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2006年05月 アーカイブ

2006年05月02日

孔子の教え/論語を学ぶ

■孔子さまの子孫
先週の27日は、京都で論語の勉強会。孔子様の75代目の直系子孫、祥林先生
が伊与田先生の招きで中国から来日。通訳を挟んで、二時間半の講義を受けた。

孔子は紀元前551年、魯の都、現在の山東省曲阜(きょくふ)県で生まれた、春秋
戦国時代の「儒教の創始者」です。現在、孔子の子孫「孔家」を名乗る者は数知れ
ず、中国に400万人、韓国に10万人いるという。

中国における「孔家」は天皇家のよう。家系が途切れることなく続く。中国歴代の
王朝は途切れるが、孔子の子孫は世奪され、文化の源として尊重されてきた。
釈迦やキリストは宗教家で、教祖さま。子孫が現存しているとは聞いたことがない。

孔子は、思想家・教育家であって、宗教とは無縁。崇め奉わる存在ではない。
「儒教思想が排斥された文化大革命の時でも、迫害をうけることはなかった」と、
祥林先生は言う…。
曲阜市には、孔子を祭る「孔子廟」、孔子のお墓がある「孔林」、孔子の歴代の子孫
が住む「孔府」がある。これを「三孔」といい、北京の故宮と並ぶ中国古代建築物と
して、世界文化遺産に指定されている。

(注)前403 「孫子の兵法」が著される
    前221 秦が中国全土統一、始皇帝を名乗る

【心と体の健康情報  - 242】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え 論語を学ぶ」

ものには"本末"というものがある。 木に例えれば"根"が本であり、"幹や枝"が
末になる。人間の"本"は「徳性(道徳心)」であり、"末"が 「知識・ 技能」になる。

吉田松陰のことばに、「それ学は 人の人たる所以を学ぶ」というのがある。
"人の人たるゆえん"は、大きくは「徳性」と「知識・技能」の二つに集約される。
徳性を修めようと思うなら、「人間学」を修める必要があるのです。戦後60年、
私たちは末学一辺倒の教育を受けてきた。末学は大事だが、本学あっての
末学なのです。

本学といえば「論語」。その論語を学んで丸二年。今年三年目を迎える。
月に一度くらいで"学んでいる"などと、とても言えるレベルではない…。
ましてや論語を語るなど、とてもできない…。

「論語」といえばかしこまって学ぶもの…。孔子といえば聖人君子の代名詞の
ように思いがちですが、本当のところは、孔子の人生は苦労の連続…。
決して成功とはいえない人生だったのです。

孔子は、一国の宰相たらんと志ながら、雄途半ばで挫折。その傷心を乗り越え
尚、人間としての在るべき姿、君子たるものの在るべき姿を追求し続けたのです。
厳しい人生体験を重ねていく中から、人間としての生き方を語る書物が生まれ
た。それが論語なのです。
西の"バイブル"、東の"論語"と言われるように、昔から最も基本を為す教養の
書として読まれ続けた。江戸時代には、武家は「四書五経」を学び、農民や町人
は「手習い(習字)と論語」を寺子屋で学んだ。
寺子屋で学んだ町人・百姓の中から、幕末を動かす人物が多数輩出されたの
です。
メルマガでは、孔子の人生と、生き方をたどり、断片的ですが、私の心に残った
文列に焦点を当て、その文章が示す意味を理解し、深めていくことで、論語に
一歩でも近づいていければと思っています。

戦後、私たちの世代、こうした儒教思想や中国古典は、教育の現場から遠ざけ
られてきた。一部、社会の指導的立場にある人達の間で、経営者・管理職が読
む教養の書として、読み継がれてきたのです。

論語には、「人間として、自分をどう高めていくか?」、あるいは「人間関係
にどう対処するか?」
など、人間学の基本が様々な形で解き明かされていま
す。
日本人が過去に、世界一教養があり、公徳心の高い民族と言われてきたのは、
まだ物心つかない幼少の頃に論語を素読し、四書五経に慣れ親しんできたこと
に起因している。

