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2006年04月 アーカイブ

2006年04月04日

孔子の教え/譲り合いの精神

致知出版「仕事と人生」 の編者、川人正臣氏の奈良県の自宅を訪れたのは4年前。
当時、小学校六年と三年生の姉妹、幼稚園児の長男、そして奥様の5人家族。
ご主人に導かれ玄関に足を踏み入れ、驚いた。奥様と三人のお子さまがお出迎え。
玄関かまちに並んで、一人ひとり可愛い声で自己紹介。躾がなされていて、礼儀
正しい。
毎朝行われる家族のおつとめに参加しようと、一晩泊めてもらった。
朝六時半、家族全員座敷に正座。神棚に拍手を打ち、朝のお参り。次いで数分間黙祷…。
その後、全員「論語」 を素読する。子ども達の素読の早いこと。ついていくのがやっと…。
私が論語に触れたのは、この時が最初だった。午前七時、家族揃って食卓に着く。
私も一緒に朝食をいただいた。

お暇をすることになって、玄関に出たら、来たとき同様、子ども達・家族全員玄関に
立った。…お別れの挨拶を交わした。こんな素敵な家庭…初めてです。

【心と体の健康情報  - 238】
~古典から学ぶ~ 
「孔子の教え/譲り合いの精神」

交差点で接触事故を起こし、相手に「すみません」と言ったばかりに、その一言
を盾に一方的に制裁を押し付けてくる。こんなケースが増えてきている…。
嫌な世の中になったものです。

交差点の事故は、双方に非がある場合が多い。一昔前であれば、とりあえず
接触したことを謝罪するのが礼儀。自分に非がなくても、一歩控えて謝する、
そんな謙虚な心があった。
今は一言でも「すいません」と言おうものなら、
『あなたは今謝られましたね! 自分の方に非があると認めるのですね!』
と、念を押され、補償交渉を有利に導こうとする。昔の日本人なら、誰一人と
してそんなことを、考えたりしなかっただろう。

欧米の個人主義は、自分に非があっても「謝らない」と聞く。自らの権利を主張
しなければ、相手につけ入られ、どんな目に合うかわからない…とか。
そんな西欧の風潮が、日本にも浸透…。
昭和も中ごろ迄の日本は、まだ戦前の教育の影響が残っていた。
「礼」を重んじ、「譲り合う精神」があった。 論語に以下の文章がある。

『 師曰く、 よく礼譲をもって国をおさめんか、何か有らん。
  よく礼譲をもって国をおさめずんば、礼を如何にせん 』 
(里仁第四)
「先師が言われた。礼の根本である譲る心をもって国を治めれば、なんの難し
いことがあろうか。その譲る心をもって国を治めなければ、礼制がいかに整っ
ていても、どうしようもないであろう」

ライブドア事件や、姉歯事件を契機に、今の国会で様々な法改正が取りざた
される。人間としての根本に欠ける事件が頻発するのは、「それを定める法に
欠陥があるからだ」という。
そこで、法律をより厳しくして、事を治めようとする考えが、頭をもたげてくる。
中学や高校で、やたらと校則を厳しくして、問題の発生を規則でもって抑え込
もうとするのと何ら変わらない。問題の根本解決にはならないと思うのです…。

「人の本性は悪で、先天的に利欲の心が強く、善に見えるのは偽りで、
天性に従って行動すれば、争いが絶えない」

このような 「性悪説」 を唱える荀子(じゅんし) を他国から招き入れ、国家統一
を図った秦の始皇帝。法と刑罰で国を治めようとして、民心の離脱を招き、
わずか15年で国が滅びた。
孔子は「国を治むるは徳をもってなすべし」と言う。「仁・礼」がまず先で、
その後に「法」がある。二千年も前に、孔子はそのことを諌めているのです。

古代中国、聖王"周"の文王は、自らの"徳"によって、中国全土の3/2の
諸侯が帰服したとある。
ある時"虞(グ)と苪(ゼイ)"に紛争が持ち上がり、その制裁を周に求めてきた。
両国の君主が文王に呼び出され、周を訪れた。一歩周の領内に入ってみると、
農民はあぜを譲り合っており、年寄りを敬して立て、年長者に譲る気風がみな
ぎっているではないか…。
二人はすっかり我が身を恥じ、「我々の争いなど、この国では物笑いの種、
恥をかきに行くようなものだ」と、早々に引き返し、お互いに譲歩し和解した
という。 
                                   論語の友9月号より

