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2006年06月 アーカイブ

2006年06月02日

守備範囲の違い

■じゃんけん文明論
何事にも勝敗をハッキリさせようとするのが西洋の文化。
コインを投げて、「表・裏」で勝ち負けを決める。「二項対立の思考」である。
一方、日本、韓国、中国などの東アジアには、ジャンケンに象徴される
三すくみ肯定」の思想がある。

例えば、子ども達が何かの順番を決めるとき、欧米人だと、いろんな理屈を
つけて自分を優先させようとする。日本や韓国・中国の東洋人は、ジャンケン
の結果に従う。西洋には、ジャンケンでモノ事を決めるという習慣がない。

調和ではなく、ひたすら「優位性」を競う西洋思想は、現代社会に様々なゆがみ
をもたらす。国際政治の場では、それがしばしば覇権主義となって現れてくる。
一方の東洋は、「融和の精神」を大事にしてきた。中国の兵法書「孫子の兵法」は
「戦わずして勝つ」を、戦いの第一眼に置いている。そこに、東洋の精神が伺える。

法人 4月号より 



【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 126】
~日本人のアイデンティティ~
「守備範囲の違い」

昔の話になるが、鍵山秀三郎氏が、日本からトイレ掃除のメンバーを引き連れ、はるばるブラジルへ出かけ、公衆トイレを掃除した。
ブラジルに"トイレ掃除の会"が組織されるのを、後押しするためである。

西欧社会では、職業における階級制がはっきりしていて、仕事の範囲が明確、分化している。自分の守備範囲が明らかで、その範囲内でしか働かない。
他人の仕事に余計な口を出さないし、手助けすることもない。

地元の新聞は、はるばる日本からやって来て、トイレ掃除をしている人たちを写真入りで記事にした。賞賛しているのではない。どうして社長さん達が便所掃除をするのか? 理解に苦しむのです… 
ブラジルでは、トイレ掃除は階級の低い人たちがする…。不可解極まりない。
貧しい人たちの仕事を奪うつもりか? そんな驚きの意味が込められていた。

以下、曽野綾子「透明な歳月の光」からの抜粋です…

外国に旅行すると、時折はっとする面白いことがある。
パリで、韓国料理の店に入ったとき、この店の主人と眼が合った。
それだけで、何か用があるだろう?と、来てくれた。
大した用ではない。塩が欲しかっただけだが、こういう微妙で素早い反応は、パリに生活していて、なかなか体験できない。

店員は呼ばなければ来てくれないのが普通。多くの場合、呼ぼうとしても、視線を逸らせ、気付かない振りをする。「韓国人も、日本人みたいなところがある…。察して、先回りしてサービスする」、そんな気配りができるのです。

パリのホテルで、ポーターに「部屋の読書灯がつかないんですけど…」と言ったら、「それは私の仕事ではない、ハウス・キーピングを呼んでください」との答えが返ってきた。
自分の受け持ち以外のことには、一切関知しないのです。

アジア系の航空会社の客室乗務員も同様である。今年の一月、女子ゴルフ世界選手権が南アフリカで開かれ、藍ちゃんとさくらちゃんが、日本代表で出かけた。その時、ゴルフバックが中継地の香港に取り残されるというハプニングが起きて、出鼻をくじかれた。それが原因なのか?結果は散々だった。

私(吉村)も、ニューヨークを経由してフロリダへ、飛行機を乗り継いだ時、空港にトランクが取り残されるというトラブルに見舞われた。日本ではあり得ないことです。
「どうしてですか」と尋ねたら、「荷物を扱う人が、自分の守備範囲さえちゃんとしていれば、あとは無関心。目配りしないからですよ…」との答え。

手違いで、変な場所にスーツケースが一つ取り残されていたりすると、日本なら、付けられている荷札を見て、自分の受け持ち外の、他の航空会社の荷物であっても、本来のルートに乗せるよう手配りするだろう。それくらいの親切は当たり前のことである。
外国の人は口を揃え「日本人は親切だ」と言う。日本人は、無意識にやっていて、案外親切行為と思っていないのかも…

こんなことをテーマにしていて、ふと、プロジェクトXに共通性があることに気づく。日本人のチームワークの良さと応用力である。世界一だろう。
仕事の範囲に垣根がない。良いと思ったら、自分の受け持ちであろうが、なかろうが、気軽にやってしまう。

