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2004年11月 アーカイブ

2004年11月02日

悩み解消法

NHK朝の連続ドラマ”わかば”を見ていて、主人公”わかば”のいつも絶やさぬ笑顔が印象に残る。 男の仕事場、庭師の見習いに入って、怒鳴られる毎日。
どんなに辛い仕事を言いつけられても、叱られている時でも、絶やさぬ笑顔。
同じ見習いの男の子が、「どうしてそんなに笑顔でいられるの?」と、不思議そうに尋ねた。
”わかば”は、「だって、好きでやっている仕事じゃない! どんな時でも笑顔でいたら楽しくなるじゃない…」
昨日、月曜日、ドラマの中で”わかば”が言った台詞です

【心と体の健康情報 - 169】
~幸せな人生を歩むために~
「悩み解消法」

「幸せな人生を歩むにはどうすればいいか?」。特別難しいことを考えなくてもいい。 今までお伝えしてきたように、”ありがとう”と”感謝”の二つを忘れずに、笑顔を絶やさず、 思いやりある言動をしていれば、何事もうまくいくようになる。
後は「ツイてる、ツイてる」と言っていればいいのです。

悩み事なしに生きている人はいないだろう。皆、あれこれいろんな悩みを抱えて暮らしている。
ところで、この文章を読んでいるあなたは、3年前の11月2日にどんな悩みを抱えていたか、覚えているでしょうか?  一年前のことなら覚えているでしょうか? 覚えている人はまずいないと思う。
今悩んでいることも、一年後には忘れてしまっている。「どんな悩みも、時が解決してくれる」 。悩みそのものは解決していないのですが、勝手に消えてしまうのです。
そもそも”悩み”とは、どうにもならないから悩むのです。どうにかなることは、解決してしまっているので、 悩みにはならないのです。
どうにもならなくて悩んでいても、時間が解決してくれます。何事もなかったかのように、忘れさせてくれます。
どんな悩みでも、「私はツイてる」と言って明るく、のん気に構えていれば、一週間経ち、一ヶ月もすれば、 悩みが悩みでなくなってしまうのです。

以下、福井県の(株)ライズ”樋田信雄”社長の講演からの抜粋です。樋田氏は現在、福井県商業界同友会の会長です。 日創研では、MKタクシーなどと共に、ビデオ(DOIT)学習の全国優良モデル企業の一つに取り上げられています。

「問題や悩みがあるということは、私に解決する力があるから与えられた」ということです。 「目の前に現われる問題は、自然の法則に沿ってやれば、どんな問題も解決できる」と教わりました。 「私に解決できない問題は、決して私に降りかかったりはしない」と…。

自然の法則”とは何かというと、 それは
明るい” ということではないでしょうか。
いつも明るくしていると、幸せがやってきます。
ことわざに「笑う角に福きたる」がある。
これは、福が来るから笑うのではなく、笑って
明るくしているから福がくるのです。
類は類を呼ぶ」と言います。勉強好きな人
には、勉強好きな人が集まります。
明るくしていれば、明るい人が集まってきます。
日創研の田舞代表は「うんこに金蝿」とよく言う。
自分と似た考え方、趣味、趣向を持ったものが集まってくる。
運を呼び込むには、運に恵まれた人と付き合うことです。

さて、明るくなる言葉の一番は、「はい!」 の一言ではないでしょうか。上に立つ人から率先して 「はい!」と言えば、周りは明るくなります。社長さんが部下から声を掛けられたとき、「はい!」 と元気よく返事ができるでしょうか?社内に「はい!」が行き交うほど、活気が出てきます。

次に明るくなる言葉は、「ありがとうございます」 を言うことです。なにかにつけて、「ハイ!」と 「ありがとうございます」が行き交う職場にすることです。
この二つの言葉を、毎朝の朝礼で繰り返し、自然に言い交わせるようになるまで練習するのです。

ある組織の例会の場では、名前を呼ばれると「はい」と、元気良く大きな返事ができる。ところが、その私が、そんな慣習のない余所の集まりで、同じように名前を呼ばれると、声が出ない。大きな声で「はい」という、この何でもない行為、いつでもどこでも実行するとなると、何故か難しいのです。