2006年04月07日

地球がうめいている(3)

毎朝犬を散歩させる公園の桜。つぼみが大きく膨らみ、春のおとづれを告げる。
そこへ思わぬ寒波…明日から4月というのに、雪が降った。

志賀高原でスキー翌日の土・日、4月1日、スキー同好会の皆さんと六人で、志賀高原に遠征した。
新雪で真っ白に輝く2千メートル高原ゲレンデ。真っ青に晴れ上がった空。最高のスキー日和になった。まばゆい太陽をたっぷり浴びて、 ゲレンデを滑降。二日間、たっぷり春スキーを楽しみ、青春(※)を謳歌した。

夜は、渋温泉の外湯巡り。
露天風呂につかり、雪景色を眺めながら、ビールで喉をうるおした。
そのひと時がたまらなく幸せ! 今年は雪が多く、大いに楽しめた。

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 119】
「地球がうめいている(3) 世界は今、気候大異変」

今から五十年前、金沢の郊外金石海岸の砂浜は、今の二倍近く広かった。

当時、この砂浜で毎年、全国高等学校相撲大会が開かれた。
浜茶屋から海辺まで遠く、足の裏が焼け、必死に走ったことを思い出す。

あの美しい千里浜ドライブウェイも、今は海岸が侵食され、消滅寸前…。
越前海岸も、観光開発で海岸が擁壁で覆われ、道路が拡張され、海岸線が埋め
立てられ、芝を敷き、ベンチが置かれ…。あの、美しかった自然はもうない。
海や山、河川に人工の手を加え、化石燃料を燃やし、地球を破壊し続ける文明
社会。すべてこの100年の間に、人間がやったことです…。
地球誕生からの長い年月を考えると、瞬きする一瞬でしかない…。

メディア論の学者、マーシャル・マクルーハンが、好んで語った言葉…。
「誰が水を発見したのか分からないが、魚ではないだろう。水中に棲み、
いつも目にし、接している魚は案外、水の大切さに気づかないものだ…」 

このまま温暖化が進めば、地球環境はどんどん悪化し、破壊されていくだろう。
北極の氷が2070年には解けてなくなるという。永久凍土が溶けて、十年の間
に60メートルも海岸が後退した。先住民族が住む家を失い、村ごと移住をよぎ
なくされている。それが、アラスカ州だけで184ケ所にもなる。

数年前から、古都ベネチュアが、高潮の被害に悩まされるようになった。
干満の激しいモルジブなど、赤道直下の島々も、海面が上昇し、南太平洋の
島々が水没しつつある。日本の3,5倍もの面積が、既に水面下に没っしたと
いう。それに伴う難民の移動が、新たな民族紛争の種になってくる。

温暖化が進めば、2100年には水面が88センチ上昇し、日本では500万人
の居住地が奪われるという。地球の危機が刻・一刻と近づいているのです。

昨年、中米やヨーロッパで、記録的な干ばつに見舞われた。世界至る所で乾燥
が進行している。そしてついに昨年、アマゾン川の一部が干上がった。
あの広大なアマゾンの森林が消滅しつつあり、2100年には砂漠になってし
まうという。
アマゾンの森は、地球の二酸化炭素を吸収してきた。森林が無くなれば、地球
上の二酸化炭素が更に増大し、温暖化を早めるだろう。

スペインも、昨年145年ぶりの大干ばつに見舞われ、雨は平年の半分しか降
らなかった。果樹園や穀物に大被害をもたらし、収穫量が平年の40%になっ
たという。このような干ばつの被害が、たびたび起こるようだと、スペインの国
土の40%が砂漠になってしまうという。

穀物生産の将来予測では、ロシアやカナダは増える。アフリカ南部、アメリカ、
中南米、南アジアなど、広大な地域が干ばつで減産。現在60億の人口が、
2050年には90億になる。世界的規模で深刻な食料不足が進み、食料の奪
い合いが始まるだろう。

