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2006年11月 アーカイブ

2006年11月07日

孔子の教え(6)

■中国の戦国時代
孔子が没して約100年の後、春秋時代の終わり頃の紀元前403年、
晋が、韓・魏・趙の三国に分かれた。

その後、紀元前221年、秦の始皇帝によって国家統一がなされるまで
の約180年間、「韓・魏・趙・燕・斉・楚・秦の戦国七雄」が群雄割拠した
時代を、戦国時代という。

【心と体の健康情報  - 268】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え(6) 五十にして天命を知る… 」

[孔子の生涯]  孔子の生涯は、六つの時代に分類される

1. 悲惨な少年時代…3歳で父を亡くし、17歳で母を亡くす
2. 学に志した青年時代
3. 勉学と教学が両立した時代
4. 魯の国の政治の舞台に出る時代
5. 列国をさ迷う時代
6. 寒々とした晩年 
   68歳の時息子を亡くし、71歳の時、最愛の弟子"顔回"を失う

論語でとりわけ名高い「天命を知る」。前号では「四十にして惑わず」までを
解説しました。今日は、その後半の人生です。

「五十にして天命を知る」
52歳になってようやく魯国の中都の宰と、司空・ 大司冠に登用された。
その後孔子は、時の敵対勢力との政争に敗れ、主だった弟子を従えて魯の国を
去った。56歳までのわずか5年間の宮仕えだった。
それからは、衛・曹・宋・鄭・陳などの諸国を、14年の長きに渡.って放浪した。

「六十にして耳順がう」
各国を回り、自説の売り込みをはかったが、 どの国も孔子の説を理解しようと
はしなかった。それでも孔子は弟子たちと厳しい旅を続け、学問に励んだ。

宋では、将軍に殺されそうになった。危うく難を逃れた孔子は言った。
「私には、天から授かった使命がある。宋の将軍ごときに何が出来ようぞ…」

あてもない流浪の旅で、衣服はボロボロになり、泊まる場所もない日が続く。
通りすがりの者が「宿無しの野良犬」とあざけると、孔子は「そうだ、まったく
その通りだ」と答えている。

飢えと疲労で病に倒れる弟子もいた。それでも孔子は学問と復習の日課を怠ら
なかった。ある日、弟子の子路、苦境に我慢できず、「君子でもこんなひどい目
に合わなければならないのですか?」と孔子に迫った。
孔子は「君子は、いかなる窮地にあっても、自分の信念と行動は不変である。
しかし、仁徳なき小物は悪事に走るだろう」と答えた。

14年に渡る流浪の旅。ついにどこの国も受け入れてくれなかった。
68歳のとき妻が死去。その翌年にようやく魯に帰国。この年に長男が死ぬ。
同時に孫が生まれる。政治参加という意図はかなえられなかったが、学問では
素晴らしい成功を収めた。

「七十にして心の欲するところに従う」
魯に帰った孔子は、 学校を開き、広く人材の育成に取り組んだ。
これは、中国史上初めてのこと。もっぱら古典の整理にあたった。

70も過ぎると、自分のしたいこと、言いたいことが、そのまま天地の道理にも
適う、まさに自由の境地に…。

孔子71歳のとき、最愛の弟子"顔回"が、これからという41歳で死去。
翌年、同じく"宰我"が斎で戦死し、73歳のとき、孔子より9歳年下の最愛の
弟子"子路"が、衛で戦死した。子路は、論語に最も多く登場する人物である。

紀元前497年4月、孔子は病床につき、7日後、74歳の生涯を閉じた。

弟子たちは、3年間喪に服した後去っていった。当時43歳の"子貢"のみが、
更に3年間喪に服した。
孔子の死後、彼の教育思想、政治思想は「聖人」と言われ、中国のみならず、
韓国・日本・東南アジア各国に、大きな影響をもたらしていった。

2006年11月10日

大国の政治倫理

■先週末、三重県紀伊・田辺沖で潜った。
当日は快晴。波はおだやかで、水温23度、海中の透明度も高く、
最高のダイビング日和でした。
沖へ向かう途中、右後方に目をやると、白浜温泉のホテル群が、
ワイキキビーチのように、白く美しく輝いていた。