心理学から見ると、集団の中でただ一人、人と違った行為をすることは、「恥ずかしい」という思いを取り去らない限り、度胸のいることなのです。
だから、ふだん挨拶を交わす習慣がない家庭や職場では、基礎から訓練してかからなければ、声が出ないのです。

2004年11月05日

次第に住みにくくなる日本

今回の大地震の震源地長岡で、忘れてならない人物に”小林寅三郎”がいる。
平成十三年五月七日、小泉首相就任所信表明演説で、「米百俵の精神」を引き合いに出した。そして、 長岡藩の逸話が広く国民に知られるようになった。

頃は明治三年、明治維新の際、新政府側につかず、独自の立場を貫いた長岡藩は、戊辰戦争で官軍に町を焼かれ、 石高も七万四千石から、二万四千石に削減され、窮状にあえいだ。それを見かねた支藩の三根山藩が、見舞いとして届けたのが” 米百俵”だった。
長岡藩の大参事(旧家老)の小林寅三郎は、米を藩士に分けず、百俵を元手に学校を作ることを主張した。 窮状にあえぐ藩士らは猛反発し、米を寄こせと詰め寄った。
大激論の末、小林はこう説き伏せた。
「百表の米を分けたところとて、何日ひもじい思いをしのげるだろうか。食べてしまえばそれまでで、 いつまでたっても本当に食えるようにはならない。この米で学校を建て、人材を養成するのが、迂遠だが一番の近道だろう。今、 百俵の米が、その時には千俵にも万俵にもなるだろう」と…。

後の長岡中学で、山元五十六や小野塚喜平次・東大総長らの逸材を多数輩出した。目先の売上に囚われているだけでは、 いつまでたっても会社は変わらないだろう。三年後、五年後のための人材育成が大事なのです。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第54号】
~幸せな人生を歩むために~
「次第に住みにくくなる日本」

十年ほど前の話になるが、能登出身の金沢の友人の親が亡くなった。お通夜に参列したとき、 その友人がぽつりと言った言葉が忘れられない。「能登の過疎化が進んで、若い者がいなくなり、故郷の祖父母、両親と、 順に亡くなっていくにつれ、村に空き家が増えていく。先祖の墓を守るものがいなくなる。お寺も立ち行かなくなり、 墓地が荒れていく」と…。

一ケ月ほど前の新聞に、富山県の人口が十年後に百万人を切ると、大きく報道していた。石川県も同様である。
日本の人口は減少していく。政府の予測では、現在一億二千万人余の人口は、毎年0.95%ずつ減少して、 2050年には九千万人に、2100年には現在の半分の六千万人になってしまうという。

人口が減少するのは、子供を生まなくなったからだ。必然的に人口の高齢化が進み、 社会のヒズミとなって重く圧しかかってくる。人口に占める六十五歳以上の比率は、2000年は18%。 国民はそれを重く感じているというのに、2050年には今の二倍の35%にもなる。
人口の減少は、国の経済活力の低下につながり、国の税収入も減少していく。
現在の年金水準を維持しようとしたら、保険料の掛け金を倍にしなければならない。企業も個人も、 このコスト増に耐えられるはずがない。
今でさえ、年金の将来に期待が持てないと、国民の半数近くが保険料を払おうとしないのに…、 どう解決していくのだろうか。

つい先日の新聞でも、消費税を今直ぐ、毎年1%づつ上積みしていって、出来るだけ早く15% にまで持っていかないと、国の財政は持たないと警告している。

しかし、政府が消費税アップを掲げると、国民はそっぽを向いてしまう。だから小泉首相は、 自分の任期中は値上げしないと言っている。小泉さんの後を引き継いだ人が、 最初にやらなければならないことは財政の健全化。消費税の値上
げを断行せざるを得ない。
自民党政権は、国民の首に消費税15%の鈴を付けることが出来るのだろうか。
民主党が政権を取ったら、即実行できるかというと、疑問だろう。