日本の稲作。シュミレーションでは、北海道は13%増収となる。関西以西は、
高温化で収量が15%ダウン。日本全体で10%減収となる。青森県弘前は
ミカンの産地となり、北海道がリンゴの主産地になるという…。
                
                    2/19NHKスペシャル「温暖化・気象大異変」より

2006年04月11日

孔子の教え/思いやり

■最高の子育て
大阪の"お好み焼き千房"中井政嗣さんが主催する「50キロ歩破チャレンジ大会」
が、先週の土曜日に催され、 川人正臣さんの会社や、ご家族の皆さんが挑戦した。
次の日の日曜日、奈良県の川人さん宅を慰労訪問。ご家族の体験を伺って、みん
なが共通の困難に挑み、達成感を共有できたことは、何にも勝る素晴らしいことだ
と思った。
奥様、お嬢様、みんなが励ましあい、10時間歩き通しての完走。小学四年の長
男は、お父さんの腰に結ばれたロープに引っ張られて完走した。足はまだ痛いと
いう。親子が一つの絆で結ばれ、励ましあったから出来たこと。手にした子ども達
の自信は大きい。次なる挑戦へ…夢は膨らむ。

公園の桜は今が見ごろの満開。途中、宇治平等院と、奈良興福寺周辺を散策。
真っ青に晴れ上がった春の香りを、たっぷり満喫した。


興福寺・五重塔

奈良公園・鶯池

【心と体の健康情報  - 239】
~古典から学ぶ~ 
「孔子の教え/思いやり」

論語には、心に残る文章が沢山出てきます。以下の文もその一つです。
「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」
              (顔淵第十二・衛霊公第十五)
「自分が嫌だと思うことは、人に無理強いしたりしない」

この論語の一節は、日本人の心の底に根ざしている優しさでしょう…。
その優しさも、今は薄れ、なくなってしまったようです…。
メルマガ236号で、フランシスコ・ザビエルが鹿児島の地にやってきて、
日本人が大変優れ、感嘆したことを本国へ書き送った。

ザビエルから三百年の後、明治の世になっても、その日本人の精神は脈々と
受け継がれている。それは、日露戦争で乃木大将が、旅順を陥落させ、敵将
ステッセルと会談したときの逸話の中に、見られる。

敗将ステッセルの一行は、白旗を掲げてやってきた。日本から来た新聞社の
カメラマンたちは、この歴史的一瞬を撮影して、勝利を華々しく祖国に報道し
ようと待ち構えていた。ところが乃木大将は、これを差し止めてしまった。

一体何故? 軍人にとって降伏することは、この上もない不名誉であり、
まして、その屈辱の情景を、これ見よがしに報道されることは、当人にとって
死ぬ以上に辛いことだからです。

かって西南の役において軍旗を奪われ、一死をもってその償いをせんとして、
果たせなかった乃木。ステッセルの辛い心の内が、痛いほどわかるのです。
武士の情けがわかる乃木は、心細かに配慮して、手厚くステッセルを出迎え
た。
本来、敗軍の将には帯剣は許されない。乃木は、それを特別に許している。
乃木は、この激戦で、二人の息子を戦死させた。そのことをステッセルは深く
哀悼し、相互にその善戦健闘ぶりをたたえ合った。
乃木の厚遇に感謝したステッセルは、自分の愛馬を乃木に送ることを約束して
いる。
この会談には、勝者のおごりも、敗者の卑屈もなく、共に祖国のために堂々と
戦った将兵の、誇りと満足と相互の尊敬とが、静寂を取り戻した戦場の茅屋
に、暖かい雰囲気をかもし出したのです。

論語の友1月号より

2006年04月14日

石川県をライバル視する富山県

石川県は、台湾のエバー航空に「小松-台湾」チャーター便増発を働きかけてい
る。今年、エバー航空がボーイング(216人)から、エアバス(253人)に変更する
に伴い、滑走路が二千メートルの富山空港への乗り入れが出来なくなる。

