言葉遊びの「畳語」、まだまだネタが尽きません。
「竹屋の竹薮に竹立てかけたのは 竹立てかけたかったから
竹立てかけた」
は、早口言葉としても知られています。
「豚が豚をぶったら ぶたれた豚がぶった豚をぶったので ぶった豚とぶたれた 豚が ブウブウと ぶっ倒れた」
も面白い。
「こ向かいの 小山の小寺の小僧が 小棚の小味噌をこなめて 和尚にこ頭 こずかれた」
・私の作品です。お茶の種類を並べてみました。
「お茶を飲むなら日本茶やむ茶 製茶したもの葉茶棒茶
抹茶ほうじ茶げんまい茶 芽茶粉茶にウーロン茶 白茶青茶、 黄茶に黒茶
みんな知ったる緑茶に紅茶 めでためでたの桜茶、こぶ茶
ぜんぶ飲めとは そりゃむちゃくちゃや やくちゃもない(金沢の方言)」
【心と体の健康情報 - 158】
~幸せな人生を歩むために~
「運勢が良くなる方法(4)感謝の心」
「ありがとう」を言い、「感謝の気持ち」
を持ち続けると、愛が深まっていく。
心がきれいになっていく。このすごい魔法の力を持った二つの言葉、子育てには絶対欠かせないものです。
子供の頃、ご飯をこぼしたりすると「罰が当たる」と叱られた。私達が口にする食べものは、
植物や動物など自然界で育まれた命。それを頂いているのです。
毎日何気なく食べているご飯、そのお米は、お百姓さんの労苦のお陰で口に入ることも忘れてはならない。食事を頂くとき、
お米やお百姓さんに感謝をする心があれば、「いただきます」と自然と手が合わさる。
以下、致知八月号「ありがとうおじさん」からの抜粋です。
ご飯を例に挙げても、米一粒一粒に命が宿っている。米は、
自分の命を捧げて「私を食べてください」と言っている。 「感謝の心」は、「天からの恵みで生かされている」、 そんな思いから生まれてくる。 「感謝の心」の正反対は「欲に囚われた心」になる。感謝のない状態が 「欲の心」なのです。欲の心は、あれが無い、これが不足と、心が満ち足りない状態から生まれてくる。 その満ち足りない心を補おうとして、「欲の心や、求める心」が生まれてくるのです。 |
子供の成長過程で、「ありがとう」と「感謝」、この二つを繰り返し教え、 躾けなければならない。これは大変大切なことで、親の務めでもあります。
私が幼少の頃通っていた幼稚園は、 武家屋敷の並びにある聖霊病院に付属したカトリック系の幼稚園でした。そこに”ライザ”というドイツ人の美しい先生がいた。 先生は、ドイツ流の家庭の躾け方で、私たち園児を躾けた。
食事の前に繰り返されたお祈りは、今も私の潜在意識の奥深くに眠っている。
食事の前には、必ず「お米に感謝し、天の恵みに感謝し、お百姓さんに感謝しましょう」といった短いお説教があって、
そのあと両手を組んで目をつむり、「天にまします我らが父よ、今日も一日神のお恵みで、食事が出来ることを感謝します。
アーメン」とお祈りしたあと、箸を取った。
食事中に、ご飯を床にこぼしたことがある。「これ、あなたがこぼしたんでしょう?」。
叱られるのが怖かった私は、「自分ではない」と言い張った。暗い物置の中に入れられた。頑固に謝らなかった私に、
「お父さんにきつく叱ってもらいましょう…」。
父親は厳格で怖かった。家に帰って、いつ叱られるかと縮こまっていたことを、今も忘れない。そうやって、食べものに感謝し、
モノを粗末にしないしつけが身についていった。
しかしその後、小・中・高を通して「感謝の心」について教えられたり、学ぶことはなかった。