目先の利益と、自己保身に汲々としている国会議員に、百年先の日本を見すえた政治を望むべくもない。 小泉政権は発足当初、国の借金を30兆円以内に抑えると公言していた。それが、 このわずか三年間に160兆円も借金を膨らませてしまった。
最近親しくしている人に、「そろそろ日本脱出する時が来た。生活の基盤をハワイか、 ニュージンランドに移した方がいいかも知れないね…」と、無責任なことを言っている私です。

知り合いの某社長さん。三十年ほど前、北陸の風土に惚れて、工場を東京から石川県に移転し、 家族全員金沢に移り住んだ。そのとき、私の顧客になり、私が図面を引き、お世話をして建てた家に住んでいる。
その社長さん、二十年ほど前、ハワイに住居を構え、会社を息子さんに譲って、生活の拠点をハワイに移してしまった。
今は八十歳近く、老夫婦仲良くハワイで暮らしている。日本が恋しくなると、時々里帰りのように、 息子や娘夫婦がいる金沢に帰って来る。

2004年11月09日

心の持ちようで幸せになれる

相手の立場に立って、相手の視点で自分を見つめてみることの大切さを、某医院の先生が語っています。    (倫理研究所”田形健一”氏の講演より)

私は、真夜中にかかって来る電話に出るときは、自分の声のトーンに事のほか気を使います。掛けてきた相手は、 深夜に私の病院に電話をせざるを得ない、
よほどの事態を抱えているはずなのです。

寝ている私を起すことへの申し訳なさを、おそらく十分に感じながら、それでも思い切ってダイヤルしたのでしょうから、 私は出来るだけさりげなく、そして昼間と変わらぬ明るい声とハリで、「つい先ほどまで、原稿を書いていたところです。
ですから、まったくご心配に及びません」と、応えるようにしています。

横になったままで話せば、誰でも声がくぐもってしまいますから、電話の相手が気の毒がってしまわないように、 私は起き上がってから、電話を取るようにしています。
病室に入る医師の足取りが軽やかであれば、病む人の心も晴れます。医師が明るい顔に微笑みを浮かべ、 会話にユーモアの一つ二つも挟むことが出来れば、患者さんの心は、それだけで慰められるのです。
自分のふるまいを、相手の視点から振り返って見つめ直すことを習慣づければ、やがて、 思いやりのにじむ所作が美しく備わるようにな.るでしょう。

【心と体の健康情報 - 170】
~幸せな人生を歩むために~
「心の持ちようで幸せになれる」

その時々の世相を反映した、サラリーマン川柳から一句。
「子供ボケもん、俺のけもん、仕事なし、早く帰るも鍵はなし」
「誕生日、急いで帰ればみんな留守」  「父帰る、娘出かける、母寝てる」

以下、倫理研究所”田形健一”氏の講演からの抜粋です。

私達が住む日本、科学文化が発達して、私達の生活は大変便利で豊かになった。
その反面、人と人とのふれ合い、係わり合いは、だんだん希薄になってきている。
家族が一つ屋根の下に住んでいながら、お互いの心が見えない。みんな自分本位
で、バラバラという家庭が増えている。

命を生み、育てる場であるはずの家庭が、ぐらつき、おかしくなってきている。
反対に、虐待、無関心、しつけ放棄の家庭が増えてきている。いまや、家庭が崩壊の危機に直面している。だからこそ、 改めて自らの家庭を見つめ直し、自分自身を見つめ直す必要があるようです。

そのポイントは、まず「自分が変わる」ことでしょう。「人を変えよう、 相手を変えよう」と思っている間は、絶対うまくいきません。自分自身の間違いに気づき、自分を改め、 自分が変わっていったときに、自らの家庭も変わっていくのです。

私(吉村)がそのことに気づいたのは今から十年前。ある研修を三日間受けたことがきっかけです。研修から帰って直ぐ、 妻に「お母さんありがとう」と素直に言えたことが最初でした。その後も折にふれ研修を受け、自分を変えようと努力した。
妻から「あなた、変わったわね…」と言われたのは、四・五年も後のことです。

我が家を見つめてみて、「自分は今何を為すべきか、自分はどうあればいいのか」
と、考えてみることです。夫として、子供たちの父親として、客観的に見つめてみることです。
ところで、子供たちが健やかに育つ家庭とは、どんな家庭でしょうか? 
何よりも 「家庭は明るくなければならない」。親子の会話があり、 笑いが飛び交う家庭でありたいものです。幸せな家庭だから朗らかなのではなく、朗らかだから幸福な家庭になるのです。 (前号でもお伝えしました)