潜水ポイントへ向かう途中の仲間たち


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 148
~歴史から学ぶ~
「大国の政治論理」

11月6日、フセイン元大統領死刑判決のニュース。ブッシュ政権は、米中間
選挙終盤の戦いに照準を合わせ、イラク攻撃の正当性を強調した。
しかし、一向に好転しない戦況に嫌気を指した多くのアメリカ人は、一昨日の
中間選挙で、イラクからの撤退を掲げる民主党を支持した。

3年前の2003.3.20、米英両国はイラクに対して先制攻撃を仕掛けた。
2001.9.11同時多発テロ以降、ブッシュ大統領はイラクをテロ支援国家と
名指しし、「悪の枢軸」とまで言い切った。大量破壊兵器を持つイラクは"極悪
人"。 正義の名のもとに、フセイン政権打倒へと、軍事行動を起こした。
その時のブッシュ政権への支持率は、80%に届く…。

米国は、国連の反対を押し切ってイラクを占領した。あれから3年、ブッシュ
が仕掛けた理由なき?戦争。アメリカ、イラク双方の殺戮行為は止まること
なく、罪なき人が沢山死んだ…。

一昨年11月、大統領に再選されたブッシュ。そのブッシュ政権自ら、「イラク
には大量破壊兵器は元より無かった、そのことは1998年の時点で知って
いた」と弁明した。
何故なら、1980年代のイラク・イラン戦争当時から、イラクに核兵器施設を
造ったり、化学兵器の製造工場を建設したのはアメリカ…。
イラクのどこに何がどれだけ貯蔵されているか、サダム政権が知らなくても、
アメリカはすべて知っている…。
(日本の米軍基地内の機密に関して、日本政府が把握できないのと同じ)

従って、アメリカがイラクを去った後も、イラクの大量破壊兵器の有無を誰よ
りもよく知っていたのはアメリカ。何も知らないサダム政権に、「48時間以内
に大量破壊兵器を出せ。出さなければ攻め込んで占領する」と、宣告したのです。
太平洋戦争直前、アメリカが日本に「ハル・ノート」を突きつけたのと、同じ
やり方で…。

中東の石油利権の独占を企む、覇権国家アメリカ。そのためには、どうしても
イラクを手に入れたい…。アメリカを敵視するフセイン政権を倒すには、それ
なりの理由がなければならない。

破壊兵器、無いものを出せと言われても、出せるはずがない。出さないから
占領できた…。もし破壊兵器をすんなりイラク政府が出してきたら、アメリカ
は、イラクを占領できないことになる。
無いことを知っていて、48時間以内に出せと脅すアメリカの謀略…。これが、
世界の政治戦略の基本。黒でも赤と言いくるめるのが優れた政治なのです。

「大量破壊兵器がある」と大騒ぎし、無いことを知りながら国連に要請。国連の
査察団をイラクに送り込んだ。初めから無いものが、見つかるはずがない。
イラク全土となると広い。どこかに隠されているかも知れない。とても全て調
べられるものではない。

国連の報告書によれば、「調べた限り、大量破壊兵器があるという証拠はなか
った。しかし、我々の調査は完璧ではない…」。このような報告書が出されるこ
とを、先刻承知のアメリカだったのです。

当時、パウエル国務長官は、「必ずどこかに隠されている」と、国連安全保障
理事会で、"偽ビデオ"を流して全世界を信じ込ませ、騙した。
ところが、一昨年の選挙時、パウエル自ら、あのビデオは偽モノだったと白状
した。 偽りが判明し、全てが明らかになった。しかし、イラクは既に占領され、
フセインは捕らえられ、犯罪人に…。

増田俊男「変化の年2005年を斬る」より

北朝鮮が核実験をやった。議長国日本が先頭に立って国連を動かし、制裁決
議を可決した。弱小国が核を持ったら、国際社会から徹底糾弾される。
これが大国アメリカがやった行為であれば問題にならない。やったもの勝ちで
ある。
これが国際社会における核保有国、アメリカ・ロシア・中国など、大国の政治
論理である。国際社会の正義は、力の強い国が握っている…。