一般社員に混じって、経営のトップがトイレ掃除をする。これこそ、日本人が誇りにして善いことであり、日本人が持つ、日本人独特の優しさではないでしょうか…。

2006年06月06日

孔子の教え/苦労人のことば

■素読のすすめ
論語を学ぶのは、「素読」が基本となります。
孔子の言葉を文字を通して見、自分の声で表し、これを自分の耳で聞く。
それを何百回と繰り返すことで、全身の皮膚から知らずしらず、体内に深く染み
込んでいく…。
何れ、それが思いがけない時に、その人の風格・人格となって、自然とにじみ
出るようになる…。                  伊与田 覚「論語のはなし」より

「素読」を続けるうちに、しだいに我が身についてくる。純真で記憶力の旺盛な
幼年期が最も良いとされる。
吉田松陰や橋本佐内は、12歳の頃既に、藩公の前で教えを講じている。
幼い頃、父が農作業の合間にあぜに腰を下ろし、四書の素読を繰り返し教えた
という

【心と体の健康情報  - 247】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え/
 苦労人のことば」

論語は、孔子という人の言行論、つまり人間や、人生や、政治についての感想や
意見をまとめたものです。孔子が自ら書いたものではありません。
仏教の経文やキリスト教のバイブルと違って、宗教書でもありません。

孔子没後五十~百年の間に、弟子たちが孔子と問答して教えられた言葉や、
国々を訪れた時に、その国の君主と交わしたときの対話などを集めたもので、
書かれたのは、二千数百年前の中国、戦国時代。

論語が日本に伝えられたのは西暦285年、百済から朝廷に献上されたと、
日本書記に記されている。奈良・平安時代には、皇族・貴族・僧侶の間に読まれ
るようになり、鎌倉から戦国時代になると、「論語」は「孫子の兵法」などとともに、
武将や僧侶の愛読書として親しまれた。

江戸時代、家康は治世の要として、「四書五経」を奨励した。五代綱吉は幕府に
学問所を設立。各藩には「藩校」を作らせ、「四書五経」を教え、武士の教育に当
たらせた。
庶民には寺子屋を奨励し、「手習い(習字)」と「論語」を学ばせた。江戸末期には
寺子屋の数が、全国一万五千余にもなったという。

明治から昭和、そして終戦まで、「論語」は"人生の指針"として、また"生活の
規範"として日本人に愛読され、日本人の心を育てる上において、大きく影響し
た。論語は読んだことがなくても、孔子を知らない人はいない。

しかし、昔ほど論語は読まれなくなった。何故でしょうか? 論語と聞いただ
けで、堅苦しい修身の教科書といったイメージが強いからでしょう…。
しかつめらしいお説教が書かれているのではないか? それならご免だと、
読もうともしない人が多いように思うのです。

これには「孔子=聖人」というイメージも関係しています。孔子の教えを受け継
いだ人たちを"儒家"と呼びますが、後世の儒家たちが孔子を尊敬するあまり、
聖人だと持ち上げてしまった。それが、孔子や論語を私たちから遠ざけてしま
う遠因でしょう。
実際の孔子は、イメージするような完全無欠な人間ではなかった。
むしろ"人生の苦労人"と言った方がぴったりします。その苦労人の言葉を
まとめたのが「論語」なのです。

「論語」の内容は、孔子が日頃弟子との間で語ったものを、まとめて書かれた
ものです。落語でご隠居が、熊さん、八ッあんに語って聞かせるような気安さ
を感じるのです。でなければ江戸時代、庶民にあれだけ普及することがなか
ったでしょう。

PHP 「リーダーのための中国古典・ 論語」から引用

2006年06月09日

尺貫法

先週の木曜日、金沢音楽堂で、チャイコフスキー未完成交響曲「ジーズニ」を
鑑賞した。チャイコフスキーが亡くなる一年前(1892)、交響曲5番と6番「悲愴」
の間に作曲されたが、未完成のまま埋もれていた作品です。

ロシアのチャイコフスキー記念財団が補筆して、日の目をみた。
"日本ではまだ誰も聴いたことのない作品"と聞けば、是非にとも思う… 
ロシア交響楽団と共に来日した"西本智実"指揮による、日本初公演ツアー。
何と、ラッキーなことに、東京公演に先がけて、金沢で聴くことができたのです。

「ジニーズ」とは"人生・生涯"のこと。運命・夢・混沌・苦悩など、あやなす人生を
重奏な交響曲の楽章にのせて、ロシアの一流オーケストラが、聴衆を魅了する。
期待にたがわず、あっという間の1時間でした。