明るい家庭を築くための最も有効な方法は、「形から変えていく」ことです。
目に見えない心の状態が、様々な形となつて表れる。言葉遣い、表情、しぐさなどを変えることによって、心が変わっていく。
背筋を伸ばしてにっこり笑う、声を大きくして明るい話題を提供する、上を向く、元気良く歩く、というように形を変えていく。 形を変えると心が変わっていく。
何かあれば笑う、笑いが笑いを誘い、家中明るくなる。笑いは全てを幸せにする。

2004年11月12日

好きなように生きる

福井県の海岸沿いに、巨大越前クラゲが異常発生している。5~6年前から増え始め、 一昨年ごろから漁業に大きく影響するようになったという。

直径1m50cmくらい。重量がお相撲さんほどあって、地引網を引き揚げると、クラゲでいっぱい。漁獲量は減るは、 重すぎて網が破れるは、散々だそうです。
原因はいろいろあるようだが、魚の取り過ぎで、海の生態系のバランスが壊れ、クラゲの餌となるプランクトンが豊富になったことと、 水温の上昇で、繁殖が盛んになったことが挙げられる。

昨年秋、越前でスキューバーダイビングした時、1kほど沖から岸に向かって泳いでいたら、突然巨大クラゲに遭遇して、 心臓が飛び出すほど驚いた。
今年の五月には、太平洋の真ん中のスキューバー・スポット”パラオ”に行ったが、世界一美しいと言われてきた沖縄の珊瑚礁が、 水温の上昇と開発による土砂の流入で、75%が消滅してしまった。熱帯魚も回遊魚もいない海になってしまったのです。
温暖化が、大型台風の異常発生を生んだように、私達の目に見えるところにまで、地球破壊が進んできているのです。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第55号】
~幸せな人生を歩むために~
「好きなように生きる」

人生、好きなことをして、楽しく暮らしたいものです。
少子高齢化が急速に進む日本。十年後、二十年後の私達の生活環境は、想像を超える厳しいものになりそうです。そこで、 重税、物価高、低福祉と、先行きの
あまり明るくない日本を脱出して、海外で暮らす人が増えてきました。

今日は、ニュージーランドの地で、自らの天職を生かし、楽しく暮らしている、二つの事例を紹介します。
船越康弘さんの場合
勉強が出来ず、 運動能力もなく、虚弱体質で何の取り得もない平凡な青年(本人の弁)が、二十歳の時に「穀物採食」 を唱える桜川先生と出会い、「玄米食」の素晴らしさを知った。
先生は「食べものが変われば、運命が変わる」と言った。 そして更に、 「人生思った通りになる」「やりたいことがあったら、とことんやり抜くことだ。 堪能するまでやりたいことをやって、自由に愉快に楽しい人生を送り、自分と縁ある人達を喜ばせなさい」 と言った。

桜井先生との出会いが、生きる自信が持てなかった船越康弘さんに、天職をもたらした。その後、 自ら信ずる自然食を広く提供しようと、岡山県で民宿「百姓屋敷わら」を開業した。
15年後更に”食を通して、本当の豊かさと人生を楽しんで生きよう”と、ニュージーランドに新天地を求めて渡り、 永住権を取得した。自然食の普及に、日本とニュージーランドを忙しく行き来しながら、大自然の中で楽しく暮らしている。

「面白がって生きていると、面白がって生きている人が寄ってくる」とは、船越さんの言葉。

同じく、ニュージンランドで第二の人生を送っている、 久保夫妻の場合
大手コンピューター会社に勤務していた久保さん。 生活のリズム全てが会社中心で、家族と一緒に食事を共にすることが出来ないくらい、仕事に追われた毎日。
たまたま旅行で、ニュージンランドへ出かけたことが、それまでの人生観を変えてしまった。生き方を変え、 家族との係わり方を変えようと決心したのです。

