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2004年07月 アーカイブ

2004年07月02日

元気な時に死を考える

■私の言葉遊び。同じ文句を並べた「畳語」の続きです。
・喜び上手な人のところに、喜びごとが集まってくることを詠った
「喜べば 喜びごとが喜んで 喜び集めて喜びにくる」

・”冬のソナタ”の心境でしょうか…
「心ぞと 心にしれど 心より 心まどわす 心なにせん」  

・次の二つはおまけ…
「京の三十三間堂の仏の数は、三万三千三百三十三体あるという」
「狂言師が京から今日来て 今日狂言して 故郷の京都に 今日帰る」


・私の作。 同意語を組み合わせると、以外と簡単に作れます。
 『仙人が優れた仙人を 千人の仙人の中から一人の仙人を
選任しようとしたが  仙人が千人の仙人の中から  仙人を一人 選任することは  千に一つもむずかしい』

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第37号】
~幸せな人生を歩むために~
「可能性思考/元気な時に死を考える」

人は誰しも「死」を恐れる。だから誰も、死について真正面から考えようとしない。
何れ必ず死ぬときがくることへの恐れからか、そのことに触れまいとする。
何れ我が身に降りかかってくることだろうが、今は話すことも、考えることも忌まわしい。そうやって、 大切なことを先送りしてしまう。
だから、突然その時がやってきたとき、心の備えが出来ていないから、うろたえ、嘆き、恐れることになる。

壬生の義士のように、武士たるもの日頃から、いざというときの切腹の覚悟ができている。太平洋戦争、 ゼロ戦で散っていった若者も、覚悟ができていたから、みんな笑顔で飛び立つことができたのでしょう。
一般に「死」は忌まわしいもの、暗いものとして遠ざけてしまいがちです。この世に生を受けた以上、もっと自然に、 そして真剣に「死」というものに向き合う必要があるようです。

そもそも人は「他人の死」を悲しみこそすれ、それが原因で恐怖心に襲われることはない。しかし、自分の死を目前にすると、 恐れおののくことになる。
死を恐れるから生命は、その細胞の一つひとつが、全力で生きようとするのです。

「死」は決して怖いものではない。怖いと思う原因の一つに、死んだら何もかも消えてなくなる。灰になってしまう。 無になってしまうとの思いがあるからでしょう。
だから、怖いのです。
浄土宗では、死んだ後に極楽浄土へ行くことができ、禅宗では、来世もう一度この世に生まれ変わることができる。
母親の胎内から生まれてきたのだから、またその故郷に帰るのだと考えれば、死ぬことが怖くなくなるかもしれない。

死ぬ間際ではなく、いま元気なときに、死のことをどのように受けとめるか?」 考えておくことです。自分を納得させるものを持っておくことが大事でしょう。
死んだら何もかもそれでおしまいと思うのか? 死は永遠の別れと思えば、怖いものになる。死後も魂は生き続けると思えば、 心の拠りどころになるだろう?
死後の世界を信じるか…? 信じなくても、この世に何かを残し、人生の使命を果たした満足感で死んでいくか…。
心の拠りどころ如何で、死というものへの心構えが、天と地ほど違ってくる。

死についても、プラス思考で考えるようにしたい。可能性思考を高めていきたい。年をとるにつれ信心深くなるのも、 そういった想いの現れでしょう…。

文中、五木寛之の「元気に生きる知恵」から、一部抜粋があります

2004年07月06日

ものごとをプラスにとらまえる

[人生、どちらを選択して歩んで生きるか?]
■成果を求める人生
 成果を得る人は、いい訳をしません。
 習慣的に成果に挑戦し、やりつづけます。
 苦労することをいといません。
 その結果、素晴らしい成果を得て 幸せな人生を送ります。

■いい訳の人生
 いい訳をする人は、何かあるごとにいい訳をし、
 いい訳の連続で人生を送ります。
 苦労を避けて通ろうとします。
 その結果 満足すべき成果を手にすることなく、 
 自ら、不幸な道へと歩んでいきます。

【心と体の健康情報 - 152】
~幸せな人生を歩むために~
「可能性思考/ものごとをプラスにとらまえる」

先日の”坂東弘康”氏の講演からの抜粋です。
あの偉大な”松下幸之助”は、”可能性思考能力”が誰よりも高かったという。
”可能性思考能力”とは、「現実をあるがままに受け入れること。その上で、 何事にもプラスの発想で受け止めることができる能力」のことをいいます。
可能性思考の高い人は、人生こよなく幸せに暮らしていけるのです。そこで、この可能性思考の能力を、 教育訓練によってより高めようというのです。

