「災害は忘れたころにやってくる」というが、最近は忘れる間もなく、次から次と天災に見舞われる。昨年暮れのインドネシア・
スマトラ沖地震は、阪神震災の何と1600倍(想像がつかない)。過去百年、世界で四番目に大きな地震だったという。
ところで、大きな余震は起きなかったのだろうか?‥。津波の被害があまりにも大きかったためか、
地震による直接被害の報道がほとんどなかった。
地震発生後の政府・行政の対応の悪さが、被害を大きくしているようだ。
日本人の行方未確認者が、まだ43人もいるというのに、もう、過去の出来事になろうとしている。
先週のNHK。「安政大地震」の時の大津波で、村落が壊滅した当時の惨状を再現していた。そして、安政の地震の後の日本で、
大地震が二度も起きているのです。
今また日本は活動期に入っている。今年は大きな地震がなければいいが…。
明日は我が身。日ごろから、万一に備えた心構えが大切です。
吉村外喜雄のなんだかんだ 第64号
「スマトラ沖地震に思う」
インド洋沿岸諸国には、欧米の観光客の癒しの場となるリゾート地が点在している。エメラルドの海、 白い砂浜を抱くように高級ホテルが並ぶ。
外国人で、今回の地震で犠牲者を多くだした国は、三千人近い死者を出したスゥエーデンなどの北欧諸国。 この時期は、午後3時前には日が沈み、長く寒い夜が続く。そんな太陽の恵みの少ない北欧から、 クリスマス休暇を利用して避寒にやってくるのが長年の習慣。
タイのプーケットや、インドのお隣モルディブは、名だたるダイビンクスポット。
そこで、多数の犠牲者が出た。
私が訪れるダイビングスポットは、そういったリゾート地の沖合いにある小さなさんご礁の小島。
美しい自然に囲まれた水上コテージが、何とも魅惑的だ。
コテージの中は、都会の一流ホテルと見まがう調度や設備が整い、レストランは朝・昼・夜バイキングで、西洋料理、
中華料理、果物、飲み物など食べ飽きることがない。
コテージから目を外へ転じると、はるか対岸の岸辺に、粗末な水上家屋の集落が見える。漁業を生業としていて、
文明社会とは無縁の極貧の暮らし。
子供達が丸木舟でコテージの下にやってきて、「マネー、マネー」とお金をねだる。贅沢な遊びをしている私達を、
どう見ているのたろうか?
海抜1mしかないさんご礁の小島。干満の差が激しく、干潮時には3m近く潮位が下がり、 島が数百メートル沖まで陸地になる。そんな自然現象が毎日繰り返される中で、ある日突然、 波打ち際が百メートル後退したとしても驚かないだろう。それが津波の前兆とも気づかず、 物珍しさで沢山の人が海岸に集まってきた。その数分後、高さ10mの津波が襲ってきた。そして、 島にあるものすべてをさらっていった。
原住民は人なつっこく、優しい人達ばかり。私がお世話になった現地人や、
ダイバーズクラブの人達はどうなっただろうか? 大きなクラブには、若い日本人インストラクターが必ず数名いる。
お世話になった人達の顔が思い浮ばれ、胸が締め付けられる。
ニュースによると、波にさらわれた後、泳ぎ慣れているため、椰子の木にしがみついたりして、助かった人もいるという。
日本人で休暇を楽しんでいた家族もいた。運悪くその場に居合わせたばかりに、逃げる間もなく波にさらわれてしまった。”
天国から地獄へ”とはこのことだろうか。 ”一寸先は闇” 先のことはわからない。今を大切に生きなければと思う。