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罪を憎んで人を憎まず

35年に及ぶ日本統治から解放されて、60年を迎える韓国。
島根県が竹島の領有権を議決したことに怒り、韓国は民族意識をあおっている。
両国にとって、領土問題は譲れぬ一線。領土権を得るには、武力を行使するか、金銭的和解ぐらいしかないだろう。主張し合っているだけなら、 百年の後でも解決しない問題です。

冷静に見れば、竹島は人も住めないちっぽけな岩山。そんな島と経済水域をめぐって、両国いがみ合っていても、 互いに得することは何もない。
韓国も日本も、自国の繁栄を願うのは同じ。「共に勝ち、共に栄える」の精神で、この問題を棚上げにして、お互い仲良くすればいいのですが…。

政治の世界は損得で推し量ることが多い。善悪だけでは通用しない。
自国のためなら、黒でも白と言いくるめるのが優れた政治。いつの時代も、どこの国も、時の政権の人気が落ち目になると、 国民の目を外に向けさせ、民族意識をあおろうとする。

[吉村外喜雄のなんだかんだ 第81号]
~歴史から学ぶ~
「罪をにくんで 人をにくまず」

以下、5/22中日新聞社説からの引用です。

「其の意をにくみて、其の人をにくまず」。これは孔子の言葉です。
この言葉、「罪をにくんで 人をにくまず」という教えとなって、今に伝えられている。
靖国参拝で小泉首相は、「戦没者の追悼の仕方に、他国が干渉すべきではない。 A級戦犯が合祀されている靖国参拝が、近隣諸国から問題にされるが、そもそも” 罪をにくんで 人をにくまず”というのは、孔子の言葉である」更に「戦後日本は、戦争を反省し、 国際社会の平和構築に努力して、戦争に行かず、一人の戦死者も出していない」と、中国に諫言している。

にくむべきは、罪そのものであって、それを犯した人ではないという意味。
この孔子の言葉の引用は、本来”被害者側”が口にする言葉である。
つまり、立ち直って正しく生きてほしいとの願いが込められている。
戦争の”加害者”が開き直って言うような言葉ではないのです。

そもそも、侵略をして、非戦闘員の一般市民や婦女子に暴虐を極めたのは
日本軍である。遺族は、八つ裂きにしても足りぬ恨みを抱き、世人も同感で、
戦後60年を経たとはいえ、日本が侵した罪を許したりはしないだろう。

戦後、敗戦国日本がアメリカに占領統治されたとはいえ、過去日本は、一度
たりとも他国の侵略を受け、婦女子が辱めを受けて、後世にまで恨みを残した
た事実はない。そういった歴史背景から国民感情を比べれば、あまり言い訳
めいたことは言えないのです。

罪人が、被害者の憎しみをわずかでも軽減したいと思うなら、罪を深く悔い、反省謝罪し、 全霊を込めて償う意思を示すことでしょう。

ドイツ政府は現在も尚、ナチ戦犯の時効を認めず、永久に追求し続けている。
そういった努力で、近隣諸国の信頼関係を回復し、中でもドイツと隣国フランス国民との交流は、 極めて親密で友好的だという。

それに引き換え、昨日の領海侵犯をした漁船のトラブルにもあるように、日本と韓国の関係は決して良好とはいえない。 最近の韓国の世論調査で、「最も嫌いな国は」との問いに、”日本”と答えた人が40%もいるのです。
なら、素直に謝ればいいのかというと、政治の世界はそうはいかない。自国の利益のためなら、 間違っていても正しいと言い張るのが外交戦略。解決済みの戦争賠償問題が、かま首を持ち上げてくるかもしれない…。

一ヶ月前に起きた反日デモの乱暴をわびようとしない、中国政府のかたくなさを見ても分かるように、そう簡単に 「悪うございました」と、頭を下げられない日本の立場も、理解しなければならない…。

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