*西本智実 (宝塚の男役にぴったりの、美しく魅力的な女性指揮者)
  チャイコフスキー記念財団・ロシア交響楽団の芸術監督及び、主席指揮者。
  ロシアを代表する指揮者で、日本にも多くのフアンがいる。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 127】
「尺貫法」

一昨日6月7日は「計量記念日」でした。そこで今日は、ほとんど忘れ去られた
[尺貫法]なんだかんだ…

私の身長"五尺七寸"と言うと、今の若い人は「?」でしょう。
昭和41年、私が25歳の頃までは、物差しの単位は「尺貫法」でした。
中国から伝来し、長さの単位は「」、重さの単位は「」として使われてきた。

■子どもの頃、肥満の子がいたら「わ~い、わ~い、百貫デブ」と、囃し立てた
  ものです。体重を量るときの度量は「貫」でした。
  1貫 = 1000匁 = 3.75キログラム(5円玉1000枚分の重さ)
  私の体重は75キロなので「20貫」ということになる。
 
  「そんなことをしても、一文の徳にもならぬ…」と言いますが、今で言う「1円」
  のことでしょう…。江戸時代より更に以前、"1文銭"の重さを1匁と定めた。
  1文銭1000枚が"1貫目"になる。
  5円玉1枚は3.75グラム。1匁の重さと5円玉、同じ重さになります。

■子どもの頃、初めてフナ釣をした時、最初に釣れたのが"尺鮒"だった。
  見ていた周りの釣り人から拍手が…、あの時のことは今も忘れません。
  釣り竿の長さを言うときは「尺」。8尺~21尺くらいのものを揃えます。

 私たちの日常生活で、「尺貫法」は今も生きている。
  釣り竿以外にも、陶芸、着物、建築、不動産、酒造などの世界では、今も
  尺貫法が度量の基準。しかし、「五寸くぎ」や「一寸法師」がどれくらいか、
  分からない人が増えてきている…。
<長さ・距離> 1里=36町=約4キロ、     1町=60間=109メートル
          1間=6尺=約1.8メートル、  1丈=10尺=約3メートル
          1尺=10寸=約30センチ    1寸=約3センチ

大工が家を建てるとき、今も昔ながらの「曲尺(カネジャク)」が使われる。
メートル法が制定され、40年を経た今でも、建築の世界の寸法の基準は
尺貫法。建築物は一間・一尺を単位にして、家が建てられる。

そうした建設業界の慣習に逆らったのが、以前私が勤めていた積水ハウス。
創業の時から、「メートル」を間取りの基準にした。住宅業界に新風を吹き込も
うとする意気込みが、伝わってくる。
畳一枚の大きさは1×2メートル。柱間隔も1.8メートルではなく、2メートル。

床に敷くコンパネや、壁に貼るベニヤは「3×6(サブロク)版 91×182セン
チ」。だから、積水ハウスの内装大工、床や壁にボードを貼るとき、建材の寸
法が合わず、継ぎ足さなければならなかった。余分な作業を強いられたのです。
畳屋さんも、1×2メートル寸法の"畳表"、品質の良いものが少なく、困って
いた。
畳や建具のみならず、玄関ドアー、流し台から洗面器、ガラス・鏡に至るまで、
メーカー品すべて、尺貫法に合わせた製品が市場では主流…。
同じ建築面積だと、ライバルメーカーの間取りは、「八畳の洋間に六畳の和室」
となる。ところが、セキスイで図面を引くと、「六畳の洋間に六畳の和室」に
なってしまう。お客さまには、ライバル会社の間取りの方が良くなって見える。
そんな、営業面での苦労が付いてまわった。

「尺」には幾つか種類があって、それぞれ長さが違う。中でも、着物を仕立てる
ときの「鯨尺」は、「曲尺」より1.25倍も長い。

■子供の頃、冬になると、大人も子どもも皆、"足袋"を履いた。
  当時、足や靴の大きさを言うときは、「」という単位を用いた。
  「1文=2.5センチ」、25センチの足の人は、"10文"の足袋を履いた。
  この「文」、その昔"1文銭の直径"が2.5センチであったことから、付けられ
  た寸法だという。

■面 積
  1町=10反=9917平方メートル   1反=10畝  1畝=30坪  
  1坪=10合=約3.3平方メートル   1合=10勺
■体 積(量)
  1石=10斗  1斗=10升  1升=10合=約1.8リットル  1合=10勺
  上記の面積と体積の度量は、今も広く使われている。