今の北朝鮮。力も無いのに、軍事力を誇示して黒を白と言い切り、大国に逆ら
い、日本をなめてかかる。約70年前、西欧の列強に加わろうとして、西欧先
進国から孤立し、アメリカと戦うはめになった、当時の日本の姿によく似てい
るのです。

2006年11月14日

戦後教育の功罪

■親を敬う心

韓国ドラマに、しばしば親を敬うシーンが出てくる。親がわが子を叱るとき、
子は黙って頭を下げ、親に口答えしない。
庶民の中に、儒教思想が浸透している現れでしょうか…。

NHK「世界遺産の旅」を見ていたら、ルーマニアの子どもたちに、教会の古い
壁画を見せて、どうしたら天国へ行けるか、悪いことをしたら地獄へ落ちると、
両親が教えていた。

今の日本の子どもたちに、教会でもなく、家庭でもなく、学校でもないとしたら、
どこで倫理・道徳を身につけさせるのか? 
私の子どもの頃は、家庭が教育の場だった。親に口答えは許されず、
家には守るべき憲法があった。父親は絶対的で、怖い存在だった。

【心と体の健康情報  - 269】 
~子育て心理学~
「進駐軍がもたらした戦後教育の功罪 」


9月中旬、民放2時間ドラマ「僕たちの戦争」は、見ごたえがあり、面白かった。
昭和19年神風特攻隊の飛行訓練中に、突然タイムスリップして現代社会に…。
「俺たちは、お国の為に喜んで死ぬ覚悟でいた。だが、こんな堕落した日本になるんだったら、国に命を捧げる意味がないじゃないか!」と、街を歩きながら驚愕して吐いたセリフ…、「ウン~」と、心にうずいた。

今、子育てをしいてるのは、私の息子や娘の世代…。その世代を育てた私達の責任は重い…。私達は、先祖や両親を敬い、大切にすることを教わらなかった。
だから我が子に、「何れ、親の面倒を見るんだよ…」とは、教えてこなかった。

そんな子育てをしてきて、今になってそれが、わが身に降りかかってこようとは…今更慌ても遅い。子ども達は、年老いた両親の世話をすることなど思いも 因らない。年寄りの面倒は、自治体や民間の施設・病院に任せばよいと、思っている。
息子や娘たちは、戦争を知らない。貧乏を知らない。神仏を敬うことを知らない。苦労の経験もない。そんな息子や娘が、何れ、今の私たちの年代になって、うまくやっていけるのだろうか?

貧しい暮らしから、豊かな社会を築き上げた私達の世代は、みんな幸せだ。
今の若い人たちは、豊かな時代に生まれ育った。これからは、徐々に暮し辛い世の中になっていくだろう…大丈夫だろうか?心配になってくる。

私達が受けた教育は、進駐軍が持ち込んだ戦後教育。占領国アメリカの日本人教育の基本方針が、今の日本を動かしているのです。
日本が二度と戦争を起さなため、日本人の精神的基盤、戦前、日本人のアイデンティティを育んだ、道徳や倫理、歴史教育を、教育の現場から徹底的に排除してしまった。

日本人から大和魂を抜き取り、日本人を骨抜きにすることを、教育の根幹に据えた。「国家のために命を投げ出す」「国を愛する」といった、愛国教育は一切排除され、国を愛することを知らない、国に忠誠をつくすことを拒否する国民を育んでしまった。こんな国、世界広しといえども見当たらないだろう。

日本人が古くから受け継いできた生き方・倫理・道徳。これらの一切を排除し、代わりに、アメリカから拝金主義を持ち込み、金儲けと豊かさを追求することにしか興味を示さない国民に、堕落させることに成功したのです。