生き方を変えるなら、全てゼロから始めてみたいと考え、オーストラリアのメルボルンに家族で渡航し、 短期の生活体験からスタートしてみた。その短い間、とてもリラツクスすることができ、「ここだ、ここがいい!」 とひらめいたという。
日本に帰国後、早速東京のニュージーランド大使館に永住権の申請をすると、とんとん拍子にことが進み、 わずか二週間で永住権を取得した。

それから12年、幾つかの事業を立ち上げ、事業家として成功した。中でも”ライスボックス”という、 丼ものや寿司などの”ご飯もの”を中心としたファーストフードのお店が、地元に大うけしたのです。
今、久保さんは、7年間手塩にかけたライスボックスと自宅を売り払って、6ヘクタールの土地を購入し、 新たにオーガニック農法(無農薬自然農法)の新事業に取り組み始めた。

外国で暮らすためには、言葉の障害を乗り越えなければならない。誰でも申請すれば永住権が取れるわけではない。
久保氏の場合は、英語が話せたことと、コンピューターの技術が移住地で生かせるため、新天地での生活に問題がない上、 受け入れ国にとっても有用な人材だったことが上げられます。

一方の船越氏は、英語が全く話せない。永住権を取るために、半年近く大使館通いをしなければならなかった。 「自然食」の普及に並々ならぬ情熱を持っていたことが、認められた理由です。

ハワイでも三ヶ月間のプチ体験移住が認められている。現地で実際に生活してみれば、土地・建物の不動産価格、 一ヶ月の生活費や、子供の学費、働き口の有無などが分かります。
滞在三ヶ月間に、英会話教室に入るのもいい。ハワイがいいのは、お米やお魚など、 日本食の食材全てが近くの食品スーパーで手に入ることです。

久保さん夫婦のように、「ここがいい!」と思ったら、それからじっくり計画を進めればいいのです。あなたも、 日本脱出を考えてみませんか? マリンスポーツが年中楽しめるハワイ。条件さえ揃えば、 今すぐにでも移住したいと思っている私です。

2004年11月16日

ありがとうが言えますか

相手の立場に立って、相手の視点で自分を見つめてみることの大切さを、某医院の先生が語っています。    (倫理研究所”田形健一”氏の講演より)

私は、毎年秋の紅葉時、妻を伴って京都へ一泊旅行をする。日頃の妻のご苦労に感謝するためですが、実は、京都四条の” 日航プリンセス京都ホテル”の会員になると、誕生月の宿泊料金が、年齢分だけ割引(63%引き)になる特典を利用することにある。

今回の目的は、この秋一般特別開帳された、天龍寺の法堂天井に描かれた「雲龍図」を見ること。
法堂の天井中央、直径九mの円相の中に躍動するみごとな龍。驚いたのは、法堂の中、左の端へ行っても、右端から見上げても、 龍がぎょろりとした目でこちらを向き、見下ろしていることです。顔の大きさ・形までが変わって見える。
驚き、感動して、堂内を飽きもせずぐるぐる歩き回って、見上げていました。

右の絵がそうですが、目は兎、鼻はラクダ、角は鹿、手は虎、爪は鷹、鱗は鯉、お腹はハマグリを表している。

【心と体の健康情報 - 171】
~幸せな人生を歩むために~
「ありがとうが言えますか?」

”ありがとう””感謝” の二つを忘れずに、笑顔を絶やさず、思いやりある言動をしていれば、 何事もうまくいくようになります。感謝の心は「ありがとう」 の言葉になって表れてきます。
「ありがとう」、この何でもない一言、いざとなると声になりません。何故か難しいのです。「ハイ!」と言うのと同様、 「恥ずかしい」という思いを取り去らない限り、度胸のいることなのです。
以下、倫理研究所”田形健一”氏の講演の続き。ある社長さんの体験談です。

家庭も会社も今一つうまくいっていない社長さんが、ある研修を受講した。その研修で、結婚してこの方、妻に 「ありがとう」と言ったことがない自分に気づいたのです。妻に小言は言うけれど、「ありがとう」は言ったことがない。

「そんな改まって言わなくても、妻は分かっているから…」と思っていた自分。
いつも夫の健康を気遣い、身の回りの世話をし、祖父母の面倒を見、子供たちのことを、毎日の食事・洗濯…。それを、 当たり前のことのように思い、見過ごしてきた自分。