アメリカの宇宙基地ナサに、とてつもないサバイバル訓練があります。身体能力、I Q共に高い人達が宇宙飛行士に選ばれている。そういった人達を対象に行われる実験・訓練です。
「戦闘機が、極暑の砂漠に不時着した。そこから、どういう人間が生き残るか」というサバイバル訓練です。

厳しい訓練も後すところ三日というところまできて、隊員には、半分しか水が入っていないコップが渡されます。 わずかコップ半分の水。これ以降の補給は一切ない。これが現実です。
「この現実をどう受け止め、どう解釈するかで、一人の人間の生死が決まる」これが、この訓練の目的です。

この後三日間、ドロップアウトする隊員と、最後まで耐えぬく隊員に分かれます。
ドロップアウトした隊員は、水を渡された瞬間「これで三日間どうやって生き延びろというのか、 絶対無理!」と思った。
クリアーした隊員は、水が半分しかないことを現実として受け止め、この命の水を糧に「ヨシ! 絶対生き抜いてみせるぞ!」 と腹をくくった。

ガラスの容器に入っている液体を見て、「半分も入っている」と見るか、 「半分しか入っていない」と見るかの違いなのです。受け止め方は人によって違います。
可能性思考の能力の差が、苦しい時に出てきます。それが、その人の運命を左右し、人生を左右するのです。

2004年07月09日

イチロー選手の夢

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第38号】
~幸せな人生を歩むために~
「イチロー選手の夢」

■私の好きな言葉   ~松下幸之助~

  成功するには、成功するまで続けることだ 
  辛抱して根気よく努力を続けていくうちに
  周囲の状況が変わって 成功への道が拓けて来る

大リーガーで活躍しているイチロー選手が、小学校六年のとき書いた作文を紹介します。

僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。そのためには、中学、 高校と全国大会に出て活躍しなければなりません。活躍できるようになるためには、練習が必要です。
僕は三才の時から練習を始めています。三才から七歳までは半年くらいやっていましたが、三年生の時から今までは、 365日中360日は激しい練習をしています。
だから一週間中で友達と遊べる時間は、5~6時間です。

そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球選手になれると思います。
そして、中学、高校と活躍して、高校を卒業してからプロ野球選手になれると思います。そして、 その球団は中日ドラゴンズか、西部ライオンズです。ドラフト入団で、契約金は一億円以上が目標です。

僕が自信のあるのが、投手か打撃です。去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、 ほとんどの投手を見てきましたが、自分が大会ナンバーワン選手と確信でき、打撃では、 県大会四試合のうちホームランを三本打ちました。そして、全体を通した打率は5割8分3厘でした。

このように、自分でも納得のいく成績でした。そして僕たちは、一年間負け知らずで野球ができました。だから、 この調子でこれからも頑張ります。そして、僕が一流選手になって、試合に出られるようになったら、 お世話になった人に招待状を配って、応援してもらうのも夢の一つです。
とにかく一番大きな夢は、プロ野球選手になることです

アテネオリンピックが目前に迫ってきました。オリンピック選手は何れも天才なのでしょうか? 小さいときから才能があり、 その才能が開花して、やがてオリンピックのメダリストになった人もいるでしょう。

しかし多くの場合は、「小さいとき体が弱く、それを克服しようとしてスポーツを始めた」といったような動機で、 その後の努力が実り、オリンピックの選手になった人の方が多いのです。

すべてが満たされている人は、その恵まれた環境を生かそうとしません。むしろ、持たざるものの方が、 それを手にしようと努力に努力を重ねて、成果を二倍にも三倍にもしていくのです。何も持っていないからこそ、 すべて満たされている人には無い、大切な宝物を手に入れるのです。

2004年07月13日

あるがままに受け入れる

【心と体の健康情報 - 153】
~幸せな人生を歩むために~
「可能性思考能力/あるがままに受け入れる」

先日の”坂東弘康”氏の講演の続きです。
あの偉大な”松下幸之助”は、”可能性思考能力”が誰よりも高かったという。
”可能性思考能力”とは、「現実をあるがままに受け入れること。その上で、 何事にもプラスの発想で受け止めることができる能力」のことをいいます。

