並んで寝るのは、いやらしいと…
「夫とは 向きを違えて 昼寝する」 

普段優しい姑が、時折嫁に見せる鋭い視線
「猫なでの 姑時々 目が光り」

親子関係を詠んだものでは…      
「寝かす子を あやして亭主 叱られる」 「母親は 息子の嘘を 足してやり」 
「腹の立つ 晩真ん中へ 子を寝かし」 「子だくさん 州の字なりに寝る夫婦」

「父親に 似ぬを知ったは 母ばかり」
この子誰の子?そんな疑い、したくないよね!

「よく歩く 子にくたびれる 親の口」 
わが家の孫、そっち行っちゃダメ! 走っちゃ危ない…くたびれること

恋をした男女をよんだものに…
「気があれば 目も口ほどに物を言い」 「まず目と目 それから手と手 口と口」
「手がさわり 足がさわって 仲直り」 「その手代 その下女昼は もの言わず」 

江戸川柳、下ネタの妙。"クスッ"とくる面白さ。
「おかしさは 昼寝のへのこ動き出し」 「足を出す 息子は親の 手にあまり」 
「寝てとけば 帯ほど長いものはなし」 「みんな留守 猫の交尾を よく見られ」 
「大仏の へのこの寸は 書いてなし」
「つらいこと 目も歯もよくて いまひとつ」 「赤貝の 味わい蛸の 味がする」

2006年12月26日

世界地図が分らない若者たち

■ブルネイ王国ってどこにあるの?

ブルネイ王国という国はどこにあるの?…人口どれくらいの、どんな国かご存知でしょうか?お芋のような形をしたボルネオ島を、 縦に真二つに割って、北半分はマレーシア。南半分はインドネシア。

ブルネイは、北側マレーシアの中ほどにある、三重県ほどの小さな国で、人口は36万人。石油産出で潤うイスラム教の国です。 日本から近く、アジアの国なのに、この国のことを知っている人は少ない。
所得水準が極めて低い、田舎のマレーシアに隣接して、富豪の王様と、豊かな暮らしの国民が住むブルネイ。国民は無税で、 医療費もほとんど国が負担する。

ブルネイを知ったのは10年前。スキューバーダイビングで、ブルネイ空港で、大型ジェットから、40人乗りのプロペラ機に乗り継ぎ、 ボルネオ北端マレーシアのコナキタバルへ飛んだ。その時、ブルネイという国の存在を知ったのです。

【心と体の健康情報 - 275】
~子育て心理学~
「世界地図が分らない若者たち」

必修科目を教えていなかったことが、隣県富山県の高校に端を発し、全国に大きな波紋となって広がっていったことは、記憶に新しい。 世界史や地理、音楽の授業が「受験至上」の名のもとに、教科から除外されたのです。

2000年の国連加盟国総数は189ケ国。2002年にスイスが加盟し、インドネシアから独立した東ティモールも加盟した。 今年2006年に、モンテネグロが加盟して、現在国連加盟国は192ケ国になった。

日本は、原油の99,6%を輸入に頼っている。アメリカに次ぐ世界第2位の輸入大国である。国別では、サウジアラビア26%、 UAE(アラブ首長国連邦)25%、イラン15%と、中東からは、総輸入量のほぼ90%を依存している。
こうした国々と仲良くしない限り、日本の将来の繁栄はないのです。

そして、日本人が消費する食料品の60%は、世界各国に依存している。
もし、石油が止まり、食料品の輸入が止まったら、日本はどうなるでしょう?
終戦直後、食料自給が悪く、芋のツルやイナゴで飢えをしのいできた私には、心おだやかな話でありません。

なのに、地理や歴史を教えない学校。食料は、日本人の胃袋を支え、石油は日本の繁栄を支える。 そういった日本を支えてくれる国々を知ろうとせず、無関心のままでは、相手国に失礼…だけでは済まされません。

日本地理学会が2005年、大学生三千八百人と、高校生千人を対象に、世界地図の上でアメリカやイラク、 北朝鮮がどこにあるかを尋ねた。
その正解率は驚くべきものだった。

  大学生 高校生
アメリカ 96.9 92.8
ブラジル 92.8 87.1
ギリシャ 76.5 59.4
インド 96.8 92.0
北朝鮮 90.3 76.1
イラク 56.5 54.1

一昨年オリンピックが開かれたギリシャや、自衛隊派遣や拉致で毎日のようにニュースに登場している、イラクや北朝鮮。 高校生では、五人に二人が、大学生でも約三人に一人が、どこにあるのか知らない。最も正解率の高かったアメリカですら、大学生の3%、 高校生の7%が間違った答えを出している。

近ごろ、都道府県の場所や、県庁所在地を知らない学生が増加しているという。
日本がアメリカと戦争したことも、原爆が落とされたことも知らない若者が増えているのです。学校で、 地理や歴史を軽んじてきたことの現れなのです。

孔子は、門下生に「仁」や「礼」教えたが、中でも「歴史学」を重視したそうです。
「温故知新」"故きを温ねて新しきを知る"。 古い時代のことを学び、そこから今の時代につながる知恵を学ぶ…いつの時代も、 大変大切なことです。 

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ありがとうございました よいお年を…

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