アメリカをマーケットにモノを売り、アメリカからモノを買って、豊かな国になった。日本が奇跡の復興を遂げたのはアメリカのお陰。恩あるアメリカに逆らってはならない…。
アメリカに都合のいい、アメリカの国策に沿った、日本と日本人をつくりあげたのです。

当初、占領国の政策がそうであっても、その政策を受け入れた日本人が、<アメリカの思惑以上に平和にこだわり、第九条を盾に、戦前までの良き日本の思想や教育の全てを排除してしまったのです。

終戦直後、米国の思惑で作った平和憲法。日本は60年間ひたすら守り通し、<日本民族のための自主憲法制定をタブー視して、現在の国家と社会を創り上げていったのです。

社会のモラルが低下しつつある今こそ、日本人としてのあり方、生き方、モノの見方・考え方を、国家再生に向け、根本から見直す必用があるようです。
それには、日本の教育に欠けている、以下の「三つ」から手をつけていく必要があると、元松下政経塾副塾長"上甲晃"氏は語る。

第一は 「信仰心を教える」
どんな宗教を信ずるか?  ということではなく、「人間を超える偉大な存在に対
する畏敬(いけい)の念」のことをいいます。
「誰が見ていなくても、神様が見ている」と、神の恐れを知らなければならない。
今の世の中、「人が見ていないから…」と、倫理観が欠如した、あきれ返る事件が余りにも多すぎます。

第二は 「人の道(道徳)を教える」
私達の子供の頃、 左派系教員の影響もあって、倫理・道徳教育は皆無に近かった。今、その世代が日本を動かし、世の中を騒がせているのです。

第三は 「正しい歴史教育を行う」
戦後の歴史教育で、 日本人は侵略行為によつて、東南アジア諸国に悪いことをした国と教えられてきた。ために、罪の意識が強く、日本人であることに誇りを持てない…。正しい歴史教育が急がれるのです。

安倍内閣が発足して、最初に重要政策として取り組んでいるのが「教育基本法の改正」。国会で反対する野党の意見もしっかり聴いて、私達はその是非を問わなければならない。日本の未来がかかっているのです…。

2006年11月17日

成長発展し続けるラスベガス

■ダム建設で発展したラスベガス


-PARIS-

ロサンゼルスから飛行機でロッキー山脈を越えると、そこはネバタ州。
ラスべガスに向かう飛行機の窓から見える景色は、一面の砂漠。
水も電気もない砂漠のド真ん中に、突然光り輝くラスベガスの街が現れてくる。

街路は植樹・植栽で青々とし、ホテルの周りも、東京の公園と見まがうくらい、

様々な植物が生い茂っている。
よほど大きなオアシスがあるかと思いきや、年間に降る雨の量はわずか300ミリ。
植栽に沿って塩ビ管が敷かれ、朝夕時間になると、自動散水する仕組み。
なるほど、これなら植物が育つ…。

1935年、大恐慌を乗り切りる景気策の一環として、フーバーダムが完成。
そこから50キロ離れた町ラスベガスに、水と電気を供給。
1941年に、ストリップ通り初のホテル"スワン"が誕生。以来65年、次々と個性溢れるホテルが建ち、

現在人口150万人、年間3千万人の観光客が訪れる大都会に発展した。


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 149】
「成長発展し続けるラスベガス」

10日から一週間、ノエビアの招待で、ロサンゼルスとラスベガスを観光した。
ラスベガスは今回で三回目。

数々のアトラクションやショー、ダイニング・スポットにショッピングモール、そしてカジノ。

24時間眠らない街… 私達を眠らせない街。

メインストリートは、パリス、ベネチアン、ベラッジオ、MGMなど、お馴染みのホテルはどこも人でごった返している。 そのストリップ通りに、更に6000室はあろうかという、超巨大ホテルが4つも5つも建築中…。

3年前に訪れた時、超人気"海賊船ショー"の、トレジャー・アイランドホテルがMGMに売却された。

私たちが夫婦で訪れたその日、 ショーの最終日で、見ることが出来なかった。

売却の理由は、より巨大で集客力・競争力のあるホテルを建築するためという。既存のホテルをリニューアルするより、 人気度が高い間に、ライバル企業にアトラクション付きで、高値で売却した方が賢い…。

