■ヘレンケラーとサリバン先生
ヘレンケラーは、一歳の時重病にかかり、
幸い命は助かったものの、口は利けず、
目は見えず、耳も聞こえず、生きるだけの、三重苦を背負って生きていくことに
なった。
ヘレンの家庭教師に、サリバン先生がやってきた。その日から不屈の挑戦が始ま
った。「水」の一字を教えるために、井戸端に行って手に水をかけ、水を飲ませ、
手に"水"と書いて教える。こうして一字一語覚えていった。発声練習も必死にやった。
8歳の時ボストンの盲学校に入学。休暇で家に帰ったとき、「お母さま、ただいま」
と言ったのには、皆、飛び上がるほど驚き、母は喜びのあまり抱きしめた。
その後猛勉強して、大学に入学。勿論サリバン先生も一緒。ヘレンの手のひらに
先生の講義を書き続ける、サリバン先生の底知れない忍耐が二十数年に及ぶ。
24歳の時、優等生で卒業。それからの生涯、世界の平和と救済のために働き続
けた。日本にも三度来日している。
サリバン先生との出会いがなかったら、後のヘレンケラーは存在しなかっただろう。
【心と体の健康情報 - 265】
~子育て心理学~
「人は一つの使命を持って、この世に生まれてくる」
「♪ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね…」
九十六歳になる詩人、まど・みちおさんの作品「ぞうさん」です。単に母と子の、
なかよし童謡ではなく、象の子が「お鼻がながい…」と、からかわれる歌です。
でも、象の子は「そうだよ、ぼくの一番好きなかあさんも、長いのよ」と、誇ら
しげに答える。そんな歌だと、まどさんは言う。「象が、象に生まれたことを
誇りにしているのです」 9/20 中日新聞「中日春秋」
私の子どもの頃も「いじめ」はあった。中学1年のクラスに、韓国系の女の子が
転校してきた。「朝鮮、朝鮮とパカにするな…」と囃したてられ、泣かされてい
た。可愛そうに思ったが、私も、クラスの生徒も、いじめの矛先が自分に向け
られるのが怖くて、見て見ぬ振りをしていた。
あの子は今どうしているだろうか…?心の傷は癒えただろうか…?
五十年経った今も、思い出すと心がうずく。
人は、この世に生まれてくるとき、神様から一つの"使命"を与えられ、
一通の手紙を持って生まれてくる。誰よりも足が速かったり…、誰よりも体が
大きく力持ちだったり…。早く走る能力を持って生まれた子は、それを生かし
て人生を歩んでいけばいい…。
ところが、それに気づかず、「自分は何でこんなにチビなんだろう。どうして
力がないんだろう」と、自分にないものを求め、憧れ、うらやみ、ねたみ、
悩む。そんな子が、いじめっ子になったり、いじめられっ子になったりする。
小学生の頃の私は、運動会が大嫌いだった。原因は、幼稚園の親子遠足。
白山姫神社の境内での恥ずかしい体験が、私をかけっこ嫌いにしてしまった。
園児が5~6人並ばされ、顔に紙袋をかぶせられた。
ヨ~イドンの掛け声で、お母さんの声のする方へ駆けていく。そうやって順位
を競う、楽しい親子リクレーション。
袋をかぶせられ前が見えない私、お母さんの声はすれど、どっちへ行っていい
か分らない。気ばかり焦る。その内に、よそのお母さんの声がしなくなった。
私の母親の「こっちよ!こっち!」と叫ぶ声だけが、聞こえる。
ようやくゴールにたどり着き、紙袋を取ったら、周りの視線が私に集中してい
た。みんな私を見て笑っていた…。その時の恥ずかしかった屈辱感が、心の底
の傷となって残った。そして私は、運動会のかけっこが大嫌いになった。
「マラソンランナーは相撲取りになれない。相撲取りはマラソンランナーに
なれない」
生まれながら、小さくきゃしゃな子供に、「あなたが持って生まれたその"力"
で、世の中のお役に立ちなさい」と、神様は言わない…。だから、力持ちに
なろうなどと思わなくていい。誰からも期待されないことに劣等感を持つなど
、まったく無意味です。
ほとんどの人は、神様から託された一通の手紙を開封することなく、自らの
価値に気づかず、一生を終えていく…。