« 日本人に根ざす精神を見直そう | メイン | 罪を憎んで人を憎まず »

懐かしき四高

■明治初期の金沢
明治二年、加賀藩を朝廷に奉還。明治四年に廃藩置県となり、藩が消滅した。
それまで藩の禄を食んでいた武士、足軽、小者たちが一度に失職した。
さらに、御用商人、豪商たも没落し、しばらく混乱が続いた。
下級武士だった私の曾祖父も禄を失い、蓄えを利用して「金貸し業」を始めた。
ところが武家の商法、人が良すぎたのか、みるみる立ち行かなくなり、貧乏暮らしを強いられるようになった。

金沢の人口は、明治四年当時12万3千人だったが、藩の消滅により、翌年には9万4千人に激減してしまった。その後、 明治十一年頃になり、ようやくショックから立ち直り、人口10万7千人まで回復した。
明治十一年当時、東京69万、大阪29万、京都23万、名古屋11万人。次いで、全国五番目に大きな城下町だったのです。

[吉村外喜雄のなんだかんだ 第80号]
~歴史から学ぶ~
「懐かしき四高」

私が育った自宅の前の武蔵から片町へ抜ける道路は、当時国道8号線だった。
その一本向かいの裏道りに、第四高等学校(現在の中央公園)、通称”四高”があった。小学生の頃、 四高前を流れる七ケ用水の生垣の穴から、校庭にもぐり込み、よく遊んだものです。

四高の運動場の東の端に、高低二段の飛び込み板が付いた25mプールがあった。近所の悪ガキと、 一番高い飛び込み板の先端に、どこまで這っていけるか、度胸だめしをしたのが懐かしい。
また、晩ご飯のおかずに、運動場の草わらでイナゴを採ったり、校舎脇の銀杏の木の下で、 銀杏を拾い集めて焼いて食べたりもした。四高をテーマにすると、その頃のことがあれこれ思い起こされる。

四高は明治二十年創立。昭和二十四年金沢大学に包括されるまで、金沢が誇る勉学のシンボルでした。今でこそ、 人口四十五万の地方都市だが、明治の頃は、全国でも名だたる都会だったのです。

その金沢に、一高(東京)、二高(仙台)、三高(京都)に継いで、四番目の高等学校が開校したのですから、 金沢市民が誇りに思うのは当然。明治時代に設立した番号が付いた高等学校は、全国に八校あって、続く第五高が熊本、 六高が岡山、七高は鹿児島、八高、名古屋と続く。その頃の名古屋はまだ田舎だったのです。

大正から昭和にかけて、西田幾太郎博士(石川県宇ノ気町出身/近代日本の代表的哲学者)など、 日本を代表する逸材を多数輩出している。今はその面影もなく、赤レンガの校舎の一部が残るだけで、知る人も少ない。

私が子供の頃、四高に隣接した香林坊には、当時の文化人がたむろする喫茶店「オリヤンタル」、「ダンスホール三田」、 西洋料理の「仙宝閣」、和食料亭「魚半」、玉突き場、カフェなどがあり、にぎやかだった。
昭和24年、校舎が金沢城内に移転したあと、香林坊の繁華街は徐々に寂れていき、父親の店の商いも、先細りになっていった。

旧制高校の寮歌は、今も広く国民に愛唱されている。そのほとんどが、学生自らの手で作詞され、また、その多くが、 学生たちによって作曲されたものだという。
中でも、一高と三高の寮歌が有名である。
・一高  「嗚呼玉杯に花うけて、緑酒に月の影宿し…」
・三高  「紅もゆる丘の花、早緑匂う岸の色…」
・四高  「北の都に秋たけて、吾等二十の夢かぞう…」

寮歌は何度口ずさんでもいい。戦前から戦後にかけて、何かと暗いイメージが付きまとう中、 当時の四高の学生さんからは、人生のロマンを語り、青春を謳歌し、明るく自由闊達な気風が感じられたと、 町内の人が語っていた。

十年くらい前までは、毎年夏の八月、全国から四高卒業生が集まってきた。弊衣破帽に、 高下駄をつっかけたバンカラ姿で、(汚れたボロの詰えりの学生服に黒いマントを着て、破れた学帽をかぶっている) ファイヤーストームの炎が天を焦がす中、高らかに寮歌を歌い、太鼓を叩き、校旗をかついで、 香林坊界隈を肩を組んでねり歩いた。そんな久しく忘れていた光景が、懐かしく思い起されるのです。
ちなみに、私の小学時代は四高を遊び場に、小学校は武家屋敷の一角にある長町小学校。後に学校統合で廃校なり、 観光バスが停まる市営駐車場になった。
中学は、小立野台の紫錦台中学(旧制金沢二中)。行き帰りは、兼六園が通学路だった。現在、 校舎の一部が文化財として保存され、歴史博物館になっている。

高校は泉ケ丘高校(旧制金沢一中)。戦前であれば、二中から一中に転校したことになる。何れも階段教室があり、明治・ 大正・昭和初期の歴史と伝統が香りいっぱい残る学び舎で学ぶことができたのは、この上ない幸せです。
後に何れも取り壊され、平凡な鉄筋校舎に造り替えられたのは、寂しい限りです。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.noevir-hk.co.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/692

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

ひとつ前の投稿は「日本人に根ざす精神を見直そう」です。

次の投稿は「罪を憎んで人を憎まず」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36