そこで、新たなチャーター便の就航先として、2,700メートルの滑走路を持ち、
大型機への対応が可能な、小松空港に着目。エバー航空は昨年、富山空港で
78便就航した実績があり(小松はわずか5便)、富山県は危機感を強めている。

04’の石川県の外国人宿泊数は、前年比6割増の7万8千人。うち台湾からが、
前年1万6千人から二倍の3万3千人と、全体の43%を占める。台湾人に最も
人気のある「雪・花・温泉」。
外国人観光客誘致に力を入れる石川・富山の両県、互いに譲れないところです。
                                       3/8 北国新聞

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 120】
「石川県をライバル視する富山県」

昨年秋、五輪誘致に敗れたパリ市民は、「ロンドンだけには負けたくなかった」
と悔しがった。ライバルがいることは、互いに発展するためには良いことです。
が、これが、身近な隣人同士となると、始末に負えない…。
今回の誘致合戦でシラク大統領、熱心さのあまり、つい口をすべらせ、イギリ
ス料理をこき下ろし、物議をかもした。このニュース、まだ記憶に新しい…。

近年、韓国や中国は日本に、政治・経済・スポーツ、すべての面で、露骨なまで
のライバル意欲を燃やしている…。
国内でライバル関係といえば、関東と関西、東京と大阪の比較論が盛んだ。
関西では、大阪と京都が何かと張り合う。岡山と広島、浜松と静岡、鹿児島と
熊本など、挙げればきりがない。

身近には、富山県が石川県を、富山市が金沢市をライバル視するのは、今に
始まったことではない。
石川県は温泉どころ。富山県には立山黒部ルートがある。県外からの観光客
誘致で、富山県は石川県に追いつき追い抜せと頑張ってきた。そして、ついに
石川県を追い抜いた…。

富山県は今年度、企業誘致の助成金を最大30億円から、50億円に引き上げ
た。前年一足先に、上限を35億円に引き上げた石川県を強く意識しての措置
である。
大手企業の、中国への進出ラッシュが一段落し、国内回帰の動きが強まる中、
全国各地で IT関連を中心に、企業誘致合戦が激しくなってきている。
そんな中での両県のせめぎ合いである…。
JR新幹線誘致では、富山市までとなっていた"フル規格"。金沢まで延長する
ことに成功した、石川県のねばりもすごかった…。

一方、町村合併で見せた富山市の、金沢市に対するライバル意識もすさまじ
い。金沢市が、隣接するベッドタウンの野々市町、内灘町にソッポをむかれ、
合併ゼロに終わったのに、富山市は、隣接の7市町村が大同合併し、人口42
万の都市になった。
金沢に追いつくまで、もう一歩のところまできた。金沢(45万)を抜いて、北陸
一に執念を燃やす。近い将来"道州制"になったときの「州都」を夢見ているの
でしょう…。
富山県のライバル意識は、小松空港と富山空港のせめぎ合いにも見られ、
「上海便」獲得競争に露骨に表れる。一昨年、石川県と激しい誘致合戦を繰り
広げ、一敗地にまみれた富山県。
昨年突然、10月から富山ー上海便を"週3便"就航させると発表した。

週に2便就航していた小松ー上海便も、富山に負けじと、火曜に一便増便した。
今の中国、海外旅行は容易ではない。個人が日本のビザを取得するには、
日本側の身元保証がいる。また、かなり所得がないと、パスポートも手に入ら
ない。高度成長真っ只中の中国だが、海外旅行はまだまだ。一部の富裕層に
限られている。

中国からの観光客が期待できない中、北陸という狭い地域での顧客の奪い合
い…。週2便が一気に6便になって、共倒れになるのは誰の目にも明らか。

しかも、富山空港週3便のうち2便は、先に運行している小松と同じ、木曜と
日曜にぶつけてきた。限られた顧客獲得に、戦いを挑んできたのです。
小松便を利用する客の20%は、富山県から…。富山県航空対策課では、
小松に流れるすべての客を取り戻そうと、ライバル意欲を燃やしている…。

2006年04月18日

思いやり(2)

