数日前、久しぶりに神渡良平先生の講演を聴いた。演題は「一粒の麦 丸山俊夫の世界」。
丸山俊夫は、倫理法人会で知られる、倫理研究所の創設者です。
故丸山先生の”幸せになる法則”を語る中で、「苦難は幸福の門である」という一言が心に残った。
淡々とした語り口でしたが、会場はしだいに感動と涙に包まれていった。
神渡先生は、働き盛りの三十八歳の時、突然脳梗塞に襲われた。四日後に意識を取り戻し、右半身麻痺に陥ったが、
懸命のリハビリのお陰でよみがえった。
苦悩の中から「人生一度しかない!」と悟り、作家の道へ。「一隅を照らす」で一躍有名に…
危機を乗り越えてつかんだ人生。「人にはそれぞれなすべき使命がある」という思想で、
人としての生き方を説き、次々と作品を世に送り出していった。
著書には、「安岡正篤」「中村天風」「新渡戸稲造」「森信三」、”言志四録”の「佐藤一斎」など、
人生の師と敬われる人たちを題材にしたものが多い。
中でも、一燈園の三上和志さんと、結核で死の床に伏している少年の話しが載っている「下座に生きる」(月刊「知致」に連載された)
はお薦めです。
”正しい生き方”が求められる今の時代、神渡先生の著書からは、学ばなければならないことが沢山あります。
【心と体の健康情報 - 181】
~幸せな人生を歩むために~
「過去は変えられる」
「過去は変えられるけれど、未来は変えられない」。
こんな常識はずれに思えることをマジに言っている人がいる。10年連続全国高額納税者に名を連ねる”斉藤一人”氏です。
”銀座まるかん”の創業者で、健康食品・化粧品を販売している。「人生が全部うまくいく話」「斉藤一人のツイてる話」など、
16・7冊の著書が今、書店に並んでいる。
普通に考えれば、過ぎ去った過去など、変えられるわけがないと思う。
斉藤氏は「済んでしまった過去は変えられるけれど、これから先の未来は変えられない」
と、逆のことを言う。
「あの時の病気のお陰で、人にやさしくできるようになった」とか、「食うや食わずの貧乏を体験したお陰で、今の幸せがある」
といったことをよく耳にする。
過去のことを「幸せに思う」と思えば、思えるようになる。「昔、あの辛い体験をしたから、今、幸せなのです」と…。 過去にあったことすべてが、今の幸せにつながっていると思えば、これから後の人生、間違いなく幸せになります。
反対に、昨日までズゥ~と不幸だったと思って生きてきた人が、明日から突然幸福になるということはない。
身の回りに起きることすべて、「幸せ」と思えば幸に思えるし、「辛いことばかり」と思えば、
辛いことばかりの人生に思えてくるのです。
昨年9月1日、北京の日本人学校に29人の駆け込みがあった。北朝鮮の人は国を捨てて外国へ逃れようとする。
日本人で、国を捨てて外国へ逃れたいと思う人はいないでしょう。
平和で豊かなな日本に生まれながら、それでも自分は不幸だと思う人は、自分よりももっと不幸な人がいっぱいいることに、
目を向けなければならない。不幸と思うか思わないかは、その人の持つ”幸福の物差し”
の長さで、違ってくるからです。
過去のことはすべて思い出になる。だから、思い方一つで好いようにも、悪いようにも、好きに変えることができるのです。
過去ズゥ~と不幸だったと思っている人は、”不幸癖”がついてしまっている。何でも悪いように考えてしまう。
そんな人のそばにはいない方がいい。その人の隣にいるとくたびれてくる。
不幸癖が伝染してしまう。
自分のことを不幸だと思っている人は、自分より不幸な人を見ようとしない。
何事も、自分よりより幸せな人と比較して嘆いている。そして、自分がいかに不幸かを人に言いたがり、同情を求めようとする。
人は、幸せになるために生まれてきたのです。苦労を背負い込むために生まれてきたのではない。
「苦労は買ってでもせよ!」と言うが、人の苦労話を聞いていると、たいがいは間違った生き方をしているから、
苦労しなければならなくなったケースがほとんど…。
人生うまくいかない時は、「間違った生き方をしている時だ」と思えばいいのです。
神様は苦労させようと、意地悪しているのではない。間違った生き方をしていることを教えようとしているのです。
苦労が続く時は、「どこか、間違ったことをやっているのでは?」と、自らを振り返ってみることです。
しかし、やっていることが正しいと思っている時は、人が見て、どんなに苦労と思っても、当の本人は、
何一つ苦労だとは思っていないのです。