■素読のすすめ
論語を学ぶのは、「素読」が基本となります。
孔子の言葉を文字を通して見、自分の声で表し、これを自分の耳で聞く。
それを何百回と繰り返すことで、全身の皮膚から知らずしらず、体内に深く染み
込んでいく…。
何れ、それが思いがけない時に、その人の風格・人格となって、自然とにじみ
出るようになる…。 伊与田 覚「論語のはなし」より
「素読」を続けるうちに、しだいに我が身についてくる。純真で記憶力の旺盛な
幼年期が最も良いとされる。
吉田松陰や橋本佐内は、12歳の頃既に、藩公の前で教えを講じている。
幼い頃、父が農作業の合間にあぜに腰を下ろし、四書の素読を繰り返し教えた
という
【心と体の健康情報 - 247】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え/ 苦労人のことば」
論語は、孔子という人の言行論、つまり人間や、人生や、政治についての感想や
意見をまとめたものです。孔子が自ら書いたものではありません。
仏教の経文やキリスト教のバイブルと違って、宗教書でもありません。
孔子没後五十~百年の間に、弟子たちが孔子と問答して教えられた言葉や、
国々を訪れた時に、その国の君主と交わしたときの対話などを集めたもので、
書かれたのは、二千数百年前の中国、戦国時代。
論語が日本に伝えられたのは西暦285年、百済から朝廷に献上されたと、
日本書記に記されている。奈良・平安時代には、皇族・貴族・僧侶の間に読まれ
るようになり、鎌倉から戦国時代になると、「論語」は「孫子の兵法」などとともに、
武将や僧侶の愛読書として親しまれた。
江戸時代、家康は治世の要として、「四書五経」を奨励した。五代綱吉は幕府に
学問所を設立。各藩には「藩校」を作らせ、「四書五経」を教え、武士の教育に当
たらせた。
庶民には寺子屋を奨励し、「手習い(習字)」と「論語」を学ばせた。江戸末期には
寺子屋の数が、全国一万五千余にもなったという。
明治から昭和、そして終戦まで、「論語」は"人生の指針"として、また"生活の
規範"として日本人に愛読され、日本人の心を育てる上において、大きく影響し
た。論語は読んだことがなくても、孔子を知らない人はいない。
しかし、昔ほど論語は読まれなくなった。何故でしょうか? 論語と聞いただ
けで、堅苦しい修身の教科書といったイメージが強いからでしょう…。
しかつめらしいお説教が書かれているのではないか? それならご免だと、
読もうともしない人が多いように思うのです。
これには「孔子=聖人」というイメージも関係しています。孔子の教えを受け継
いだ人たちを"儒家"と呼びますが、後世の儒家たちが孔子を尊敬するあまり、
聖人だと持ち上げてしまった。それが、孔子や論語を私たちから遠ざけてしま
う遠因でしょう。
実際の孔子は、イメージするような完全無欠な人間ではなかった。
むしろ"人生の苦労人"と言った方がぴったりします。その苦労人の言葉を
まとめたのが「論語」なのです。
「論語」の内容は、孔子が日頃弟子との間で語ったものを、まとめて書かれた
ものです。落語でご隠居が、熊さん、八ッあんに語って聞かせるような気安さ
を感じるのです。でなければ江戸時代、庶民にあれだけ普及することがなか
ったでしょう。
PHP 「リーダーのための中国古典・
論語」から引用