我が家のビーグル犬・ヘブンを散歩させる公園の桜。満開を
過ぎ、ハラハラと散り始めた。

満開になるや、さっと散って
しまう"桜"は日本人の心。
日本人は、それを「潔さ」の
象徴、美徳としてきた。

また、その潔い姿に、人々は"この世の無常"を思い、戦国の武将たちは、己の生き様をそこに投影した。 

西洋に広く日本の武士道を紹介した新渡戸稲造。桜の美しさは、日本人の心の
美しさであり、「気品・優雅・純真」さであると表現した。

【心と体の健康情報  - 240】
~歴史から学ぶ~
「思いやり2」

明治23年、トルコ軍艦が紀伊大島の灯台沖で座礁沈没。艦長以下581名の
尊い生命が海に消えた。(詳細はメルマガNo244)

村人の必死の救助で69名が助かり、お寺や小学校に収容されたが、当時村に
は井戸もなく、雨水を飲み水にし、魚を売ってお米に換える貧しい暮らし。
みるみる蓄えが尽きて、食べさせるものがなくなった。最後に残った貴重なニワ
トリまで、トルコ人に食べさせたという…。

つい少し前の時代の日本人、親切で優しい心を持った人が多くいた。
「大和魂」 武士道精神が、庶民の心の中に息づいていた時代。 日本人に生まれた
ことを誇りに思い、質素で贅沢を慎み、貧しさを不幸とは思わない清貧な暮ら
しぶり…。貧しい中にも、もの事に耐える辛抱強さ、我慢強さがあった。
一つ、命にかけて、事に対処する覚悟」があった。
一つ、自分の利益よりも、周囲の利益を優先する、自己犠牲の精神があった。

トルコの軍艦沈没という、日本の海運史に残る大惨事から15年後、日露戦争
が始まった。

そのとき、乃木将軍が、敵将ステッセルに示した武士道の精神は、西洋諸国
に賞賛されたが、東郷提督率いる海軍も又、乃木に劣らぬ逸話を残している。

ロシアがその命運をかけて、はるばる派遣した精鋭バルチック艦隊を、東郷艦
隊は対馬海峡に撃滅した。その勝利は、世界の戦史に類を見ない輝かしい
ものになった。
1550年、フランシスコ・ザビエルが見た当時の日本同様、人を思いやる優し
い心を持った日本人。それが、この海戦における、幾多のうるわしい逸話とな
って、今に伝えられるのです。

トルコの軍艦が沈没した時同様、この海戦においても、波間に漂う敵兵を懸命
に救助し、医療、食事などに万全を期し、捕虜を暖かく遇している。
敵兵の水死体は海流に乗って、山陰の海岸に漂着した。付近の住民はこれを
引き上げ、手厚く葬り、冥福を祈ったという。

万里の彼方から来航、武運つたなく祖国に殉じた勇者に対する思いは、それが
敵であろうと変わりはない。うるわしい人間愛が、どの日本人にもあった。
海戦に惨敗して、総崩れになった敵艦隊の中から、逃れ行く一隻の駆逐艦が
あった。それを、「武士の情け、深追いはするな」と、見逃したりもしている。

ロシアの提督ロジェストウインスキーは、この戦闘で重傷を負い、人事不詳に
なって救助され、佐世保の海軍病院に収容された。東郷は直ちにこれを見舞い
、なぐさめの言葉をかけている。

東亜の小国日本が、大国ロシアを破るという、輝かしい勝利もさることながら、
日本国民のすべてが、武士道的精神にのっとり立派に戦ったことが、全世界の
好評を博したのです。そのような日本人の道義的態度は、国際社会における
日本という小国の信用を、いやが上にも高らしめたのです。

ただ不幸なのは、この勝利がその後の日本人の心を慢心させた。道義心が
どんどん低下していった。そして、昭和20年の敗戦へ、転がり落ちていった。

終戦後、平和を願うあまり、学校教育の場から、軍国主義的残渣が一掃され
ていく。その確認のため、占領軍の係官があちこちの学校を査察して廻った。
ある小学校で運悪く、乃木と東郷の肖像が物置から発見された。随行の校長
がハッと顔色を変えた。その時、査察官の口から意外な言葉が発せられた。