思っているだけではダメ。勇気を出して「ありがとう」と、妻に言ってあげることです。社長さんは、 今日こそはと意を決して家に帰り、妻を前に座らせた。
「あなた、何なの?」、いぶかしげな妻を前にして、恥ずかしさと緊張のあまり、声が出なかったという。 無言で妻の前に手を付き、頭を下げた。
何故か涙が溢れてきた。察知した妻も、涙ぐんで分かってくれたという。

「ありがとう」が言えるようになると、「お早うございます」も言えるようになる。
今までは、社員さんから「お早うございます」と言われたら、「お早う」と応えるだけだった社長さん。
今は、社長から率先して「お早う」ではなく、「お早うございます」と、社員の方を向いて、大きな声で頭を下げ、 きちんと言えるようになった。
社長の突然の変身に社員は戸惑い、いつまで続くだろうかと、噂したりした。

「自分が変わらなければ、会社は変わらない」。この社長さんの決意が、恥ずかしさを超えた行為となった。これも、 やり始めが大変です。
社長も社員も慣れてくるに従い、ごく自然に、日常事として受け入れるようになった。一年後、たった一つのこの挨拶で、 会社の社風が変わり、業績が良くなっていったという。

どうか世の奥様方、ご主人から「ありがとう」の言葉がなくても、勇気を出して、ご主人より先に「ありがとう」 と言ってあげてください。夫は感動して「私こそ、ありがとう」と、返事が返ってくるでしょう。
家族に「ありがとう」がこだまする。素敵な夫婦、素敵な家族に「ありがとう」。

2004年11月19日

おはようの挨拶は先手必勝

■二千円札
新札が発行されて早や一ヶ月。一足先に新札発行された二千円札、今年で四年になるが、相変わらずの不人気。 最近は滅多に見かけることがない。
嫌われる理由は、自販機の対応機が少ないことにあった。今回、新しいお札の発行に伴い、自販機が刷新されている。 二千円札対応機が増えれば、普及に弾みがつくのではないでしょうか。
以外なのは、二千円札の流通枚数。既に五千円札を抜いてしまっているという。
世界各国で最も流通しているのは「2」の単位の紙幣。使い勝手が良いので、今後普及していくでしょう。それと、”五万円札” があるといいなと思うのは、私だけでしょうか。



【吉村外喜雄のなんだかんだ 第57号】
~幸せな人生を歩むために~
「おはようの挨拶は先手必勝」

滋賀ダイハツ販売グループのオーナー”後藤昌幸”氏は、破産状態の会社を再建した後、三十年以上の長きに渡って、 滋賀県下販売台数一位の座を維持してきたことで有名です。日本広しといえども、 ダイハツのディーラーがトヨタより販売台数が上回るというのは、他に例をみません。
以下、後藤氏が「仕事のコツ、人生のコツ」と題して語った中からの抜粋です。

会社を、同じ理念と思想を持った人間の集団にしていくには、 社長自身がまずしっかりしないといけない。社員は社長の背中を見ている。 だらしない背中を見せていたら、社内にいつの間にかだらしないムードが漂ってしまう。それとは逆に、 上に立つ人に気構えさえあれば、会社は勝手に良くなっていくものです。

私が経営者の皆さんにアドバイスしたいのは、朝、 誰よりも早く出社することです。早く出て、 出社してくる社員さんに「おはよう」と声をかけて、迎え入れる姿勢は、非常に大事だと思うのです。
部下から先に挨拶されて、「ああ、おはようさん」なんて返しているようではダメなんですね。 挨拶に地位の上下は関係ありません。
「挨拶は先手必勝で、先に言った方が勝ち。言われたら負け」 と思ったらいい。
トップが先手必勝の挨拶を徹底して実践したら、社員は自ずから頑張ろうという気になりますよ。