ある時、塾生が松下幸之助に質問した。「戦国の逸話て”ホトトギス”がよく知られています。三人の武将の内、 どの武将の考え方に賛同されるでしょうか?」

信長は「鳴かぬなら、殺してしまえホトトギス」。秀吉は「鳴かぬなら、泣かせてみせようホトトギス」。家康は「鳴かぬなら、 泣くまで待とうホトトギス」。
ご存知、三人の個性をみごとに表現した逸話です。

鳴かないホトトギスは、もしかしたら”障害を抱えている”のかもしれません?
そのホトトギスに、信長は「殺してしまえ」と言う。それは惨いことです。
秀吉は「鳴かせてみせよう」と言う。「褒美をやるから、鳴け!、秀吉のたっての願いじゃ、鳴け!、何で鳴かぬのじゃ、鳴け! 」。これではイジメです…
家康は「鳴くまで待とう」と、ユウチョなことを言う。これでは、一生が終わってしまいます。為るものも為りません。

幸之助はそれ対して、「わしは、三人のどれでもないなぁ~」と言う。
しいて言えば、「鳴かぬなら、それもまた好しホトトギスやなぁ~」と…

人にはそれぞれ、得手・不得手があります。勉強ができなくても、手先の器用な子もいます。今の学校教育は、 勉強ができない子はダメな子として、スパッと切り捨ててしまう。どんな子にも、その子にしかない持ち味、 キャラクターがあります。
まず、「在るがままに受け入れる」。「それもまた好し」と受け入れた上で、 「その子が持つ素晴らしい持ち味は何なのか? それを見つけ出して、育てていく。それが教育であり、人材育成ではないか。 それが親や、幹部の仕事やろぅ」と、幸之助は言うのです。

可能性思考の前提条件は、「現実をひとまず、在るがままに受け入れる」ことなのです。売上が低迷し、赤字体質の企業。 その現実をまず受け入れ。何故そうなのかを見極めた上で、プラスの発想に導いていく。経営者・ 経営幹部の可能性思考能力が問われるのです。
マイナス思考をプラスに転換するキーワードは、「それもまた好しホトトギス」なのです。

その上で松下幸之助は、事実を在るがままに受け入れるには、「素直な心」 が大切だと言っている。「素直」というと、 一見弱々しいイメージがあるが、 この場合の「素直」には、極めて積極的・ 前向きな意味合いが含まれているのです。

幸之助が会議の席で、「素直に」と発言したときは、「前例や周りの意向に捕らわれるな!」と言っているのです。
「数年前に失敗した事例があります。だからダメだと思います」と発言した社員に、「君、素直でないなぁ…。 前回ダメだったのなら、その原因を追究して、どうやったら旨くいくかのアイデアを出すのが、今日の会議ではないのか?」 と幸之助は言う。
極めて積極的にアクティブなイメージで、「素直」を幸之助は使うのです。
「自分の失敗体験や、自信のなさからくる捕らわれの心」、「素直でない」原因はここにあるのです。

2004年07月16日

”お陰様”の言葉に込められる感謝の心

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第39号】
~幸せな人生を歩むために~
「”お陰さま”の言葉に込められる感謝の心」

言葉遊びに、言葉の意味・由来・語源を追求していくのがある。
それが「ヘェ~」となり、意外と面白い。
今日は、私たちが普段よく使う言葉、「お陰さまで…」の語源を探ってみます。

私の父は香林坊に店を構えていた。町内の商店主がふらりと店に入ってきて、
「最近暇やねェ~。商いのほうはどうやいね?」と尋ねられる。
普通は『まぁ、ボチボチやわ』と、謙遜して言うところを、『お陰さまで… 』と言う。
父に「何故いつも、お陰さまで…、としか言わないのか?」と訪ねたら、『同じ商
いをしとるもんに、”お客が来んで暇や”と言っても仕方がない。いくら嘆いても、
誰も助けてくれんわいね。だから”お陰さまで…”としか言わんことにしとる…』