「乃木、東郷は、日本が生んだ世界に誇るべき武将です。私は偉大な二人を
尊敬しています。日本が今日の不幸を招いたのは、彼らのような立派な武将
がいなかったからではないですか? この肖像、廃棄するには及びません…」
                                   論語の友1月号より

戦後、小学校にあった二ノ宮金次郎の銅像は撤去され、消えていった。
ところが、占領軍司令官マッカーサーは、逆に「尊徳は日本におけるリンカーン
である。新生日本は、二宮尊徳の所業に学ばなければならない」と、奨励し
たのです。
それにも関わらず、左翼系の先生で占められた日本の教育現場は、こうした
日本人が誇りにすべき偉人たちまで、戦後教育の現場から抹殺し、子ども達に
教えようとはしなかったのです。

ですから私の脳裏に浮かぶ偉人は、ワシントンやリンカーン、ベンジャミン・
フランクリン、エジソンなど、西洋の偉人たちばかり。
                                        
3月、京都で開催された「第一回・日本を変えた、すごい人サミット」に参加した。
そのとき選ばれた日本の先覚者は、空海・中江藤樹・坂本竜馬・山田方谷・
吉田松陰・伊庭貞剛
の6名。
中江藤樹や山田方谷については、名前も浮かんで来ない。空海は歴史で学んだ
が、その偉業を語れない…。

2006年04月21日

勘違い

香林坊東急109の向かいに、"菊一"という老舗のおでん屋がある。
片町にハンドバック&アクセサリーの店を出していた、20代の頃、ちょく
ちょく暖簾をくぐった、思い出の店です…。

■言葉遊び 「字謎あそび

その店の欄間に色紙が飾られていて、「春夏冬二升五合」とある。
このまま読んでも意味が通じない。トンチを効かさなければ読めません。

まず「春夏冬」、これには秋が抜けている。「秋がない」から「商い」と読みます。
「二升」は、「升+升」ですから「ますます」と読む。
「五合」は、一升の半分ですから「半升」、すなわち「繁盛」と読む。
これらを合わせて、「商い益々繁盛」になる。

・では、「一斗二升五合」は、どう読むのでしょうか?
一斗は五升の倍なので「五升倍」、つまり「ご商売」と読む。
「ご商売益々繁盛」というわけです。 


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 121】
~ことば遊び~
「勘違い」

前回の下ネタ艶笑落語は"勘違い"。そこで、今回も勘違いの続きを…

■「聞き違い・勘違い」   
パソコンもファックスもなかった昔、新聞記者が急ぎの原稿を電話で送った。
記者の間で大笑いして、後々まで語り草になったという、聞き違い・勘違いの
傑作があります。

読売新聞奈良支局から原稿が送られてきた。
読むと、 「宮様が東大寺で大カメをご覧になった」とある。
東大寺に大亀がいるとは、本社の誰も聞いたことがない。
原稿を送ってきた支局に、確認のため問い合わせた…。

「モシモシ、大きなでいいですか?」  『はい、 大きなです』
ツル、 カメの亀ですね!」       『はい、釣り鐘の鐘です』
「確認ですが、動物の亀ですね!」    『はい、 大仏の鐘です』

●思い込みはこわい。ホテルの「スイートルーム」が、 新婚さんが泊まるという
  連想から、「SWEET(甘い)」と思い込んでいる人が多い。実際はそうではな
  く、「SUITE(次の間付き)」なんだそうです。

●手近に置いて愛用するから、愛玩物という意味で「ペットボトル」 と言うよう
  になったのかと思っていたら、何と、難しい英語三語の頭文字から取った
  「P.E.T」なのだそうです。

●もう一つ、私達が普段着ている「Yシャツ」。
  その語源、えりがYの字になっているからと思っていたら、そうではなく、
  「ホワイトシャツ」と言うのを聞き違えて、Yシャツと言うようになったのです。