2006年06月13日

孔子の教え/教養の書・論語

■「仁義礼知信」 「仁」とは 人を慈しむ心。
「義」とは 義侠心。
「礼」とは 礼儀・礼節・親を敬う心。
「知」とは 学ぶ心。
「信」とは 信頼・信じる心。

"孔子(前551~479)"の教えの中心をなすのは 「」。
孔子の高弟"曾子(前506~?)"の教えは、親孝行の 「」。

後に"四書"の一つに加えられた"孟子(前372~289)"は、 「」を重んじた。
孟子は孔子の思想を継承し、「性善説」に基づく王道政治を説き、諸国を歩いた。

「性悪説」を唱えた"荀子(前298~238頃刑死)"は 「」を重んじ、
秦の始皇帝は、国家統一を維持するために、これを重用した。

5/27 中国「曾子77代目」"曾 慶淳"先生 来日講義から

  

【心と体の健康情報  - 248】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え/教養の書・論語」

論語は、日本における最も基本的な教養の書として、千数百年読み継がれて

きた。「学而(ガクジ)編」に始まり「尭曰(ギョウエツ)編」を最後とする二十編、
五百近い章から成り立つ人間の記録です。

孔子の思想のキーワードは「仁」である。この「仁」の上に立って、 "人間論"
"政治論""指導者論"が、生き生きと語られている。
論語第一章「学而」の書き出しは、論語をまったく知らなくても、聞き覚えのあ
る言葉で始まります。
学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。
朋(とも)遠方より来る有り、また楽しからずや…

「勉強したことを何度も復習していると、理解が深まり、自分のものとして体得
できる。これぞ人生の喜びではないか!学問について志を同じくする友達が、
遠いところから来て、学問について語り合う。なんと楽しいことではないか!」

つい最近まで、日本人は中国古典を学び、人間としての素養を高めてきた。
とりわけ「論語」は、人間学の原理原則であり、先人たちは「論語」を心の拠り
どころにして、厳しい現実に対処してきた。

しかし近頃は、そういった素養を身につける人は少なく、それが政・官・財界の
倫理観の喪失、モラルの低下、不祥事につながっているように思えるのです。
孔子は「上に立つものはを身につけよ」と説いている。上に立つ者は、
それなりの"器量と人格、自分を律する倫理観"を持たなければなません。

利を見ては義を思い…(憲問第十四)
も、孔子が弟子に伝えようとした言葉です。
「利益を求めるときは、人としての正しい道を念頭においてみなさい…」
と言っている。
つまり、現代社会における不正な行為、金儲けのためになりふり構わずといっ
た風潮を、戒めているのです。
ライブドアや村上ファンドは、現代社会の在りようを象徴する事件でしょう。

義を見て為さざるは、勇無きなり(為政第二)
もまた、有名な言葉です。
「正義だと知りながら行わないのは、勇気がないからだ」

以下、PHP「リーダーのための中国古典・論語」からの引用です。

ある時、弟子の子路から
「先生の理想とする生き方は、どんな生き方ですか?」と尋ねられた。
孔子はそれに答えて…
『年長者からは安心され、同輩からは信頼され、年少者からは慕われ
  る。これが私の理想だよ』

平凡なように思われますが、極めて含蓄にとんだ言葉であることに
気づきます。これらは、聖人の言葉というより、人生の苦労をなめ尽
くした苦労人の言葉、といった方がぴったりでしょう。

論語は、噛めば噛むほど味が出てくると言われている。
それは、このような苦労人ならではの言葉が、沢山盛り込まれて
いるからでしょう。

2006年06月16日

食の不安

アルゼンチンは、牛肉は主食に近く、朝からステーキを食べるお国柄。ところが、
この五年で、牛肉の小売価格が二倍に高騰した。毎月5%とか10%、少しずつ
値上がりしていたが、気づいたら"倍"になっていた。

といっても、1キロ500円くらい。日本と比べたら価格は16分の1くらい。安い!
でも、家族四人、一日に1キロ半はペロリと平らげるお国柄。日本で、主食の
お米の価格が倍になったようなものです。

