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才あって徳なき…

トム・クルーズ主演の「ラスト・サムライ」は、日本人の魂「武士道」を追求した映画。
この映画の構想を練ったエドワード・ズウィック監督は、「七人の侍」の影響を受け、新渡戸稲造の「武士道」をすり切れるほど読み、 侍の心を知ったという。

今から百数十年前、日本人の支配階級の象徴である武士。
自らを律し、正義をモットーとし、利欲に走らず、ひとたび約束した以上は、
命懸けで約束を守り、不正や名誉のためには、死(切腹)をもってあがなった。

この本を読んだ西欧人はいずれも、東洋の端にある小さな島国日本に、
これほど厳しく、気高い精神を持った民族が存在しているとは…。
そのことに驚嘆し、尊敬の念を持ったのです。

私たちの先祖が、志も高く、凛として正しく生きてきたことを思うと、今に生きる
私たちの姿はどうでしょうか。利欲を追い求め、不正を恥とも思わず、約束を
平気で破り、事が発覚すれば言い逃れする。同じ日本人に生まれながら、
あまりにも恥ずかしい。

【心と体の健康情報 - 185】
~幸せな人生を歩むために~
「才あって徳なき…」

日本放送の乗っ取り騒動に続いて、西部王国の崩壊がマスコミを騒がせている。 「社員は頭を使わなくていい。黙って指示に従っていればいい…」
堤義明氏のワンマンぶりが浮かび上がってくる。どんなに偉大で、世間的評価の高い人物でも、 弱点や欠点があることを教えている。
私のような下々の凡人も含め、今の50~60代の世代というのは…、中でも政財界のトップにいて、 日本をリードする人たちには「徳」のない人が多いようです。

3/11の朝、突然飛び込んできた国会議員の強制わいせつ事件には驚いた。
更に今朝の新聞。東京MKタクシーの青木社長(41/息子さん?)、酒に酔って駅員を殴り逮捕、会社に辞表提出。 埼玉県警の警部(51)、女性部下のお尻をさわって依願退職。酒の上での失敗を取り上げたニュースが二件も載っていた。

”酒で身を滅ぼす”情けないニュースが立て続け。いずれも、社会的責任のある指導的立場の人たちばかり。40、 50になって、酒の飲み方から教えていかなければならないとは、何ともなさけない。

3/6読売新聞「政思万考・才あって徳なき世界」は、今回のニュースにぴったり。以下、その一部を抜粋しました。

自民党の武部幹事長が駆け出しの頃、先輩議員から「おい武部、政策論議は上下なしだ。 しかし酒席には序列があることを忘れるな!」と教えられたという。
また小泉首相は、
「酒席は人生道場。人間を磨く場所。人は人によって磨かれる。人の話を聞き、酒を飲みながら、話しながら、磨かれる。 この両方が大事だ」と語っている。

直木賞作家の”山口瞳”氏は、1981年1月15日、サントリーが成人を祝って読売新聞に広告を出した中に、 以下の文章を載せている。

「君、人間は少しぐらい”品行”は悪くてもよいが、”品性”はよくなければならないよ」。僕は、 酒を飲むときのエチケットの要諦は、これに尽きると思っている。
酒を飲むのは”修行”であり、酒場は”品性”を向上させるための”道場”であり、”戦場”である。酒では失敗ばかり…、 だから僕は真剣に酒を飲む。
若者諸君! 酒だけを考えてみても、この人生大変なんだ…。

山口瞳氏は、1976年「中央公論」で、逮捕された田中角栄元首相のことを、
「才あって徳なき人物」と論じた。 そして、当時の政財界を風靡して…

「法に触れないかぎりの金儲けは決して悪いことではない。よしんばそれが法に触れるものであっても、 おとがめに遭わなければ悪いことにはならない。さらに、それが法律によって罰せられても、なんら恥ずるところはない。 なぜならば、それは事業を守るためなのだから…。家族を守るためなのだから…」

陽明学の創始者”王陽明”の研究では第一人者の”井上新甫”氏は、
「リーダーは”徳”を身につけよう。”事上磨錬”すなわち、人生いたるところ
修行の場だ」
と説いている。以下、その著書「王陽明と儒教」(致知出版社)の中の文章。

「才」なく「知」なくも、「徳」や「情」があれば、人生間違いはない。
”徳”が根幹、”才”は枝葉である。才より徳のまされるを「君子」といい、
才徳共に兼備していることを「聖人」といい、才徳兼亡を「愚人」という。

「才あって徳なき」人たちが力をもった今の時代。そろそろピリオドを打たなければならない。 政界や経済界を見ていると、有り余る才だけで人生をまっとうするのは難しい。
”才徳兼備の聖人”は望めないにしても、せめて”徳のまされる君子”に一歩でも近づければと思う。

今回のセクハラ事件のように、たった一瞬・一度の間違いで、人生を棒に振ってしまうのは何とも切ない。 このような取り返しのつかない失敗をしないために、「徳」を積んでいかなければならない。
とは言っても、人生「徳」を身につけていくのは易しいことではない。学校教育の場で、倫理・道徳を教えるのも大事でしょう。 しかし、子どものしつけは家庭の中で決まる。まだ物心つかない幼少のころに、やっていいことと、悪いことのケジメを、 しっかり付けさせなければならない。

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