■「変換ミス」
パソコンや携帯電話の変漢ミスは、しょっちゅう起きる。
日本漢字能力検定協会が発表した「2005年度・変換ミス年間賞」

「今年から 海外に住み始めました」と、メールしたはずが、
『今年から 貝が胃に棲み始めました』と、間違って送られた。

これは、念願の海外移住を果たした女性が、友人に送ったメールです。
読んだ友人は、「彼女の胃は大丈夫かしら…」と、心配したそうです。

・その他のエントリー作品
「地区陸上大会」が、『チクリ苦情、退会』
「規制中で渋滞だ」が、『寄生虫で重体だ』
「正解はお金です」が、『政界はお金です』
「五百円でおやつ買わないと…」が、『五百円で親使わないと』

「言わなくったっていいじゃん」が、『岩魚食ったっていいじゃん』
「深くお詫び申し上げます」が、『不覚お詫び申し上げます」
「今度のイブ、空いています」が、『今度のイブ、相手います』
「経済波及効果」が、『経済は急降下』

2006年04月25日

本当に反省できたら、顔つきが変わる

京都駅美術館「えき」で、モネ、セザンヌ、
ゴーガン、ゴッホなどの「印象派」の名画を
鑑賞した。目玉は、ルノワールの
「レースの帽子の少女」。

モネやルノワールの作品には、「点画」
が多い。自然界のキラキラと輝く色彩を
キャンバス描き出そうと、絵の具を混ぜ
ると、どうしても色がにごってしまう。
   
光に包まれた自然の色彩を描き出すに
は、絵の具を混ぜずに原色のまま、同
じ大きさの小さな色彩の粒を沢山並べ
て描き出す「点画手法」をあみ出した

【心と体の健康情報  - 241】
~幸せな人生を歩むために~
「本当に反省できたら、人間顔つきが変わる…」

NHKで放映中の韓国ドラマ、「チャングムの誓い」に出てくる悪役女優たち、
悪いことを企んだときの目つき・表情は、まさに悪人そのもの。見ていて腹が
立ってくる。一流俳優の証しであろう…。
私にも相手にも同じことが言えるのだが…、初対面の人の第一印象、わずか
数分で、相手が何ほどの人物なのか分ってしまうから恐ろしい。

苦労した人か、器が大きいか、小さいか、大らかか、細やかな人か、優しいか、
大概察しかつく。相手の表情、目つき、言葉、態度etc、日頃の姿が表情・
態度に表れてくる。お互い、そうやって相手を推し量るのです…。

今人気絶頂の六星占術の細木数子。「来るべき運命のすべてを解き明かす」と、
毎晩どこかのTV番組に登場する。彼女は直感力に長けた話術の天才である。
あのクリクリした大きな目で、「ずばり言うわよ!」と、マジマジ見つめられたら、
ヘビににらまれたカエルのように、細木の術中に引き込まれてしまう…。

何か悪いことをして、ひた隠しにしている人。会社が倒産寸前なのに、平静を
装っている人。私の経験では、そういった人の顔色はどす黒く、陰気で、どこ
か身体の具合でも悪いのでは? そんな表情をしているものです。

以下、コラムニスト・秋庭道博氏の「きょうの言葉」からの抜粋です。

「本当に反省できたら、人間顔つきが変わるものだ」
これは、テレビプロジューサー、 橋本テツヤ氏の言葉である。
何か人に知られたくない、後ろめたいことがある人の表情・目つきはよくない。いくらひた隠しにしていても、 表情に表れてくる。
「悪いことをした」とか、「失敗した」とか、「自分が至らなかった」
とか、「自分の責任で、多くの人に迷惑をかけてしまった」と、本当に反省し、悔い改めるなら、 その人の言動は、以前とは変わっていくものだ。それにつれて、顔つきが変わり、態度も謙虚になっていく…。
ところが、構造計算書偽造事件で世間を騒がせた人たちや、民主党の某国会議員のように、 人騒がせなことをして、事件を起こして、"おわび"をした後も、厚顔無恥であったり、 独断専行だったりする人は、顔つきや態度が少しもよくならない。なぜであろうか? 