アルゼンチンは、鳥肉が一番高く、次が牛肉、豚肉が一番安い。しかし、吉野家
の"豚どん"のように、代替肉では我慢できない。牛肉でなければ満足できない国
なのです。
アルゼンチンの牛肉、BSEの心配もなく美味しい。長年、ヨーロッパに輸出して
きたが、政府は国民の不満を和らげるため、二ヶ月間輸出禁止にした。              

ところで、日本で米国産牛の輸入が再開されたら、食べるという人、アンケート
回答者の三割しかいませんでした。何となく不安で、安心できないのです。                                 
                                  6/13 NHKラジオ

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 128】
~食と健康~
「食の不安」

お金に余裕があれば、将来の食糧難の時代に備えて、自給自足のための畑を
一枚買っておくのがいい。深刻な食料難の時代が、間じかに迫っているのです。

以下、6/2 読売新聞社説。

国連の調査によると、今年の世界の穀物生産量は、昨年を1900万トン下回り、 2年連続で"生産が需要を下回る"見通しだという。
近年目立つ、世界規模での異常気象、地球温暖化の影響に加え、
燃料費の高騰が、穀物生産量に影響している。

この数年の間に、ロシアやイラクなど、世界の約四十ケ国が、深刻な
食糧不足に襲われると、国連は警告している。
遠い異国の出来事と思ったら大間違い。地球レベルで見る限り、
「飽食の時代」は終わろうとしている…。

加えて、温暖化と乱獲で漁業不振が続く。特にマグロは危機的だ。
牛肉の輸入停止で牛丼が消えたように、ある日突然なじみのお魚が
食卓から消えていくことに…。

世界の食料生産、需要と供給のバランスが崩れるにつれ、今後、国家間の政治
の駆け引きの道具にされるだろう。その鍵を握るのは中国。国が豊かになるに
つれ、15億の民の胃袋を満たす食料を世界に求める。世界一の穀物輸入国に
なろうとしている…。
中国の消費増大が、石油価格高騰の原因になったように、穀物市場も、供給不
足が市場価格を引き上げ、私たち庶民の台所を苦しめることになるだろう。

食のグローバル化が進む。食品スーパーの売り場には、世界中から輸入された
肉や魚、野菜・果物など、所狭しと並ぶ。経済成長が急速に進む中国やロシア、
インドなど、地球は今や巨大な胃袋と貸しつつある。
そんな中で、食料の六割を輸入に頼る日本の将来は、極めて不安定な存在にあ
る。
子どもの頃、毎年春の訪れと共に、旬の鰯が食卓にのった。朝、浜に上った
ピチピチの、砂にまみれた地の"鰯"を、湯にして食べた。新鮮で、脂がのって
いて、腹に子がいっぱい詰まった、安くてうまい庶民のお魚だった。
その鰯も、今は高級魚。今年はまだ一度も食卓にのっていない。

高齢化が進む農家。耕作者不足で農地が荒れていく。これもこまった問題です。
その一方で、いつの間にか飽食に慣れ、食べ物を粗末に食い散らかす私たち。
子どもの頃に躾けられた「もったいない精神」は、どこへいってしまったのだろ
う…。
「お百姓さんが汗して育てたお米、一粒でも粗末にしたらバチが当たる」
「私たちの命を守ってくれるお魚。残さずに感謝していただかないと、お魚さ
んがかわいそう」など、つい最近まで、質素を美徳とし、贅沢を戒めてきた。
しかし、昔のような暮らしに戻ることなど、とても出来そうにない。 

2006年06月20日

早寝・早起き・朝ご飯

「勝ちに不思議の勝ちあり。 負けに不思議の負けなし」
「たまたま勝つことはあっても、 たまたま負けることはありえない。
負けるには負けるだけの原因があるのだ」

財政窮乏の藩政改革を成し遂げ、名君と名高い平戸藩九代藩主"松浦静山"
(まつらせいざん 1760~1841)の言葉です。

「理念と経営五月号」企業事例、(株)ニソールの書き出しは、この言葉で始まって
いる。6/14読売新聞「編集手帳」も、この静山の言葉で始まり、プロ野球楽天の
野村克也監督も日頃、この言葉を口癖のように語っているという。

4年前のワールドカップで、世界ランキング下位の韓国が、世界の強豪を次々
倒して準決勝まで勝ち上った。「不思議の勝ち」だけではベスト4には入れない。
実力に裏づけされた快挙でしょう。
日曜夜は、ジーコジャパンの第二戦に続いて、ブラジル/オーストラリア戦、
韓国/フランス戦も観戦していたら、夜が明けてしまった。