「お陰さまで…」の由来については、致知8月号の五木寛之氏と稲盛和夫氏の
対談で、二人が語っている。

五木 『大阪の人は、「儲かりまっか」と聞かれたら、「お蔭さんで、まあぼちぼちでんな」 と答える。「お陰さまで」の「お陰」は、「御蔭参(おかげまいり)の「お陰」です。
御蔭参りは、伊勢神宮へ参ることです。ですから、「お陰さんで」ということは、「天地神仏のお陰、 世間様のお陰で商売はなんとか儲かっております」という大阪の礼儀を表している言葉なのです』
稲盛 『確かに「お蔭さんで」という感謝の気持ちは、優れた経営者は必ず持っていますね。 俺の才覚で成功したなどとは誰も言いません。「私は運が良かった」と謙虚に語る。つまり神様であるとか、 何かそういう大きな力の支援で成功できたのだと、自分のビジネスの成功をとらえておられる』

念のために広辞林を繰ってみたら、「おかげ参り」は、『江戸時代、父兄や主人の許しを得ず、旅費も持たずに家をぬけ出し、 沿道の人々から施しをもらいながら、伊勢神宮参拝したこと。「抜け参り」ともいう』とあった。

北陸ゼミは定員650名。七月中には申込者のめどが立つよう、皆様に参加のお願いををさせて頂いております。 沢山の方にご参加頂き、「お陰さまで!」と、早く言えるようになりたいものです。
そして、受講された皆様からも、「お陰さまで…よかった!」の嬉しい声が聞けるよう、準備をさせていただいているところです

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2004年07月20日

運命は変えられる?

言葉遊び、「畳語」がふんだん出てくるのが落語の「りん廻し」。
ガラにもなく風流の道を志したハチ公に、横丁のご隠居があれこれコーチする。

「山王の 桜に猿が三下り 合の手と手と 手手と手と手」
「りんりんと りんと振りたる小なぎなた 一と振り振れば 敵はちりりん」
「りんりんと りんと咲いたる山桜 嵐が吹けば 花がちりりん」
「りんりんと 綸子(りんす)や繻子(しゅす)の振り袖を 娘に着せて
ピラリシャラリン」

と、手当たりしだいに披露するご隠居をさえぎって、ハチ公も一句…

「りんりんと 淋病やみは痛かろう 小便するたび チョピリチョピリン」

・私(吉村)も負けじと一句    
「ちりりんと 振れども振れども チョピリチョピリン」  (^-^;

【心と体の健康情報 - 154】
~幸せな人生を歩むために~
「運命は変えられるか?」

「人生とは何だろう」。人の一生には運・不運が付きまとう。思わぬ運・ 不運に人生がほんろうされる。それと並行して、人生ドラマを構成するもう一つの大きな 要因に 「因果の法則(原因があるから結果がある) があります。

日々何かを思い描き行動すれば、必ず「業(この世で為す善悪の行い) が生まれます。その「業」によって生ずる様々な現象・結果が、 運命とからみ合い、人生をおりなすのです。

ここで疑問に思うことは、「運命は変えられるか?」ということです。未来が予測出来ない以上、結果からしか判断できません。
東洋哲学・人間学の”安岡正篤”師は、「運命は善き想い、 善き行いによって変えることができる」と、「立命の学」の中で、 中国の明の時代の遠了凡(えんりょうぼん)の物語を取り上げて説明しています。

遠了凡の父が亡くなり、母は息子に、 父の跡を継いで医者になってもらいたいと思っていた。そんなときに、老人が町にやってきた。
老人は、息子をしげしげと見て、「この子は医者にはなりません。科挙(かきょ)の試験に合格して、 偉い役人になる。」と言い、「来年には村の試験に、何人中何番で合格し、再来年には、こういう試験に受かり、 そして科挙の試験には…」と、これからの人生を事細かに占う。
「将来は地方の町の長官になり、結婚はするが、子宝にま恵まれません。そして、 53歳に往生するという運命です」

遠了凡はその通りの人生を歩き、地方の長官に任じられた。そして、人間進むも退くも、出世の遅い早いも、 運命で定められていることだ。いくらやきもきしても、なるようにしかならぬと、固く信ずるようになった。

ある時、高名なお寺を訪ね、参拝して三昼夜坐禅を組んだ。すると、お寺の老師が舌をまいて、 「若いのに素晴らしい。これほど一点の妄想もなく澄み切り、悟りを開いた人には会ったことがない」と言った。

遠了凡は、「何も修行などしておりません。運命が決まっている以上、高望みも悲しむこともしません。 ですから私には、邪念も曇りもないんです」と言った。
老師は驚いて、「心に曇りがないのは、人生をあきらめただけで、 人生を極めて心を美しくしたのではなかったのか…。それでは余りにも哀れだ」と言った。