それは、心からわびていないからだ。そもそも「遺憾だ」とか、「あってはならないことだ」 などという言葉は、謝っていることにはならない。

国会の答弁、「善処する」なども、自分の責任を棚に上げた、ごう岸そのものの
言葉だろう。エライ人ほと、責任を取ろうとしない…。
だから、「二度とあってはならない」と言いながら、同じことがたびたび起こる。
反省することのない当事者。当然、顔つきも態度も変わらない…。

2006年04月28日

失敗を生かし、勝利した米国

■原爆投下
私はS16年10月23日生まれ。原爆製造が決定されたのは12月6日。
真珠湾攻撃、太平洋戦争へと突入する前々日です。
歴史に"もし"はないが、仮に第二次大戦の勝敗が逆転していたら…、
原爆投下は、明らかに人類に対する最大級の戦争犯罪になるだろう。

その際、A級戦犯としてリストされる人物が、ヴァニーヴァー・ブッシュである。
ブッシュは、原爆計画の立ち上げから製造・投下、そして戦後の核管理まで、
政治の中枢にいて、政策決定に影響を与え続けた米国の科学官僚である。

ブッシュらは、日本をイエローモンキー、米国の対等の敵とはみなさず、ソ連や
米議会に対して、米国の科学水準の高さを誇示する、デモンストレーションの
対象として、原爆を投下したのです。日本人を殺すことに、何のためらいも
なかったのです。
「早く戦争を終わらせるために、やむを得なかった…」とは、投下後にアメリカの
マスコミが創りあげた、プロパガンダだったのです。
       平凡社・歌田明弘著「科学大国アメリカは 原爆によって生まれた」

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 122】
~歴史から学ぶ~
「失敗を生かし、勝利した米国」

NHKその時歴史が動いた「戦艦大和の悲劇」と、映画「俺達の大和」を見ての 感想です。
真珠湾の失敗を生かし成功の糧にした米国。一方、その成功を生かせなかった 日本。双方の違いが勝敗を分けた。歴史から学ぶ教訓です。

真珠湾攻撃から米国は、航空機が海戦を制する時代になったことに気づいた。
直ちに、年に50艦、週に一艦という猛烈なスピードで、航空母艦の建造に着手した。
一方、日本海軍は、初戦、劇的勝利を収めたにもかかわらず、その勝利を生か
すこともせず、世界最大の巨艦、戦艦大和と武蔵の建造に血道を挙げた。

第一次大戦の後、世界の列強は、30インチ砲から46インチ砲へと、巨艦建造
にしのきを削った。46インチ砲は、三万メートル先の敵艦を攻撃出来る。
30インチ砲だと、二万メートル先にしか届かない。過去の海戦では、巨艦で
もって先制攻撃を仕掛けた方が、俄然有利になる。

日露海戦で完璧なまでに勝利した日本。その勝利、その成功体験が、神話に
なった。航空機が主役の時代になったことへの判断を、甘く見てしまったのです。
もちろん日本海軍も戦力増強のため、航空母艦を建造した。ところが日本には
米国の十分の一の建造能力しかない。なのに、巨大戦艦の建造に、人・物・金
・時間、国力のおお方を注ぎ込んだ。これでは勝てるわけがない。

米国は、開戦わずか一年で、200隻もの航空母艦を有し、太平洋、大西洋に
強力な戦力を有する海軍に変貌した。そんな国力を持つ米国に、愚かにも
日本が戦いを挑んだのです。

アリが、密かに巨象の足の指の間に忍び込み、奥のほうの柔らかい肉に噛みつ
き、初戦に勝利したようなものです。
案の定、両巨艦、期待に応える戦果を何一つ挙げることなく、海の藻くずと消
えていった。沈み行く大和の艦内で、兵士がつぶやいた…。
「命をかけて戦った! だが、何も守れなかった。家族も…故郷も、無念…」

私たちもまた、時として同じ愚を繰り返す…。過去の成功体験が成功神話と
なり、固定観念となって、判断を誤らせてしまう。過去の大きな成功が、時代
の変化に対応する能力を奪ってしまう。会社を経営危機に陥れてしまうこと
になる。
「失敗によって目覚めた戦艦大和の愚」、歴史の教訓として受け入れ、継承し
ていかなければ、死んでいった3,721柱の御霊に、申し訳が立たない…。
「過去の成功に囚われず、過去の失敗から学ぶ…」 そんな謙虚な姿勢が
求められるのです。

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