アテネオリンピックのおかげで、カラーテレビがよく売れたという。
ところで、去年から今年にかけて、カラーテレビを買った人の八割近くが、
4年後の北京大会までしか見ることが出来ない機種を買わされていることを、承知しているのだろうか?
8年後のオリンピックでは写らないということを…
現在受信しているテレビは、すべてアナログ放送。今年の春から東京、大阪、名古屋の三地区で始まった地上デジタル放送は、 2年後には全国で受信できるようになる。そしてアナログ放送は、7年後の2011年7月には終了する。
その時になったら、何万円か出してアダプターを取り付けれはいいと思っているかもしれない。が、デジタルテレビの売り物である
「高画質」や、「双方向サービス」を楽しめない機種がほとんど。
十年以上は持つと思うから、たいまいのお金をはたいて買っていく。しかし、電波を受信できなくなればただの箱。どのメーカーも、
そのことを販売時に十分説明していないという。
8/29読売新聞「一筆経上」より
【心と体の健康情報 - 163】
~幸せな人生を歩むために~
「天職にめぐり合うこと」
(株)芝寿しの梶谷忠司会長。神戸で知る人ぞ知る、(株)甲南チケットの小林宏至社長。
何れも二十数回いろんな職業を体験した後、梶谷会長は四十五歳、小林氏は五十歳になって、今の仕事にめぐり合い、
天職となった。
将来の職業が定められて生まれてくる人は稀である。”てんびんの詩”のように、何代も続く老舗に長男が生まれると、
其の時から将来が、人生が決まってしまう。
しかし同じ商家でも、私のように三男坊に生まれると、親は外へ出て一人前になってほしいと、”外喜雄”と名付けた。
もの心つく頃になると、将来何になろうかと、あれこれ考えるようになる。今の若者たちに、 「お父さんのような仕事をしたいと思うか?」と尋ねると、「嫌だ」と答える若者が七割近くいる。 お父さんが会社でどんな仕事をしているのか知らないということもあって、 何が自分に向いているのか分からない若者が多いという。
前号まで、「人生できるだけ早い時期に”天職”を見つけること、それが幸福につながる」と書いてきました。 9月12日の中日新聞に、「一隅を照らす」と題して、50代になって天職を見つけた人の話が載っていた。
某社の営業部長をしていたAさん、定年を間近にして、子会社に天下りするのが通例なのに、 何故か経験もノウハウもない、しかも高度な技能を要する、美容師の道を志したのです。
昼、営業部長としての激務をこなしたあと、夜間の美容専門学校に通い出した。
座講の方はともかく、技能実習のハードルは高かった。若いもののように手先が思うように動かず、挫折寸前まで行った。
横浜の郊外にある小さな美容院での修行が始まる。一人前の美容師になるための修行は並みでなく、
不屈の努力と精神力を要した。三度目の挑戦で実技試験を突破したときには、涙か止まらなかったという。
彼が第二の人生に美容師の道を選んだきっかけは、ある老人施設で、九十二歳の寝たきりのお婆さんが、
美容師さんに髪をカットしてもらっているのを見た時です。
生き返ったように、顔面いっぱいに喜びを表したのを見たとき、何ともいえない感動が走り、「私のやりたかったことはこれだ!
人に喜んでもらう私にふさわしい仕事はこれだ!」と、即座に決心したという。
彼の美容院は、福祉美容を目指している。足が不自由になったお客様の送迎、施設や寝たきり老人の家への出張美容。 現在二店舗持ち、三店目の準備に入っているという。営業部長だった時の経験が、新しい経営に生かされているのです。