■橋本佐内の「啓発録」
橋本佐内は幕末福井藩の士。藩主松平慶永の側近として、藩校の学監をしたり、
藩政改革に当たったりした。積極的攘夷開国論者で、将軍継承で慶喜擁立に
活躍。反対派井伊大老のため、若年26歳にして吉田松陰と共に、安政の大獄で
処刑された。
左内十五才のとき、これから後の自らの生き方を明らかにする戒めとして、
「稚心を去る」 「辰気」 「立志」 「勉学」 「択交友」 |
子供じみた心を取り去り 気力を養い 向上心を持ち 勉学を怠らず 自分を戎めてくれる友人を持つ |
の、五項目を文章に書き記した。
これは「啓発録」として、
左内の思想や生き方の根幹を成す名文として、
後世に名を残すことになる。
それにしても、若干十五才にして、これほと格調高く、高貴な精神を書き記すとは、
他に例を見ない。西郷隆盛をして、「友として最も尊敬する」と言わしめた、
幕末福井藩の偉人です。 この「啓発録」、一度は読んでおきたいものです。
【心と体の健康情報 - 194】
~歴史から学ぶ~
「日本人に根ざす伝統的精神を見直そう」
以下、衆議院議員 小野晋也「日本人の使命」からの抜粋です。
江戸幕府を倒した政府が、天皇を中心とした新しい国家を立ち上げた。 それまで支配階級だった全国の諸藩、旧幕藩体制を、一滴の血も流さずに廃止することに成功し、 政権移譲が出来たのは、西欧諸国から見れば奇跡なのです。 その時の変革を”明治革命”ではなく”明治維新”と言った。江戸時代の伝統と文化を尊重し、
受け継ぎ、その上に新しい日本を創ろうとしたのです。 明治になって日本が大きく飛躍することができたのは、過去の歴史に培われた伝統・ 文化を大切にしつつ、優れた外国の科学技術と文化を取り入れ、和魂洋才を積極推進したことにある。 学問からみれば、江戸時代、読み書き・算盤が国民の間に広く普及していたことが、
明治になって数多くの人材を輩出するに至り、飛躍の礎になったのです。 |
NHK来年の大河ドラマは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」。日清・日露戦争の中、明治の日本に名を残していった人たち。 それぞれが与えられた分野で素晴らしい活躍をして、近代日本の礎を築いた。
日清・日露戦争に勝った日本、その後、自らの民族を神の国と慢心し、大陸へ侵攻。太平洋戦争へと突き進んだ。 そして敗戦。敗戦を機に、日本は新たなる”維新”に取り組んだ。そして、過去の歴史、文化、教育を否定することで、 平和国家を創りあげようとした。
誤りを認めることはやぶさかではない。しかし、過去長きに渡って築き上げ、
受け継がれてきた、日本人の根底にある伝統的精神を否定してしまうのは、
今となってみれば、大きな過ちであったように思うのです。
その典型が、一昔前、あちこちの小学校に見られた「二宮金次郎」の銅像。
今はどこにもない。私が学校で教わった偉人は、リンカーンやエジソン、ニュートン、ライト兄弟など、西欧人ばかり。
私たちの祖先には、西郷南洲、水戸光圀、本居宣長、山岡鉄舟、上杉鷹山など、
今日の日本の礎を築いた幾多の偉人たちがいることを、学ばなければならない。
我が郷土には、近代日本を代表する哲学者、西田幾太郎博士がいる。
隣の福井県には、幕末勤皇の志士、橋本佐内がいる。左内が15歳の時、自らの生き方と志を認めた「啓発録」
は、その崇高な文章内容に驚きと感動を覚える。
そういった近世の思想家たちが、どんな活動をし、偉業を成し遂げ、
日本のお役に立ったのか、今の私たちに知る人は少ない。
今の中高生に「尊敬する人は?」と尋ねたら、こういった偉人たちの名前が
挙がることはないだろう。