今の時代、論語を親しむ人は少ない。そのため中国の古典は、ある程度人生
体験を経てから読んだ方が、理解が早いようです。特に「論語」は、一回こっき
り読み捨てにするような書物ではない…。折に触れ、繰り返し、繰り返し読むこ
とによって、いよいよ味わい深くなってくる。そんな"座右の書"のような書物な
のです。
いつまでも未熟な私。論語を学ぶことによって、少しは徳性らしきものが身に
つき、器が大きくなることにつながれば、幸いです…。

                  PHP 「リーダーのための中国古典・論語」から

(註) 四書…論語・大学・中庸・ 孟子の四書  
    五経…易経・書経・誌経・春秋・ 礼記の五書
(註)  君子…単に王様を指すのではなく、 徳をそなえた為政者のこと。
          現代の解釈では、人の上に立つ人、人格者のことを言う。

2006年05月09日

孔子の教え/信無くんば…

連休初めの28~29日の二日間、金沢で開かれた「クジラ・サミット」に参加
するために来沢した、熊本のY子さんと8年ぶりにお逢いし、食事を共にして、
クジラ談義に花を咲かせた。
Y子さんは、クジラ食品の製造販売の会社と、クジラ専門のレストランを経営。
毎年、捕鯨を推進する日本代表の一員として、国際会議に出席している話などを
伺った。
佐世保・五島列島は「鯨」捕鯨の町。連休の一週間、その地でスキューバダイビン
グを楽しんだ。佐世保まで乗用車で13時間、フェリーで2時間半、片道17時間
半かけて西日本を横断、九州長崎県西方沖に浮かぶ五島列島の煌めく海へ。
絶景ビュースポットで潜水を楽しみ、心身ともにリフレッシュした。

【心と体の健康情報  - 243】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え 信無くんば…」

私の近所の小学校。集団登・下校時、街の角々に父兄が見張りに立つ。
「街で知らない人に声を掛けられたら、口を聞いたり、言うことを聞いてはい
けません」と、先生は子ども達に注意する。
今の子ども達、物心つくか・つかない頃に、「人を信じてはいけません!」と
教え込まれる…?。寂しくも、悲しい世の中になったものです。

明治の初期の頃の日本人には「信」があった。米国の学者モースは、日本人を
生得(しょうとく)正直である」と、 自らの著書の中で書いている。旅館の部屋
の盆の上に置き忘れた財布が、一週間後もそのままで、無事だったという。                       
                                       (中日春秋より)
孔子も又、人間関係の基本としての「信」を、最も重視した。
「信」とは「信頼する・信じる心」「嘘をつかない」「約束を守る」ということです。
一言で言うと"誠実さ"といってよいでしょう。

論語に、 「人にして信無くんば、其の可なるを知らざるなり」(為政第二)
というのがある。
孔子は「人にあって信がなければ、どうしようもない。もはや人間として評価
に値しない」とまで断言しているのです。
"バレ"なければ、人が見ていなければ、好き勝手に何をしてもいいという、
そんな事件が多発する今の社会にあって、この「信」の持つ意味は重い…。

以下、PHP 「リーダーのための中国古典・論語」から、その一端を紹介します。

ある時、子貢(シコウ)という弟子が、
「政治の最も重点課題とすべきは何でしょうか?」と尋ねた。
孔子は答えた。
『一つは食料の充足、二つは軍備の充実、それに、社会の中に信を
確立することだ 』
「では、その三つの内、仮に一つをあきらめねばならぬとしたら、
どれを選ぶべきですか?」 
『軍備だよ』
「残りの二つの内、仮にもう一つあきらめねばならぬとしたら、 
どれになりますか? 」
『もちろん食料だよ。人間はいつかは死ぬ。死を逃れることは
できないが、この社会から信が失われたら、生きていても
その甲斐がないではないか 』

この問答から、孔子が人間関係を基本にして、「信」即ち"誠実さ"に基づいた
信頼関係を重視し、大切に思っていたことが伺われる。

孔子の教えは、「この人生をどう生きるか?」「目の前の現実にどう対処する
か?」
実生活での人間関係のあり方に注がれている。日常生活において、私た
ちの心を最も悩ます問題、それは「人間関係」です。論語はこの問題について、
様々な角度からヒントを与えてくれます。

2006年05月12日

知られていない本当の中国

4~5年前、東洋一の近代都市上海を旅行して、林立する超高層ビルを、田舎者
のように仰ぎ見たのを思いだす…。が、夜の上海は真っ暗。百万ドルの夜景の
香港とは大違い。ネオンも街灯も無く、車のヘッドライトの列も見えず、観光客で
にぎわう旧租界と新租界の一角のみ、照明で照らし出され、まばゆく輝いている。
その極端な落差が印象に残る…!