今回は時間がなく、数箇所ある新しいホテルの見学はしなかった。
また、今流行りのアウトレッドは、ストリップ通りを南へタクシーで15分くらいの所にある。

今回、より斬新なアウトレッドが、 ストリップ通り反対の北側260メートルの展望台があるストラストフィアの外れに完成。
早速、昼食とショッピングを楽しんだ。

8年前、当時まだ目新しかったアウトレッド。わざわざ見学に出かけたものです。

端から端まで歩けないほど長く大きな建物だつたが、 今はどうなっているだろうか。

ふと、3~4年前に学んだ、イトウヨーカ堂鈴木会長の言葉を思い出す…。
「過去の経験を破壊せよ! 昨日の続きを断て!
  土台から、基本から会社を造り直せ!新しい創業をせよ!」

今はまさに戦国の世。激動の時代、不安定な時代。強いものは益々強くなり、弱いものを駆逐していく。

過去の延長は全くありえない。 現状を維持し、守ろうとすれば、たちまち時代に取り残され、生き残っていけなくなる。

過去原爆実験が繰り返された、ネバタ州の砂漠の真ん中のアミューズメントシティ。

空港の乗降客数は全米3位と言うから、すごい!  

世界中から人が集まってくる、金のなる街。生存競争は、私たちの想像を超える熾烈さ…。

ところでお勧めは、今年6月ミラージュホテルに常設オープンした"ショー"。
円形劇場の真ん中、20メートルの天井から垂れ下がった4本のロープをメインに、

60名が繰り広げるアクロバッティックな演技。 命綱や落下防止ネットなどはない。
ビートルズの曲目を主体に、ベラッジオの「オー」に似た演出で1時間半。
時間の経つのを忘れ、ラスベガスの夜を堪能した。

2006年11月21日

川人氏・創立5周年式典に参加して

■吉村作治の「エジプト発掘40年展」

先月、世界で初めてルーブル美術館から日本に持ち出された、ギリシャの神々の遺産、彫刻と宝飾品展を見たばかり。
感動覚めやらぬ先週日曜日、京都「えき」美術館で「エジプト発掘40年展」を見た。
早稲田大学、吉村作治教授の調査隊が、エジプトで40年かけて発掘した、5千年~2千年前のエジプト王朝の遺物200点が展示されている。 (11/26まで)

<ミイラを覆っていたマスク>

19世紀初頭からエジプトに入ったイギリスやフランスの調査隊。発掘した品々は自国に持ち帰った。早稲田大学の吉村調査隊は、 発掘品を日本に持ち帰ることをせず、そのすべてをエジプト国内にとどめて、保存・研究を行っている。

博士の最高の偉業は、昨年1月、過去発掘されたミイラでは最も古い時代で、しかも未盗掘の完全な状態のミイラを発見・発掘したこと。

今回40年の間に発掘した品々を、エジプト政府の信頼と、特別の協力で借り受け、日本で始めて公開展示することになった。

右の写真はその傑作、"ミイラマスク"ミイラが収められていた木管の他、首飾り、指輪、彫像、女神の護符、王様の鎮壇具など、 数千年前の歴史の遺産の数々が、所狭しと並べられていた。


【心と体の健康情報  - 270】
「川人正臣氏・創立5周年記念式典に参加して…」


先週の土曜日、大阪のホテルでの、川人正臣氏の株式会社ヒューマンフォレスト、創業5周年記念式典に参列。翌日、宇治平等院と、 紅葉の名所東福寺、そして「エジプト発掘40年展」を鑑賞して帰沢した。

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~川人氏の新しい著書を50名様にプレゼント~

詳しくは、このメルマガの最後をご覧下さい。

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~会場いっぱい感動に包まれた、 創立5周年記念式典~

[びっくり…1] 
ビジョン発表…「25年後の30周年には、1千億円企業になる」
机一つ、電話一台から会社を興し、創立わずか5年で年商5億円を達成された。
その川人社長から新たに、5年後、10年後の目標・ビジョンが発表された。