【心と体の健康情報  - 249】
~子育て心理学~
「早寝・早起き・朝ご飯」

子どもの夜更かしを放任する家庭が多くなっている。
テレビを見るなど夜更かしをしては、朝寝坊、朝食抜きという悪循環に陥る。
そんな家庭の子どもが増えているという。夜更かしの習慣は、暗くなったら眠
り、夜が明けたら起きるという、睡眠のリズムを壊してしまう。

文部科学省は今年、こうした生活のリズムを改善し、バランスのとれた朝食や
早起きの大切さを知ってもらおうと、「早寝・早起き・朝ごはん運動」を始めた。
四月には、活動を推進するための全国協議会が設立され、各地で啓蒙活動が
開始された。
6/13「たけしの本当は怖い家庭の医学」で、「夜更かしの習慣を放っておく
と、恐ろしい病気になりますよ!」を取り上げていた。

夜更かしの影響は、小学校の教室にも現れ、睡眠不足や空腹で、授業に集中
できない子ども達が目立つようになってきた。

夜更かしを続けていると、体内時計と実際の時間との間にずれが生じ、寝る時
間になっても寝つかれず、時差ぼけのような状態になる。そうなると益々眠れな
くなり、体調が崩れ、意欲が低下し、大人は仕事に、子どもは授業に集中でき
なくなる。
朝起きて直ぐは、胃の活動はまだ鈍く食欲がわかない。私のように、少し早く
起きて犬を散歩させた後の朝ご飯は美味しい。朝日を浴びることで、時計の
ずれが解消され、気分がさわやかになるからです。

データーによれば、「朝食」をきちんと食べてくる小学生は、全くか、ほとんど
朝食をとらない小学生より、テストの平均得点が、すべての科目で10%以上
高かったという。
子どもに「勉強しなさい!」「塾へ行きなさい!」と言う前に、「宿題したら早く
寝なさい!」と、やかましく言った方が、子どもの成績が良くなるのです。
世のお母さん方自ら、夜更かしを慎み、早起きをして、ご主人やお子さんに
暖かいお味噌汁にご飯といった、朝食を作ることから改めていきます。

ここの処が大事なのです。朝ご飯を食べてこない子どもの家庭は、共働きが多
く、お母さんはぎりぎりまで寝ていて、朝食を作らない。前日に、パンと牛乳が
テーブルに置いてある。子どもは、それに目もくれず、友達とコンビで買い食
いをいする…。
東京都の葛飾区の早起き推進協議会では、「小学5、6年生の半数」を目標に、
「10時までに寝る」運動を展開し始めた。
子どもの躾けをあれこれ言う前に、夜遅くまでダラダラ起きている、親の生活
習慣を改めることです。

6/2 読売新聞「くらし・学び」より

2006年06月23日

社名の由来

■言葉あそび 「ことばの意味を問う」
「語源」を探って、「へェ~」と納得するのも、ことば遊びの一つです。
今日は「ゴキブリ」の語源をたどってみます。

人間がこの世に生まれてくる遥か以前から生息し、現在もその姿を変えていな
いゴキブリ。これほど嫌われる動物も稀である。そんな「ゴキブリ」も、その語源
となると面白い。

「御器かぶり」が語源。「御器かぶり」が「ゴキブリ」と呼ばれるようになった。
「御器」とは食器のこと、「かぶり」とは、物を"かじる"の意味。
ゴキブリは"食器をかじる"の意味なのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 129】
~ことば遊び~
「社名の由来」

社名の由来を知るのも、意外と楽しいものです。
キャノン
キャノンの社名は観音様から取ったという… 。前身「精機光学研究所」の
創立者が観音様を信仰し、試作したカメラを「カンノン」と名づけたことに
始まる。
火災をあしらった千手観音の像を、会社のマークにしたこともあるという。

「キャノン」が商標登録されたのは昭和10年。
観音様⇒Kwanon⇒CANON
ギリシャ語の「カノン(規範)」の意味も重ねている。

ミノルタ
ミノルタの社名は、前身 「田嶋光学機器」の創業者・田嶋一雄の英語読みから
(M)achinery and (IN)strumente (O)ptica(L) by (TA) shima
「実る田」のカナ表記の意味も…

SONY  
この命名は、皆さんもよくご存知です。
ソニーは、Sonus(音)とSonny(坊や)の合成語

ブリジストン
ブリジストンは、創業者・ 石橋正三郎さんの名前を英語読みしたもの。
ブリッジ(橋)ストーン(石)