上海伊勢丹に並べられた商品は日本と同じ。上海の男性の平均月収は、当時
1万3千円くらい。とても庶民の手には入らない。
上海の人口は1750万人(東京1260万人)。「市民の2%、約35万人の裕福な
お客さまに来ていただければ、それでいいのです…」とは、支配人の弁。

日用雑貨の国際見本市を見学した。あらゆる商品が並べられ、東京の見本市と
遜色はない。ところが、街に目を向けると、お化粧をしたオシャレな女性は皆無。
日本でいえば、昭和30年代に近い…。町並みや庶民の暮らし、この4~5年で
どのように変わっただろうか? 現在の上海を見てみたいものだ。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 123】 
「知られていない 本当の中国」

友人のM社長が、北陸大学「孔子学院」の開校に参列した。その記念講演で、
中華人民共和国駐日大使"王 毅"氏が、「中国の進む道とアジアの未来」と
題して話をした。M氏は、講演の内容をA4、7ページにまとめ、メールで送っ
てきた。
内容は、中国政府が今後どのような考え方で、自国を発展させ、世界の一員と
して、諸外国と関わっていくかが示されている。話している内容は素晴らしい。
しかし、日本と中国がギクシャクしている本音のところは、語っていない。

そこで、中国には中国なりの国内事情があることを、題材にしたいと思う。
読売新聞 中国総局長・藤野彰氏が「ワールド・ビュー」で、現在の中国の本当
の姿を語っている。

「庶民は共産党を憎んでいる。心底憎んでいる。共産党以外の政党が許された
ら、俺も参加するよ」。党員暦三十年の知人がツバを飛ばさんばかりの勢いで
毒ずく…。
今の中国は社会主義ではなく"官僚資本主義"。高級幹部が病気になれば、国
が全部面倒みてくれる。金のない庶民がガンになったら、死ぬのを待つだけだ。
「社会の不公正は許し難い!」と、知人は批判する。

特権とは無縁の、ヒラ党員の知人と政治談議すると、よくこんな話になる。
彼に限らず庶民のレベルでは、党を腐す声は耳にしても、ほめ言葉などまず
聞かれない。党を取り巻く冷え冷えとした空気を実感するのです。

「中国脅威論」が国際的に取りざたされるようになって久しい。
ある者は「驚異的経済成長」を憂え、別の者は「急速な軍備増強」に警鐘を鳴らす。
民主党の前原前代表の発言にもあるように、日本国内でもかまびすしい。

しかし、15億中国の真の「脅威」は、党の威信が地に落ちるなか…、
独裁体制がシロアリの巣くう家のように、内側から溶解していくのではないか…
、その過程で、どれだけの混乱が生じるか、という不透明感にこそ、内在している。

体制のほころびは、既に幾多の悲惨な現実となって露呈している。
近年、中国では農民暴動、炭鉱災害、環境汚染(工場からのダイオキシン河川
流出事件)など、異常な重大事件が続発しているが、それらには共通の要因が
ある。
利権体質、官僚主義に象徴される政治・行政の腐敗と非民主性。
そして国民を軽んじて恥じない、権力者たちのおごり…である。
国民は社会の不公平に不満を募らせ、所得分配の不平等は、所得格差が著しい
中南米の諸国よりも、さらに深刻である。

社会矛盾に対する国民の不満は、常にはけ口を求め、暴発を繰り返す。
現政権は、単発の暴動や騒動は力ずくで押さえ込めるが、連鎖的発生を断ち切
る能力はない。人心が政府から離反するのと比例するように、党の支配力は
低下しつつある。
改革開放から四半世紀、市場経済を推し進めたこの十数年間、民主化の要求を
抑圧し、農民ら弱者を切り捨ててきた「開発独裁型政治」のツケが、いま回って
きている。
大国の威信を誇示する中国。だが、仮面の下の素顔は「出口の見えない混迷」
に震えている…。
そこで中国政府は、国民の不満を逸らし、中国の国威を発揮するには格好の、
2008年夏季オリンピック北京誘致に成功した。