更に、25年後の30周年には「1千億円企業」になると、声高らかに宣言。
そして25年後の今日、同じ会場で、今日参加の皆様をご招待したいという。
(25年後の会場予約をホテルに済ませて、式典に臨むという念の入れよう…)

[びっくり…2] 
5周年を記念して、25年後2031年の30周年記念の「タイムカプセル」を用意した。当日のお祝いの言葉を、 参加されたお客様全員に書いて頂き、カプセルに入れるという趣向…。
25年後の私、丁度90歳になる。「是非出席させて頂きます」と、川人氏に返事した。

[びっくり…3]
5周年を期して、優績社員・功労社員が表彰された。その選出はすべて社員さんの無記名投票によるもの。 社長からの意見や考えは含まれていない。

[びっくり…4]
経営理念・社旗・社章・社歌が決まり、来賓の前で披露された。
"社歌"は、社員さんが作詞した。社員さん・ご家族全員、子どもさんも壇上に上がり熱唱。繰り返し歌ううち、参加者の気分も高まり、 会場いっぱい大合唱になった…。

[びっくり…5]
物事をやりきる根性、「社風」を構築するため…
  2006年 4月 社員とその家族「50キロ歩」  にチャレンジ、全員完走。
         8月      〃    「富士山登山」にチャレンジ。
       10月      〃    「100キロ歩」 にチャレンジ。

目的は、自分の努力と力で涙を流すほどの感動を体験すること…
あえて、過酷といわれることにチャレンジすることで、自分の可能性を広げたい。
いずれも、経験したことのない人にとっては、かなり過酷なのですが、この程度以下では"感動"できないし、 またこれ以上の過酷なチャレンジは危険を伴う。
こういう機会を通じて、社員や家族との絆を深めていきたいと考えています。

「仕事が人をつくり 人が仕事をつくる」86Pより 


[びっくり…6]
川人氏が5周年記念に出版した著書をお土産に頂き、喜んでいたら、ヒューマンフォレスト社の回路設計による"DVDプレーヤー"を、 「170名の本日参加者全員にお持ち帰りいただきます」との、川人社長の言葉…。会場がどよめいた。

 

川人氏の新しい著書「仕事が人を作り、人が仕事を作る」
先着50名様へプレゼント

川人正臣氏の新しい著書を、 このメルマガを読まれた50名の皆様にプレゼントします。
創業5周年を記念して、川人正臣氏は、4年前に出版した「仕事と人生 (致知出版)」 の続編、「仕事が人を作り、人が仕事をつくる」 と名づけた著書を、 (非売品)出版。記念品として参加された皆さんに配布されました。

「仕事と人生」を読まれた皆様には、是非この続編を読んで頂きたく、 先着50名様にプレゼントさせて頂きます。

ご希望の方は、折り返しメールにてお申込みください。

2006年11月24日

「落語・六尺棒」

■言葉あそび 「ことばの意味を問う」

今日は「猫も杓子も」 の語源をたどってみます。

日頃なにげなく使っている「猫も杓子も」、何ともおかしな言葉です。
外国人が日本語を学ぼうとするとき、何故そう言うのか知りたいと思うでしょう。

「だれもかれもみな」と言う意味の言葉ですが、この言葉のルーツは
「女子も若子も」である。"めこもじゃくしも"と呼ぶ。
「女も子供も…」という意味です。

江戸っ子のだじゃれ、遊び心が、「猫も杓子も」となったのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 150】
~ことば遊び~
「落語・六尺棒」

日本の総理大臣などが、西洋諸国を訪れて悩むことの一つに、場を和ませるとっさのジョークが言えないことがある。真面目で、 喜怒哀楽を表に出さない日本人を見て、お金儲けのことしか頭にない、エコノミックアニマルと、西欧人はさげすむのです。
事実は、日本人ほど多彩な笑いの文化を持った国はない。
落語、漫才、狂言、川柳など、多彩な笑いが庶民の中に根付いているのです。

