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アメリカの陰謀

■8月15日は終戦日?  8/15 読売新聞「終戦記念日」より

60回目の終戦記念日を迎えた。終戦は8月15日、玉音放送をもって終戦と、
疑いもしなかった。
天皇が終戦の詔書に署名したのは8/14。大本営が全陸海空軍部隊に即時戦闘
停止を命じたのが16日だが、全戦線で戦火がやんだのは9月に入ってからだった。
正確には、戦艦ミズリー号上で降伏文書に署名した9月2日が終戦日。
米国、フランスでは、9/2が「対日戦勝記念日」。ロシア、中国では何故か9月
3日となっている。

8/15は戦前から日本人には特別の日、「旧盆」である。第二次大戦が始まる
ずっと前から、お盆の日に合わせて「全国戦没者追悼式」が実施され、戦後は、
毎年マスコミが「玉音放送を聞いて泣き崩れる人々の姿」を流したことなどから、
多くの日本人が、8/15を、「戦いの終わった日=終戦の日」として受け止めて
いる。昭和38年になって(1963)法的決定がなされた。

【吉村外喜雄のなんだかんだ - 90】
~戦争心理学~
「アメリカの陰謀・パールハーバーの真実」

アメリカには「秘密開示法」という法律がある。30年経つと、公文書や外交秘
密は、すべて一般に開示される。そこから、意外な史実が明らかになってくる…。
その開示文書を元に、「真珠湾の真実」という本がアメリカで出版された。日本
では文芸春秋が翻訳本を出した。ところが出版と同時に圧力がかかり、絶版と
なった。「ルーズベルトは真珠湾攻撃を事前に察知していた」との噂がある。
しかし、真実は闇の中である。

1939年第二次世界大戦が始まり、ドイツがフランスを降伏させると、近衛
内閣は大東亜新秩序の建設を唱え、1940年9月に北部仏印(インドシナ)
に進駐し、日独伊3国同盟を締結した。

日本軍の北部仏印進駐に激怒した米国は、経済制裁と日本向け石油の禁輸
に踏み切った。1941年11月27日、それまで続けてきた日米外交交渉は、
米国側の強硬な「ハル・ノート」提示で行き詰った。日本は即時降伏するか、
勝ち目はなくても一戦交えるか、何れか一つの選択を迫られたのです。
(国際連盟を脱退して国際社会から孤立していた日本。今の北朝鮮よりずっと
  厳しい状況にあった)

後に、「開示法」で公になった機密文書によれば、苦しくなった日本は
「窮鼠猫を噛む」で、アメリカに宣戦布告するだろうと、書き記してあった。
日本に戦争をけしかけ、戦いに勝って、それまで日本が持っていた中国・アジ
アの権益のすべてを奪い取ろうとする、米国情報戦略の筋書きに従い、事が
運ばれていったのです。

日本は真珠湾奇襲で太平洋戦争に突入した。アメリカの日本大使館の手違いで、
宣戦布告が真珠湾攻撃の後になってしまい、「だまし討ち」の汚名を負うこと
になった。
開戦前、日本は親日国オランダの好意で、石油を輸入することができた。
機密文書によれば、それは好意ではなく、日本の軍部が最小限度必要とする
量のみ売り渡すようにという、米国の裏工作によるものだった。
石油資源を確保しなければ日本は破滅するという、日本軍部開戦派をあおる、
巧妙な戦術だったのです。

オランダは、密かに日本の油槽船に磁石付きの電波発信機を貼り付けた。
その輸送船が、ハワイ攻撃の艦隊に随行していった。
更に米国は、日本海軍の無線を傍受し、解読に成功していた。
真珠湾攻撃直前の、日本の連合艦隊の軍事行動は、すべて米国の知るところ
となり、ルーズベルト大統領に逐一報告されていた。日本が12月8日未明、
真珠湾を攻撃することを、アメリカの上層部は察知していた事実があるのです。

ハワイ奇襲の朝、太平洋司令官はオアフ・カントリークラブで、太平洋艦隊の
艦長4人と、ゴルフをするため、朝食をとっていた。公文書の記録によると、
この5人の将軍のうち一人は、ゴルフが出来なくなることを知っていたという。
ルーズベルトから、「真珠湾から離れているように、追って指示する…」との、
内示があったのです。

平穏なハワイ。なのに前々日から、様々な指令が軍の上層部から出されていた。
(1)老朽船のみを湾内に残し、新鋭の主力戦艦、航空母艦は外洋に出ること。
(2)ハワイにある全レーダーを、シャットダウンするよう全艦隊に指令が出た。
   更に、通信員には休暇が出た。
  (レーダに、日本艦隊の動きが写し出されると困る)
(3)海兵隊には、二日間の外出禁止令が出た。平和なハワイ、しかも休日なの
   に何故? 皆わけが分からないまま命令に従い、それぞれの持ち場に残っ
   た。
日曜朝、突然日本軍が襲ってきた。停泊していた軍艦や軍の施設が、爆撃で
壊滅した。持ち場にいた二千二百名が犠牲になり死んだ。

次の日、全容が大々的に全米に報道された。だまし討ち奇襲攻撃との報に、
「リメンバー・パールハーバ」、怒りの大合唱が全米に沸き起こった。
その世論に推されるように、アメリカは第二次世界大戦に参戦していった。

巧妙なるアメリカの戦略。歴史に伝えられていることと、真実とが、こうも違って
くる。しかし、真実は闇の中である。

増田俊男「目からうろこの会」より

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