2001年、IOCの投票で決定したのだが、中国が抱える「人権問題」や、国民
のスポーツ観戦のマナーの悪さを懸念する諸外国も多い。

2006年05月16日

0歳の超能力

「人々にしてほしいと、あなたが望むことを、
            人々にもその通りにせよ」

                     (新約聖書ルカ6章31節)
「私があなた方を愛したように、
       あなた方も互いに愛し合いなさい」

                   (新約聖書ヨハネ13章34節)                      
このようにキリストは私たちを導く。
弱者に愛の手を差し伸べ、愛をもって応えることを…。

【心と体の健康情報  - 243】
~子育て心理学~
「0歳の超能力」

私たちの周りに、"笑顔"のとっても素敵な人がいる。
その人は、笑顔が素敵なだけでなく、優しさや思いやりも人一倍強いようです。

以下中日新聞、音楽評論家 湯川れい子「言いたい放談」より…

いつだったか、アメリカの週刊誌が特集していた「0歳の超能力」
というリポートを見て、 これから子どもを産み育てるお母さん方に、
知っておいて欲しことがある。

赤ちゃんが生まれて三ヶ月の頃、周囲の人々が笑顔を降り注ぐほど、
赤ちゃんはよく笑うようになる。そして五ヶ月。いつも優しくして
くれる、大好きな人の姿を見ただけで、赤ちゃんは目を輝かせ、
満足そうな表情で、満面の笑みを浮かべる。

笑顔の素敵な人は、その人が0歳の頃に、母親や周囲の人たちから、
溢れんばかりの笑顔をもらって育ったのです。赤ちゃんの時に大人
たちに見せた笑顔。目を輝かせ、満足そうなあの笑顔…。
大人になった今も、赤ちゃんのときのように笑顔で応えてくれる。

0歳の、生まれてまだ数ヶ月の間に、知性が芽生え、社会性を身に
付け、冒険心、信頼、自信などが育まれる。あらゆる人間らしい
"感情と感性"の土台が出来上がってくる。
今、小中学校が荒れている。その原因をたどると、赤ちゃんを取り
巻く環境が、まるで雨が降らない砂漠のように、悲惨なことに気づ
くのです。

保育所が充実し、企業のお産休暇が一般化するなど、女性が外で安心して働け
る環境が整うようになった。それに反比例して、子ども達を取り巻く環境が荒ん
でいく。
青木和雄・吉富多美著「ハッピーバースデー」が、ベストセラーになった。
「ああ、あすかなんて、産まなきゃよかった」。できの悪い娘"あすか"に容赦な
い言葉を浴びせる母親。あすかの母は子どもの頃、親に冷たくされ、手をつな
いでもらった記憶がない…。
愛を与えられなかった子どもは、大人になって、人から愛を与えられても、
心は閉じたまま…。人に愛を与えることを知らない。

物語に、転校したクラスでの"いじめ"がある。いじめられっ子の机には、
「死ね!」「ぶっ殺す!」「消えろ!」…。
子どもの"命と心"を守るという、教育の基本を忘れ、見て見ぬふりの担任の
先生…。いじめを放置したと、学校に抗議する両親…。わが子に限ってと、
子どもがやったことの重要性に気づかず、認めようとしないいじめっ子の母親。

"いじめ"問題を解決するため、授業参観のホームルームが開かれた。
生徒も、先生も、父兄も、みんなで"いじめの意味"について、 "生きる喜び"
とは何かについて考え、そして話し合った。

話し合っているうちに、一人ひとりが、自らに問題があることに気づき始めた。
人を思いやる心に欠けている自分に、気づいたのです…。
そんな優しい心が、先生にも、生徒にも、父兄にも、欠けていたのです。

2006年05月19日

囲碁は脳を活性化する

フインランドの義務教育が、世界の注目を集めていることを、以前お伝えした。
1クラス20人。生徒一人ひとりの個性に合わせ、能力を引き出すカラキュラム
が組まれている。
先生が作るテスト。日本のような暗記形"穴埋め問題"はない。記述式の問題が
大半を占め、月に一度は、生徒を近くの図書館へ連れて行く。
読むこと書くことが、すべての教科の基礎。
創造的な内容や、理論的な文章を、繰り返し書かせるようにしている

小学校3年生に「大人になって何になりたい?」とマイクを向けると、どの子供も
目を輝かせ、即答する…。「ピアノの先生になりたい」「お父さんのような立派な
職人になりたい」。そして「世の中の役に立つ仕事をしたい」と、一言付け加える
事を忘れない。なりたい理由が明確だ! 
同じ年代の日本の子ども達…同じように将来の夢、語れるだろうか?