落語で、馬鹿息子を題材にしたものが多いが、中でも「六尺棒」は面白い。
「親のすねかじる息子の歯の白さ」という川柳があるが、こういう息子には父親の意見も「馬の耳に念仏」で、 しばらく頭を下げていれば"こごと"は上を通り過ぎていくと、しぁしぁと聞き流してしまう…。

♪廓(くるわ)の女に引っかかって、三日も四日も家を空け、帰ると戸が閉まっているので、叩いて、「番頭、番頭…左兵衛、金蔵、 寅吉ッ…」 
『ええ…、夜分遅く、表をドンドンお叩きになるのは、どなたですな?』

父親の白ばっくれた声にギクリとなり、
「あたくしですが…、ちょいと開けてください」
『商人(あきんど)の店は十時限り、お買物は明朝に願います。
はい、毎度ありがとう…』 
「買物じゃない、あたしですよォ…」

あたしじゃわからないので、名前をはっきり言ってもらいたいと言われ、
息子の孝太郎だと告げたが、父親はとぼけて、
『ははぁ、孝太郎のお友達ですか…、手前どもにも孝太郎というせがれが
  おりますが、商人の家に生まれながら、とんでもない遊び人でして、
親類協議のうえ勘当しましたから、そうお伝えを願います… 』

勘当という言葉にあわてて、明日からちゃんとすると謝ったが、
『明日からってのは、もう聞き飽きた、と、おことづけを願います』
どう言っても父親がとぼけ通すので、製造元はそっちじゃないか、
ものが良けりゃ自分のものにし、悪けりゃ捨てようってのは、
あまりにも勝手すぎると言ったために、父親が怒った。

『やかましい!黙ってりゃいい気になりやがって、ちったァ世間のせがれを
  見習え。朝早くから起きて一日働き、夜んなりゃ親の肩を叩いたり、
腰をさすったり…。そばで見ていて涙が出らァ 』

勘当は解かない、跡は養子を取って継がせると、断固と言い切るので、
息子も頭にきた。
「自分の生まれた家を他人に取られるのは悔しいから、この家ィ火ィつけます…」
あわてた父親が六尺棒を片手に飛び出したが、息子の足にはかなわない。
見失って戻ると戸が閉まっている。叩きながら番頭の名を呼ぶと、
「表をドンドンお叩きになるのは、どなたでございましょう」
と、先に入っていた息子がからかう。
俺だと言っても、
「俺ではわかりません。商人の店は十時限り、お買物は明朝に願います…」
すっかり裏返しである。

名前を聞かれて、おまえの父親の幸右衛門だと答えると、
「ああ、右衛門のお友達ですか、手前どもにも右衛門という父親がありますが、
  朝から晩まで働いて、金の勘定ばかりしています。親類相談のうえ、
  あの右衛門は勘当…」 
『親を勘当するやつがあるか!』

「やかましい!黙ってりゃいい気になりやがって、ちったァ世間の親を見習え。
  風邪でも引いたとなると、小遣いやって女の所へ遊びに行けと言う。
  そばで見ていて涙が出らァ」

『なにを云いやがる、父親の真似ばかりしやがって…。
そんなに真似がしたかったら、六尺棒持って、もう一編追いかけてこい!』

2006年11月28日

福祉が充実すると、社会が乱れる

■金沢の「小路」
「路地」のことを金沢では、小路(こうじ)という。私が生まれ育った、武家屋敷のある長町の小路。その小路に沿って、 古都金沢の趣きただよう用水が流れる。

ひがしや、にしの茶屋街、東山や寺町を一歩入ると、どの小路も曲がりくねって、自動車がやっと通れるくらいの細い道が続く。 百万石城下町は、狭い小路や袋小路が到るところ迷路のよう…。加賀藩が戦略目的で造ったという。
戦いになれば、敵兵を"袋小路"へ誘い込もうというのです。