老師は続けて言った。「運命というものは、決して定まったものではない。天命は自分から作り、 福は自分から求めて手にするものだ。しかるにあなたは、二十年この方、他人から占定されて、 自らの努力で変化しようとしなかった」

「だが、案ずることはない。徳を積めば、有名にも、お金持ちにもなれる。 今から人のために善いことを実行しなさい。あなたの運命は変わる」と説いた。
つまり、自分から自発的に立命をもって修行すれば、運命が変わると説いたのです。
それからの遠了凡は、毎日欠かさず善いことを念い、実行した。そうしたら、 生まれないと言われていた子供を授かり、53歳で死ぬはずが、70余歳まで生きた

安岡正篤師は、この話を通して「善きことを重ねると、因果の法則が働き、 運命は変えられる」と説いているのです。

2004年07月23日

自らの努力で運をつかむ

■過去に経験したことのない大きな目標に挑み、その目標を達成 したときに
  同時に経験するのが、以下の三つです。

1.  一生懸命やれば 大抵のことが出来る
    一生懸命やっていると、 やった分だけ積み上げられていく。
    未知の世界がどんどん拓かれていく。

2.  一生懸命やれば 何事も面白くなる
    一生懸命やっていると、 山に登るがごとく、登る苦しさよりも、
    もう少し、もう少しと、頂上を目指している自分が楽しくなる。

3.  一生懸命やれば 誰かが助けてくれる
    一生懸命チャレンジしていると、人の心を動かします。
    援助しようとする人たちが周りに集まってきます。

目指す山が高ければ高いほど、その途中の山道が険しければ険しいほど、頂上に上り詰めたときの喜びと感動は大きなものがあります。

【吉村外喜雄のなんだかんだ】
~幸せな人生を歩むために~
「自らの努力で運をつかむ」

以下、倫理法人会「今週の倫理324号」からの抜粋です。

アメリカの哲学・心理学者のジェームズ・ランゲは、 「人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのである。 恐ろしいから逃げるのではなく、逃げるから恐ろしくなるのである」 という説を述べている。

目の前に大きな壁が立ちふさがった時、乗り越えられないと思うから、出来ることも出来なくなってしまうのでしょう。

同じように、強運に恵まれたから幸せになるのではなく、いつも口癖のように、 将来の夢や目標を語っていると、強運を呼び込み、幸せになれるのです。

生理的に見ると、いつも肯定的な言葉を意識的に選択し、積極的に使っていくことで、 自律神経によい刺激を与え、積極的思考回路を喚起するのです。一人、胸の内でいくら強く思っていても、 自律神経を刺激することができません。人前で繰り返す、前向き・肯定的な言葉や行動によって、 自らの自律神経が刺激され、精神が高揚し、積極的に行動するようになるのです。

高い目標にチャレンジしようとすると、ストレスを感じてしまう。適度なストレスは、 むしろ心に張りを与え、潜在能力を開花させてくれます。普段の行動の中で、ストレスに負けない気力や、 精神力を養うようにしていけば、成功への道が拓けてくるのです。

ノエビアには、二次代理店(小売)から、一次代理店(卸売)に昇格する制度がある。一定期間に目標売上を達成すると、 傘下に代理店を持ち、代理店に商品を卸し、代理店所長を育成し、指導することが出来るようになります。
昇格した一次代理店には、更に販社に昇格する道も拓かれています。

このようにしてサクセス階段を上り詰め、販社にまで昇格し、前髪をつかんだ女性が、全国に溢れるほどいるのです。 自らの力で”人生の運”をつかみ取った人たちです。
昇格を目指す第一歩は、動機づけの面談から始めます。まず将来のなりたい姿を具体的にビジアル化していきます。そして、 将来それらを手にした自分を想像させ、目標にチャレンジする決意をさせます。自らの意思で「やってみたい!」 と決意することから始まるのです。

次に、チャレンジする目標と期間を明確にします。チャレンジ期間は六ヶ月間。売上目標を設定し、 その目標を達成することのみに、日常活動のすべてを集中します。
人生の分かれ目は、これから挑戦するとてつもない高いハードルを、プラス思考で見るか、 マイナス思考で見るかで決まってしまいます。
積極的思考回路を喚起する方向に向かえば、「頑張ろう」と意欲が湧いてきます。ところが、日頃何かあるごとに顔を出す、 否定的回路が働くと「私には無理、出来ない」と、ヤル気がなえてしまうのです。