【心と体の健康情報  - 245】
「囲碁は脳を活性化する」

私の趣味の一つに囲碁がある。日曜のNHK杯囲碁トーナメントは、毎週欠か
さず録画して見ている。
著書「脳を鍛えるトレーニング」など、脳の研究では第一人者の、東北大学・
川島教授。NHKテレビに出演して、「囲碁は脳を活性化する」という研究結果
を、囲碁の模擬対局で実証して見せていた。
だからでしょう…囲碁を打つ人に、ボケはいないという。

そのことを、2月中旬の田舞通信でも、取り上げていた…

囲碁の対局中、難しい局面を迎えると、脳の活動が活発になる。
コミュニケーションがキーワードとなって、脳の形成は強化される
ようです。
つまりアナログでしか、 人間の脳は活性化しないように出来ている
のです。パソコン相手の囲碁でも、一応反応しますが、相手と目の
前で対局することで、脳はより刺激され、活性化することが、研究
の結果明らかになった。

明確には言えませんが、推論しますと、私はあえて、苦労すること
を奨めませんが、「苦労をするのは、 脳にとっては大切な栄養素だ」
ということを、 成功されたすべての人が実証しているのです…。

私のTT研修や、心理学セミナーなどで主張している主要エビデン
スを、川島教授が立証してくださったようで、とても嬉しい一日で
した。
会社を活性化できないのは何故か? その原因を考えてみますと、
意外に「脳の活性化」が遅れていることに、原因があるようです。

個人であれ、会社であれ、「将来ビジョン」 を持つことの大切さは、
この脳の活性化の観点からも言えるのです。
囲碁は、絶えず先を見通して打たなければ、負けてしまいます。
「自らの行く先や、あるべき姿」に、少しでも近づこうとする意欲が、
人間の脳を鍛え上げていくのです。

ですから、「夢は、いずれは実現したいが、すぐに取り組まなくて
もいいだろう。だから今は何もしていない」という、パターン化さ
れた思考回路だと、脳は活性化しないのです。

脳の陳腐化は、ビジョン実現への一番の妨げになります。
また、個人の目標、企業の発展を妨げる最大の要因になります。
成功する人は過去を反省し、未来に創造性を駆使して、ビジョンを
創り出そうとします。

そして、そのビジョン達成のために、「今ここに」 今を必死の努力を
するのです。ぼんやりと現在の時間軸に止まり、目先だけを見てい
るようでは、創造性を駆使することは出来ません。

「今ここに」の感覚を研ぎ澄まして、「未来の自らのあるべき姿」を創
りだしていくことです。しかし、いくら研ぎ澄ましても、自らの「環境」
が創造性豊かなところになければ、我々のような平凡な人間は、
感覚を研ぎ澄ますことなど、出来ません。

盤面上で向き合って戦うことは、ある面「環境」であり、パソコンでは
鍛えられないという、研究結果が出ている。つまり、部屋に閉じこも
り、一人ゲームに熱中する子供は、「デジタル人間化」してしまい、
取り返しのつかない結果を、その子ども植えつけ、成長の芽を摘み
取ってしまうのです。

さて、未来を創造しようと思ったら、環境を変えてみることが一番
でしょう。
  1)現実から思い切って離れてみる。
  2)現実の事実をゼロにして発想する。
  3)生きる意味を考え、自らの存在価値を高める意欲をもつ。
                                 田舞徳太郎