社員さんも同じではないでしょうか。誰よりも早く出社して、後から出社してくる社員さんや、上司に向かって、 元気よく「お早うございます」と声をかければ、良い印象で見られること受け合いです。きっと、 良いポジションの仕事が回ってくるでしょう。
上司で一番よくあるケースは、自分は偉いと思っているわけではないが、朝は一番遅くに出社してデスクに着き、 すれ違う社員さんの「おはようございます」の挨拶を心地よく受ける。また、夕刻社員さんが仕事を終えて退社するとき、 「お先に失礼します」と言ってくれているのに、デスクの資料に目を通したまま、相手も見ずに「お疲れさん」 と言ってしまう。

これでは、本当にお疲れさんという「心」が社員さんに伝わりません。必ず社員さんの方を向いて、 笑顔できちんと目線を合わせ、心から「お疲れさまでした」と言って送り出すことです。
こんなことを書いている私も、まだまだ努力が足らないようです…。

2004年11月26日

ボージョレ・ヌーボの販売戦略

11月17日は、プロ野球のドラフト会議でした。フレッシュな新人がプロの世界に夢をふくらませる。その姿がすがすがしい。 そしてその日の夜、今年の初物、フランスワイン「ボージョレ・ヌーボ」がフレッシュに登場。
18日解禁を祝って、午前零時のカウントダウンパーティが、金沢市内のホテルや酒場で開かれた。

私達夫婦も初めて参加した。十・九・八・…の合唱の後、クラッカーが鳴らされ、樽酒が開かれ振舞われる。その後、 各テーブルに配られたビン詰めボージョレも味わった。が、樽の方が明らかに舌にまろやかで、味わい深かった。 生ビールとビンビールの違いのよう…。
ジャズ歌手の歌と生演奏を聴きながらの、ここちよいひと時でした。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第56号】
「不利な条件を逆手に取って成功した
ボージョレ・ヌーボの販売戦略」

私は日本酒よりワインや焼酎が好きである。ワイングラスに上等のワインを注いで、その雰囲気、香り、色を楽しむ。 そして舌の上でころがして、より深みのある味わいを楽しむ。
ボージョレ・ヌーボは、さわやかで飲みやすい一方、深みや重みがないと言われる。ところが、 一昨年の輸入量は740万本。今年は1000万本を超えようとしている。日本は最大の輸入国である。その成功の陰には、 ビジネスのお手本になるような、販売上の知恵と工夫があることを知らねばならない。

ボージョレ地区のブドウは、土壌や気候の関係で、長期熟成に向かないものが多く、高級ワインにはなりにくい。 一方で、早熟でさわやかという特徴がある。
そういった短所を長所に変えていく、商品及び市場戦略が功を奏し、特別な「新酒」として、 世界的人気を博するようになった。

品質を保つために始まったとされる解禁日も、消費者をじらし、期待感や渇望観が高まったところで、 世界一斉に販売するという、効果的商法に結びつけている。
これが、イベント性を高め、季節の代名詞になる地位の確立につながったのです。

解禁日に、酒店やレストランに一斉に張り出されるポスターの「ボージョレ・ヌーボ到着!」は、簡単にして明解。 広告の名文句となっている。日頃ワインに馴染みの薄い人まで、「そうか、飲まなくては…」という気にさせるのです。
日本酒もよく似たことをやっている。解禁日は無いにしても、「地域限定」「生産量限定」「一番絞り」 などといった商法で消費者にアピールし、販売量を伸ばそうとしている。
成功の陰には、その他にも幾つかの隠れた苦労がある。世界一斉販売は、 短期間に世界中に配送できる物流網が整備されたお陰。
また、日本で売られるボージョレの瓶は無色透明。一般に、光の影響を防ぐため色付きの瓶が普通。日本では、 色付きの瓶は再利用がむずかしい。
そこで「すぐに飲んでしまう新酒なら、光の影響も少ないだろう」と、リサイクルに配慮した瓶を使うようにしたのです。

読売新聞の記事より

伝統やルールを頑固に守りながら、遠い消費地である日本の声に柔軟に対応する姿勢は、見習わなければならない。 「味に比べて高価」「見え透いたお祭り騒ぎ」というさめた声もあるが、厳しい消費不況の中、 財布のひもを緩めさせる巧みな戦略・戦術は、見習うところが多い。
ちなみに、ボージョレ・ヌーボの”ヌーボ”とは、日本語では「新しい」の意味。
だから、「ボージョレ地方の新作ワイン」という意味になる。