ノエビア
社名からか? よく 「外国の化粧品メーカー?」と尋ねられる。
現社長"大倉 昊"が、1964年航空機部品及びヨーロッパ雑貨の輸入商社
「J.OKURA&Co」を創業。1978年ノエビアに社名変更。
ノエビアは、スペイン語の「ノビオ(男の子)」と「ノビア(女の子)」の合成語で、
「恋人達」の意味。発想が、どこのネーミングより素敵です…

グリコ 
柿の煮汁から発見された「グリコーゲン」から…。

キッコーマン 
亀甲万=亀は万年から

サントリー 
  日の出ラベル「サン」に、創業者・鳥井伸治郎の名前を合体

パイロット万年筆
  セーラー万年筆の「水夫」 に対抗して、パイロット「水先案内人」と命名

シチズン
世界の市民(CITIZEN)に、 よい製品とサービスを提供したいというのが由来

ヤンマー
創業者オーナーである山岡氏は、 学生の頃「ヤンマー」というあだ名だった。


2006年06月27日

早寝・早起き・朝ご飯(2)

富山県内の高校生の半数が、食事の際に「いただきます」や、「ごちそうさま」を
言わないことが、19日の県の調査で分かった。
小学校から中学校と、年齢を重ねるごとに挨拶をしなくなる傾向にあるという。

家庭内で、毎日美味しく食事をいただけることへの感謝の心を教えることが、
「食育」の第一歩。小さいときに食事のマナーを教え、習慣化させておく。
大人になってからでは遅いのです。             6/20 北国新聞

■森信三・修身教授録から  「しつけ三原則」
一.朝、 必ず親に挨拶をする子にすること
二.親に呼ばれたら必ず、「はい!」とハッキリ返事のできる子にすること
三.履物を脱いだら、必ずそろえ、
   席を立ったら、必ず椅子を片付ける子にすること

【心と体の健康情報  - 250】
~子育て心理学~
「早寝・早起き・朝ご飯(2)」

家庭に朝型と夜型があるとしたら、ほとんどの家庭が、何となくテレビを見て
、夜12時頃まで起きていて、眠くなったから寝る…という夜型だろう。
そういった家庭では、子どもの夜更かしも放任状態。夜更かしをすれば、
その分朝寝坊する。そして、朝食抜きという悪循環に陥る。

文部科学省は今年の四月、こうした生活のリズムを改善し、バランスのとれた
朝食や、早起きの大切さを知ってもらおうと、「早寝・早起き・朝ごはん運動」
を始めた。
以下6/20北国新聞、金大大学院教授 木村留美子「子育て」記事から…

初めて一年生を担任した知り合いの先生の話では、三ヶ月を過ぎた
今、子ども達の状況は驚きの連続だという。
「背筋をピンと伸ばしましょう」と言っても三秒も持たず、教師の膝の
上に乗って離れようとしない子どもが、一人や二人ではない。

そして、「食べることにも、眠ることにも関心のない、生きていること
自体が億劫げな"気力のない子ども"がいる。その子は、体を起こ
してあいさつすることもできず、机に上体を預けたまま、顔だけを
こちらに向けて、「おはよう」と言う。

先生は、そうした子ども達を見て、ある共通点に気づいたそうです。
それは、朝食を食べて来ないのです。子どもに聞くと、親は朝食を
作らず寝ているという。
ならば、給食の時にはしっかり食べてくれるかと思いきや、そうで
もない。食が細くなっていて、食べることができないのです。

ところが、父兄懇談会の席では、最初に親たちの口をついて出てく
る言葉は、「成績」のこと。次いで「友だち関係」のこと…。
将来我が子をどんな人間に育てようというのだろう…。他人に迷惑
をかけず、立派に自立して生きていける人間に育てなければならな
いのに…。
未来ある、私たちの将来を託すべき子ども達。心と体を健やかに育
てる責任が、親にはあるのです。

家庭での躾けといっても、そんな大げさなことではない。親と子が
共に規則正しい日常生活を送り、時間になったら食べる・寝るとい
う生活を送る中で、お互い愛のある、礼儀をわきまえた暮らし方を
する。ただそれだけでいいのです。