数年前、学習塾に加え、子どもを囲碁教室に通わせるのが、ブームになった。
「囲碁は脳を活性化する」。このことが、教育熱心なお母さん方を、駆り立てた
のでしょう…。

2006年05月26日

落語・しわい屋

■「ケチ」と「倹約」は混同されやすい
必要以上に金銭や品物を惜しむことを、「ケチ」という。
無駄使いをせず、お金を生かして、大切に使うことを「倹約」という。

昔、私の父親、同じ町内の商店主とちょくちょく、喫茶店でお茶を飲んだ。
ところが、ただの一度も連れは「今日は、私が…」と言って、財布を出した
ことがない。レジで払うのはいつも父。連れは「ごっつォさん」と言うだけで、
お金を払ったことがないという。
「あんなドケチな男はいない…」と、父が愚痴っていたのを思い出す。

このような人は心が貧しい…? だから誰も付き合おうとしない。
人間関係も乏しくなる。結果、世間にうとくなり、ご縁も遠ざかり、
運にも見放され、お金が回ってこなくなる…。
いくらケチって、財布の紐を堅くしても、倹約にはならない!
「風が吹けば、桶屋が儲かる」。ならば「ドケチ男は、お金が貯まらない」


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 125】
~ことば遊び~
「落語 しわい屋」

今日は、古典落語の名作、どケチ噺「しわい屋」の一コマ。
♪「しわい屋は 七十五日 早く死ぬ…」、なんてェ川柳がございますが、
居るんですねェ、大変ケチなお方が…。

あるけちな男、うなぎ屋の隣へ引っ越してまいりますと、毎日毎日、
うなぎを焼く匂いを嗅ぎまして、「クンクン、ああ~いい匂いだ」なんてんで、
この匂いをおかずに、ご飯を食べておりますと、月末になりまして、
うなぎ屋の主人が、隣に住んでいる男に勘定書を付き付けた…。

「毎日においをかがせてやっているんだから、さあ代金を払ってもらおうか」
『えエッ、勘定を取りに来たって…、あたしは匂いを嗅いでいるだけだよ、
  なんだい、この勘定書は…』
なんてんで、勘定書きを見ますと、「うなぎの嗅ぎ代、六百文」とあります。

隣の男、突然の無理難題に慌てず騒がず、懐から銭を取り出して、
手の中で、ジャラジャラ音を立てました。
「ほれ、においのかぎ賃だ。この銭の音を受け取って、とっとと帰りやがれ!」

翌日往来で薪を一本見つけまして、手を出して拾うのが面倒ってんで、
この…薪をけっとばしまして、ポンスコ、ポンスコ、自分のうちの前までまいり
ましたので、あとひとけり、ポーンとけとばしたら、見当が外れまして、
隣のうなぎ屋のガラス戸にぶつかり、ガラスが二枚ほど割れまして…。

それを見ていたうなぎ屋の主人、「あれ、あの薪一本のために、
ガラスを二枚…」、そのまま「う~ん」なんて、目を回してしまいまして…。
近所の人が驚いて、水を飲ませたり、薬を飲ませたりしましたが、
なかなか息を吹き返しません。するとそこへ、倅が帰ってまいりまして…。

倅の方は、わりかしと落ち着いているんですなァ…。
どうするのかと思って見ていますと、台所へまいりまして、口に水を含みます
と、おとっつぁんの顔めがけて、「ぷっぷっ~っ」と、水をかけまして…。
倅「おとっつぁん、しっかりおし、今の薬はただだよ!」つたら、
「う~ん」と目をさました。

ある日、うなぎ屋が親子で町を歩いておりましたら、
親父の方が足を滑らせまして、川へ落ちてしまいました。
泳げませんので、溺れております。
倅の方は助けたいんですが、これも泳ぎを知りません。通りすがりの人に、

倅「すいません、親父があすこで溺れているんですけど、助けてくれませんか」
男「はあ…、助けないことはありませんけど、助けたらいくらくれます?」
倅「ええ!お金取るんですか…、じゃ二百文だしますよ」

男「たった二百文ですか、三百文だしなさいよ」
倅「いや、いま親父の相場は安いんだ、二百文でお願いしますよ」
男「親父の相場なんて知るか! 三百文出しなよ!」ってぇと、
親父が川の中から、
「倅、二百文で頑張れ、三百出すなら、もぐっちまう…」

2006年05月30日

日本は悪い国?