2004年11月30日

コントロール出来ないことを悩んでも仕方がない

私の言葉遊び、同じ文字を並べた「畳語」。今日は”なぞなぞ”をいくつか紹介します。
江戸川柳に、「同じ字を雨雨雨と雨るなり」 というのがある。

「同じ字をアメサメダレとグレるなり」と読みます。これは誰も答えられない。
雨の「あめ」、春雨の「さめ」、五月雨の「だれ」、時雨の「ぐれ」です。
作者は春、夏、冬の”季語”を順番に並べて、シャレたつもり。

■さてなぞなぞ。次の言葉どう読めばいいのでしょうか?
  「私には解けない、無理!」と思ったら、解けるものも解けなくなってしまいますよ。
「すもももももももも ももももも ももももも色 色色色色色色色色色色あり」
「子子の子の子子子 子子の子の子子子」
「平仮名は海海海海海から」

【心と体の健康情報 - 172】
~幸せな人生を歩むために~
「コントロール出来ないことを悩んでも仕方がない?」

以下、(株)オリジンコーポレーション 杉井保之社長の講演からの抜粋です。
自らの感情をコントロールすることは、大変難しいことです。
自分の正しさを基準に物事を見つめ、こだわると、人を非難したり、腹を立てたり、見下したりしてしまいます。
悩み事の大半は、自分ではコントロールできないことをコントロールしようとして悩んでいる。
解決できないことを悩んでいる自分に、気づかなければならない。
その一方で、コントロールすれば、問題が解決するのに、何もしようとしていない自分にも、気づかなければならない。

家庭にあって、奥さんや我が子を、意のままにコントロールしようと思っても、無駄骨に終わるだけです。なのに、 他人の考え方や行動をコントロールしようとする。会社の売上を思い通りにコントロール出来るでしょうか? それが出来る人がいるとしたら、そこで働く人達を自由にコントロールできる人でしょう。

年齢や時間は、コントロールできない。怒り心頭に達しても、松井選手のように、 自分の感情をコントロールできる人は少ないと思う。

自らコントロールできないことは、受け入れるしかない。ガンを宣告されたら、悩んでいてもどうにもならない。 受け入れるしかないのです。雨が降ったら傘を差すしかない。柔軟に、目の前の状況に合わせて、 最善の方法を選択をしなければならない。
コントロールできることも沢山あります。状況に合わせて、柔軟な姿勢で対応することです。 自分の行動に責任を持つことも大切です。

ところで、自分の性格を変えることができるでしょうか? 性格を変えるなんて不可能と思う人は、 一生性格は変わらないでしょう。変えようと本気で思えば、変わっていくものです。もの事の始めに、 どう思うかで決まってしまうのです。

信念を持ってもの事に当たるのはいい。しかし、信念を持った人をントロールしようとするのは不可能に近い。信念を持つとは、 裏返せば人の言うことを聞かない頑固者になることでもある。そして、その信念が正しければいい。
しかし、間違った信念であれば悲劇になる。オウム真理教が良い例である。

また、幹部社員を前にして、「来年の売上は今年の三倍」と提示したら、誰一人受け入れようとしないだろう。 信念などなくても、自らが持つ常識や経験が邪魔をする。今の時代、5%~10%アップなら常識。それでも大変です。しかし、 こういう常識の中にいる限り、今やっているヤリ方の範ちゅうでしか、もの事を考えようとしないだろう。 従来のヤリ方のまま、 ただ「頑張れ」と言うだけです。
ところで、三倍の売上を目指す以外に選択の道がないとしたら…。
「今までのやり方のままでは駄目だ」となる。根本からヤリ方を変えるしかないだろう。そこで、「やって出来ないことはない」 と思えば、可能性は広がっていく。
しかし、「不可能だ、出来ない」と思えば、それから先、一歩も前に進まないだろう。

■畳語の答え
・「李も桃、桃も桃、桃も百色十色あり」と読みます。
・「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」
・「アイウエオ」
 海女の「ア」、海豚の「イ」、海胆(うに)の「ウ」、海老の「エ」、海髪(おごのり)の「オ」

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