毎日勝手気ままに生活し、わずかばかりの子育ての義務をも、
ほったらかして、勉強の出きる、素直で利口な子どもに育って
欲しいとは、虫が良すぎます。

2006年06月30日

覇権国家アメリカの嘘

ハインリッヒの法則

今月の初め、エレベーターの異常作動が原因で、高校生が亡くなるという事件が あって、世間を騒がせた。
今から60年前、アメリカの技師ハインリッヒが、労働災害の事例の統計を分析 して発見した「300:29: 1の法則」。
重大災害の発生を「1」とすると、軽い事故 が「29件」、そして見過ごされがちな、ささいな障害を伴わない事故が「300件」 発生しているという。
この「ハインリッヒの法則」、今回のエレベター事故が実証していた。
なのに誰も注意を払わなかった。回転ドアー死亡事故の記憶がまだ新しいというのに…。 今回も、それが生かされることはなかった。

会社で、「顧客からの重大なクレーム」を見過ごしてしまう社員や、経営者。 いつ起きるか分からない大きな「交通事故」。私たちの身の回りでも、このような 重大事故に結びつく、危険な兆候が起きていることを、見逃さないことです…。

26日夕方6時過ぎ、我社のまん前で正面衝突事故発生。バイクが正面玄関の 柱まで飛ばされて大破。乗っていた老人が大怪我をして、救急車で運ばれた。
玄関前は、大破したバイクと部品が散乱し、血のりがべっとり。 原因は、一時停止を怠った車と、スピートを出し過ぎた車の、出会い頭の事故。


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 130】
~歴史から学ぶ~
「覇権国家アメリカの嘘」

フセイン政権に言いがかりをつけ、経済封鎖を企て、圧 政からの開放と、自由を旗印に、イラクに攻め込んだアメリカ。計画通りフセイン政権を倒し、新たに 親米政権を樹立した。中東の覇権を手中に収め、石油を手に入れるためである。

その後、イラク介入のきっかけとなった、イラクの大量破壊兵器開発も、テロ組 織アルカイダとの関係も、結局はでっち上げの嘘だつた。昨年、ブッシュ大統 領は、国会の場で嘘を認め、陳謝した。

それでは、何のために息子達は戦場に行き、死んだのか?イラクで死んだ米兵 の母の問いかけ、米国内で共感の声が広がっていく。大統領の私邸近くに泊り 込んで、面会を求めたことがきっかけとなり、米兵のイラク撤退を要求する声 が、全米で高まってきている。

ベトナム戦争に反対したことで知られる、フォーク歌手ジョーン・バエズさんも 支援に駆けつけ、「私が最初に参加したときの、ベトナム戦争反対のデモは、 全部で十人しかいなかった。誰もこの動きを止められなかった」と、励ましの 言葉。もう歴史になった「ベトナムの悪夢」を、米国民が思い出し始めた。

ベトナム戦争拡大の発端は、東京オリンピック開催の年、1964年(昭和39 年)トンキン湾事件が始まりで、随分昔のことです。この事件は、米駆逐艦を ベトナム魚雷艇が、二度に渡って攻撃したことから…。

だが、二度目の攻撃はでっち上げだった。後に、攻撃の事実がなかったことが 明らかになった。この嘘がイラク同様、米国が泥沼戦争に足を踏み入れる転換 点になる。ベトナム戦争では、五万八千人の米兵が無駄死にした。 米国内の反戦世論の盛り上がりに、米国政府もようやく重い腰を上げ、イラク 撤退の時期を模索し始めている。

アメリカには、過去何度となく同じような策謀を繰り返してきた歴史がある。 18世紀末の対スペイン戦争では、フイリピンの棄権を手に入れ、メキシコ戦 争では、メキシコの領土の52%を奪い取った。パールハーバー、ケネディ 暗殺疑惑など、その歴史は陰謀が渦巻いている。
同じような嘘のでっち上げパターンで陰謀が繰り返される、 覇権国家アメリ カの次のターゲットは…? 北朝鮮ではなさそう…

もし、アメリカが北朝鮮と和解し、平和条約が結ばれたら、当然日本も右ならえ するだろう…。日本を脅かす近隣国が無くなってしまえば、米軍が日本国内に 軍隊を駐留する意味が無くなってしまう。
安保条約不要論が沸き起こり、「米軍よ出て行け!」の大合唱が起きないとも 限らない。 極東の軍事拠点日本を、絶対手放放さないアメリカ。米国は極東地域で、 緊張がほどよく継続することを望み、画策する。だから、どんなに日本が働き かけても、アメリカが六カ国協議で、北朝鮮と和解することなど、ありえないの である。

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