今、世界で四千万人の人が武力紛争で家を追われ、難民生活をしている。
医療施設があれば防げる病気で亡くなる五歳以下の子供は一日三万人。年間で一千百万人。
小さな子供が労働に従事している数は、世界各国、合わせて二億五千万人もいる。
学校に行きたくても行けない子供は一億二千万人。世界あちこち、貧困に苦しむ人がいることを忘れてはならない。

ガソリンや灯油の価格が倍近くに高騰している。近い将来、世界規模の食料不足時代がやってくるだろう。それに乗じて、小麦や大豆などの生産国は、政治の道具、戦略手段に利用して、日本を悩ますだろう。
食料の約6割を輸入に依存している日本。この先大丈夫だろうか…? 
贅沢をつつしみ、無駄をはぶき、つつましやかな生活を心がけなければならない。

【心と体の健康情報  - 246】
~子育て心理学~
「日本は悪い国?」

24日、「教育基本法」改正案の今国会成立を目指し、国会討論が始まった。
自民党の町村議員の質問に、小泉首相が答弁に立ち、終戦直後、国民のすべてが貧しい暮らしを強いられたことを回顧し、日本を愛する心を忘れてはならないと答弁した。
改正案で野党が猛反対するのが、現行法で規定のない、国民の「愛国心」をめぐる条文の明記。

私は13歳まで芋粥で育った。貧しい暮らしから、豊かな社会に変革していく中を生きてきた。もし今また、貧しい暮らしを余儀なくされたら、それに耐えるだけの自信はある…。
心配なのは子供や孫たち。"貧しさ"がどういうものなのかを知らない。
貧しい暮しに直面したとき、耐えぬくことができるだろうか?

今の日本は豊かだ。この後、10年20年と進む中で、世界一の少子高齢化社会、人口の減少、地球環境の悪化など、厳しく辛い生活を強いられることになるかも…。そうした生活に耐えるだけの心構えを、今のうちから養っておくことだろう。

以下、曽野綾子「日本は悪い国なのか?」から…

世界の多くの国の人々は、お金がなければ、医療行為は受けられない。救急車も、急患の家族がお金を用意できなければ、血を流している怪我人や、痛みにのたうち回っている病人がいても、そこに置き去りにして行ってしまうのが普通だ…。

日本でお金を持たないホームレスが、真冬道に倒れていれば、救急車は必ず収容するだろう。そんな国が世界中にあると思ったら、<大間違いだ!年金が国民の問題になっているが、何とか生活出来るだけの年金が、老後に支給される国が、世界にどれだけあるというのか?
日本の健康保険制度は世界一だ。全ての国民が安い医療費で賄える。<そんな国は、日本をおいて他にない。

ジャワ島で又も地震が起きて、四千数百人が犠牲になった。被災地では、発生後三日経っても、誰も救援に来てくれないと、TVで報道していた。しかし日本では、越後地震や、豪雪の被災者を何日も放置することはない。

税関の役人が、空港を通過する人に、公然と金品をねだる国旅行者に「マネーマネー」と、子どもがまとわり付く国は、世界中至る所にある。
「ワイロを持ってこなければ許可証にハンコを押さない」と、公然と言う役人がいる国が、ついお隣にある。

アメリカの警官は、同じ市民の黒人を街中で引っぱたく。
日本にそんな警官がいたら大ごとだ。
日本には停電はないし、家に食べるものがなく、お腹が空いて学校で勉強が手につかない、などという子供もいない。
何キロも歩かなければ学校に通えない子供も、滅多にいない。

貧困ゆえに、物乞いや、ゴミ場あさりが日課となり、学校へ行けない、そんな子供もいない。そんな豊かな国日本。不満を言う前に、もっと世界の実情を知らなければならない。

そして子ども達に教えなければならない…。「日本人に生まれたことに感謝しよう」「お金を大切にしよう」「贅沢を慎もう」「欲しいものも我慢しよう」。毎日美味しくご飯をいただけることを感謝する国民になろう…。

国を愛し、国を大切に思う心は、日本人であることの感謝の心から芽生えてくるものでなければならない。
ある機関の調査で、「他国に攻め込まれ、殺されそうになったらどうする?」と、<高校男子生徒に問いかけたら、何と70%の生徒が「恐いから逃げる…」と答えたという。
君が代のように、国民に愛国心を強制・強要するのもどうかと思うが、世界の国々で、今の日本人のごとく、国を愛する心を忘れてしまった国民など、どこにもいないだろう…。

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