孔子の教え(6)
■中国の戦国時代
孔子が没して約100年の後、春秋時代の終わり頃の紀元前403年、
晋が、韓・魏・趙の三国に分かれた。
その後、紀元前221年、秦の始皇帝によって国家統一がなされるまで
の約180年間、「韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦の戦国七雄」が群雄割拠した
時代を、戦国時代という。
【心と体の健康情報 - 268】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え(6) 五十にして天命を知る… 」
[孔子の生涯] 孔子の生涯は、六つの時代に分類される
1. 悲惨な少年時代…3歳で父を亡くし、17歳で母を亡くす
2. 学に志した青年時代
3. 勉学と教学が両立した時代
4. 魯の国の政治の舞台に出る時代
5. 列国をさ迷う時代
6. 寒々とした晩年
68歳の時息子を亡くし、71歳の時、最愛の弟子"顔回"を失う
論語でとりわけ名高い「天命を知る」。前号では「四十にして惑わず」までを
解説しました。今日は、その後半の人生です。
■ 「五十にして天命を知る」
52歳になってようやく魯国の中都の宰と、司空・ 大司冠に登用された。
その後孔子は、時の敵対勢力との政争に敗れ、主だった弟子を従えて魯の国を
去った。56歳までのわずか5年間の宮仕えだった。
それからは、衛・曹・宋・鄭・陳などの諸国を、14年の長きに渡.って放浪した。
■「六十にして耳順がう」
各国を回り、自説の売り込みをはかったが、 どの国も孔子の説を理解しようと
はしなかった。それでも孔子は弟子たちと厳しい旅を続け、学問に励んだ。
宋では、将軍に殺されそうになった。危うく難を逃れた孔子は言った。
「私には、天から授かった使命がある。宋の将軍ごときに何が出来ようぞ…」
あてもない流浪の旅で、衣服はボロボロになり、泊まる場所もない日が続く。
通りすがりの者が「宿無しの野良犬」とあざけると、孔子は「そうだ、まったく
その通りだ」と答えている。
飢えと疲労で病に倒れる弟子もいた。それでも孔子は学問と復習の日課を怠ら
なかった。ある日、弟子の子路、苦境に我慢できず、「君子でもこんなひどい目
に合わなければならないのですか?」と孔子に迫った。
孔子は「君子は、いかなる窮地にあっても、自分の信念と行動は不変である。
しかし、仁徳なき小物は悪事に走るだろう」と答えた。
14年に渡る流浪の旅。ついにどこの国も受け入れてくれなかった。
68歳のとき妻が死去。その翌年にようやく魯に帰国。この年に長男が死ぬ。
同時に孫が生まれる。政治参加という意図はかなえられなかったが、学問では
素晴らしい成功を収めた。
■ 「七十にして心の欲するところに従う」
魯に帰った孔子は、 学校を開き、広く人材の育成に取り組んだ。
これは、中国史上初めてのこと。もっぱら古典の整理にあたった。
70も過ぎると、自分のしたいこと、言いたいことが、そのまま天地の道理にも
適う、まさに自由の境地に…。
孔子71歳のとき、最愛の弟子"顔回"が、これからという41歳で死去。
翌年、同じく"宰我"が斎で戦死し、73歳のとき、孔子より9歳年下の最愛の
弟子"子路"が、衛で戦死した。子路は、論語に最も多く登場する人物である。
紀元前497年4月、孔子は病床につき、7日後、74歳の生涯を閉じた。
弟子たちは、3年間喪に服した後去っていった。当時43歳の"子貢"のみが、
更に3年間喪に服した。
孔子の死後、彼の教育思想、政治思想は「聖人」と言われ、中国のみならず、
韓国・日本・東南アジア各国に、大きな影響をもたらしていった。