人格を磨け
「こうなったのは、おまえのせいだ!」と相手を指さす。
そのときの手と指のかたちを見るといい。
親指は天を指して運命を呪い、中指と薬指、小指の三本の指は「責任はおまえ自身にある」と、自分の方を指している。
相手を指差しているのは、五本の指のうち、人差し指一本だげである。
物事がうまくいかなくて、人を責めたくなるとき、その責任はおおむね自分にあることが多い。
【心と体の健康情報 - 183】
~幸せな人生を歩むために~
「人格を磨け」
法律のスキ間を突いた、ライブドアの日本放送株取得事件。いくら違法ではないといっても、 時間外取引という闇討ちのような行為で、企業の支配権を奪うほどの大量買い付けは、フェアとはいえない。
一方の日本放送の経営陣。突然降って沸いた会社乗っ取りに、会社と自らの地位を守ろうと、
防衛手段に出るのは当然でしょう。が、株主不在のなりふり構わぬ手法は、非難されても仕方のないところです。
いずれにせよ、主張するところが公明正大、且つ社会的正義の強い方が、株主や大衆を味方に引き付け、
勝利を収めるのではないでしょうか?
以下致知3月号、京セラの稲盛和夫名誉会長「巻頭の言葉」からの抜粋です。
世間には高い能力を備えながら、心が伴わないために、道を誤る人が少なくありません。古来「才子、
才に倒れる」といわれるとおり、才覚にあふれた人は、ついそれを過信して、
あらぬ方向へと進みがちなものです。
そういう人は、たとえその才を活かし、一度は成功しても、才覚だけに頼ることで、
失敗への道を歩むことになる。
正しい方向に導くためには、羅針盤が必要となる。その指針となるものが「理念」 や「思想」 であり、また「哲学」 なのです。その哲学が不足し、人格が未熟であれば、 いくら才に恵まれていても、せっかくの高い能力を正しい方向に活かしていくことができず、 道を誤ることになる。
この「人格」は、 人間が生まれながらに持っている「性格」 と、 人生を歩む過程で身につけていく「哲学」 の両方から成り立っている。つまり、 性格という先天的なものに、哲学という後天的なものをつけ加えていくことによって、私たちの人格は陶冶 (とうや)されていくのです。
では、どのような哲学が必要なのかといえば、それは 「人間として正しいかどうか」ということ。すなわち 「嘘をついてはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」「自分のことばかりを考えてはならない」など、 誰もが子どものころ、親や先生から教わったにもかかわらず、大人になるにつれ、忘れてしまったことです。
誰もが正しいと信じる、親から子へと受け継がれてきた、モラルや道徳がある。
それに反することをして、うまくいくことなど一つもないのです。
今回のライブトアの行為で思い起こされるのが、巨人軍のあの空白の一日。
リーグ規則に払拭しないたった一日の空白。規則の欠点を突いた江川卓獲得事件のことである。やり方がフェアーでなければ、
周りの支持は得られない。支持が得られない行為は、失敗と言わざるを得ない。
外資が今回の事件に注目していて、「日本のライバル企業をつぶす目的で、買収をしかけてくる(2/28読売)」
という。力の強いものが、有無を言わせず力づくで欲しいものを奪い取るといった、狩猟民族アメリカ的手法は、
「みんな仲良く」和を重んじる、農耕民族日本人の肌合いにはなじまない。
一面、堀江社長の行為は、閉塞的だったプロ野球界に新風を吹き込んだように、株主不在の旧態然とした日本式経営に、
大きな風穴を開けることになるかもしれない。
■二宮尊徳翁の言葉
「経済のない道徳は寝言だが、道徳のない経済は犯罪である」