時折、百間堀や白鳥路、出羽町、本多町かいわいを、愛犬ヘブンと散歩する。
しっとりたたずむ城下町の、日頃気づかないない情緒に触れることができる…。

某新聞社が、「日本の美しい街並み」をアンケートで尋ねたところ、当然「京都」が一番。以下、「倉敷」「奈良」「金沢」「高山」の順で続く…。


【心と体の健康情報  - 271】 
~子育て心理学~
「福祉が充実すると、社会が乱れる?」

米国で2005年に生まれた子どもの36.8%がシングルマザーの出産と、米国疾病対策センターが11/24公にした。 (11/ 25 読売新聞より)

米国在住25年、松尾 和先生の講演から。

松尾先生は米国在住25年のピアニスト。日本でも演奏活動を行っている。
十六・七年前から、アメリカの後追いをしている日本の教育の現状を憂え、全国各地の保育所を廻り、園児のお父さんやお母さんに、 21世紀の子育てのあり方について講演、啓蒙活動を行っている。

米国の男性の三人に一人は、子供が生まれても何もしません。
初めから何もしようとしないのです。アメリカ人社会の中に、暖かい家庭を育てていく空気がなくなってしまったのです。

家庭を持ち、子供を育て、暖かい家庭を築いていくことが幸せにつながる。そんな空気が無くなったのです。 人類が命をつないできたのは、「幸せは夫婦を中心とした家庭にある」と信じ、 事実そのようにして幸せを手にしてきたから、人間社会が存続しえたのです。

それが先進国と言われる国で、ド~ッと崩れ始めたのです。福祉国家と言われるスウエーデンでは、50% が未婚の母。英国、フランス、オーストラリア、いずれも三人に一人が未婚の母です。
こういった現状を打開しようと、更に福祉の充実に力を注ぐ。

ここで、問題に気づかなければならない。福祉が充実するのと比例して、未婚の母や幼児虐待が増えるということを… 。安心して子供が生める環境を整備することが、真の幸せ社会になると信じて疑わない人たちがいることに、 問題があるのです。

安心して子供が生める環境を整備することは、気楽に子供が生める環境づくり、気楽に離婚ができる環境づくりにつながっていく…。
母子家庭が増えてきたからと、完全保育の施設を充実させるのはいい。
が、一方で、未婚の母親が生活できる生活環境を整えなければならなくなる。

保育所が充実するということは、子育てに困らなくなるということです。益々気楽に子供を生むことができる社会になり、 気楽に子供を産んで、益々福祉の充実が叫ばれるようになるのです。そして、子供を自らの手で育てることをしなくなるのです。 それが福祉先進国、北欧の現状なのです。

同じ現象が、年寄りに対する家族の接し方にも見られる。病院の施設が充実すると、年寄りを病院に預けて、見舞いにも行かない。 体の良い厄介払いである。
本人は、家族と一緒に自宅療養を望んでいるというのに…。
それを見て育った孫たちは、そうするのが当たり前のことのように思ってしまう。

大分前のことだが、市内の老人養護施設へ慰問に訪れたことがある。
寝たきり老人のベッドの周りは、オシッコの臭気が漂い、ベッド下のPタイルがフヤけてまくれ上っている。タイルを取り去って、 ヘラで床の汚れを取り、ノリを付けて新しいPタイルを貼る…。

その作業の間ずっと、聞くに耐えない騒音悪口を、私に投げかけてくる。
頭はもうろくしていても、口だけは衰えを知らないようです…。
オムツを取り替えている看護師に聞くと、体が不自由で、家族にも会えず、ストレスが溜まっているせいだという。 このような風景は日常茶飯事なのです。

今の満ち足りた生活と、その環境を維持したいがために、あるいは、仕事を続けたくて、手のかかる子供や年寄りを、 人まかせにしようとする。
いずれ同じようにして、それを見て育った我が子に、見捨てられてしまうかもしれないのに…。そのことに気づかない。

今、家庭という一つの宇宙が崩壊しつつある。一度崩れてしまうと、元に戻ることがないから始末が悪い。家庭の崩壊は、 地域社会の崩壊につながり、急な坂をころげ落ちるように、どんどん崩れていく。私達は今、そのことに気づかなければならない…。

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