ヤルと決めたときから、自らの運命を変える試みがスタートする。この関門を、自らの努力で突破することが出来たら、 それが自信となり、更なる高い目標に挑戦するエネルギーが湧いてきます。
地道な努力と、やり続ける強い意思があれば、誰でも人生の夢を引き寄せることが出来ます。そして、一回りも二回りも、 大く育っていく自分に気づくのです。”仕事が人間をつくり、人間が仕事をつくる” のです。

自らの努力で成功を手にした代理店所長は、ノエビアとの出会い・ご縁に感謝する。何より大きなプレゼントは、 人生の幸福を自らの努力で掴み取ったことで、ヤレば出来るという自信を手にしたことです。

2004年07月27日

運勢が良くなる方法

【心と体の健康情報 - 155】
~幸せな人生を歩むために~
「運勢が良くなる方法」

一ヶ月前、京都の研修で「まずい!もう一杯」で有名な、キューサイの社長 ”長谷川常雄” 氏の講演を聴いた。

長谷川社長が胃を病んだとき、野菜ジュースで健康を取り戻した。これはいいと、商品化することになった。 ところが知名度のない健康ジュース。なかなか売れない。しかも不味い。何とか軌道に乗せようと、TVコマーシャルを出すことにした。

社長が発案した「まず~い!もう一杯」は、社内では反対の声ばかり…。
「そんなコマーシャルを出したら、今まで売れていたものも売れなくなる」
長谷川社長はプラス思考の持ち主。結果は、超人気コマーシャルになり、年間50億円を売り上げる主力商品になった。

講演の中で、”運の呼び寄せ方”について色々語っているので、紹介します。

人は皆、心の中に大きな袋を持っている。私達が思ったり、言ったりしたことが、 この袋の中に入ってくる。 袋に入ってくる思いは、二種類ある。ピンク色したプラスの思いと、グレー色したマイナスの思いです。
「今日は雨か、嫌だね~」、これはグレー色のマイナスの思い。「今日の雨、田ん ぼには恵みの雨ですよ!」、 これはピンク色したプラスのストロークです。

さて、皆さんの心の袋に沢山入っているのは、ピンク色が多いでしょうか?  それとも、グレーの色が多いでしょうか?  ピンクのプラスのストロークが沢山詰まっていれば、現状に満足し、明るく生き生き肯定的です。 グレーのマイナスが多ければ、自信をなくし、無気力で、何事にも否定的です。

■ プラス思考を促す言葉
そこで、グレーをピンクに変える言葉を多く使うようにします。何か辛いこと、苦しいことがあったとき、 「そらそうやろな… 」と素直に現状を受け入れてしまうことです。

それと 「仕方ないなぁ~」と、起きてしまったことをくよくよしないことです。 何が起きても 「この程度で終わってよかった」「たいしたことない…」と思うことです。
「逃げる」 「忘れる」「諦める」。 これもマイナスに陥りがちな自分をプラスに変える大切な思考方法です。起きてしまったことに、 いつまでもクヨクヨ執着しないことです。 忘れることで痛みが薄らぐなら、さっさと忘れてしまうことです。
諦めの良さが、次の新しい運を呼び込むのです。

何かあったとき、自己罪悪感にさいなまれて、自分を「駄目な人間」と、落ち込ませないことです。何があっても、 三日もしたら忘れてしまうことです。同じ生きるなら、ノー天気に明るく、楽しく生きていくようにすると、運が開けてきます。

次に大事なことは、何かをヤルとき「成功」 をイメージします。「失敗」 をイメージ すると、何故かそのイメージ通りに失敗してしまいます。

私(吉村)がゴルフで何度となく経験していることです。理想的なスゥイングと、飛行コースをイメージして、 無心でクラブを振れば、ナイスショットの確立が高くなり、ツキまで呼び込んでくれます。
又、ミスショットをして最悪のホールになっても、次のホールまで引きずらないことです。悪いことはいち早く忘れ、 プラスのイメージに切り替え、新たな気持ちでプレーするようにします。

プラスのストロークを多くしようとして、マイナスの要因となる自分の欠点や、 苦手なことを改めようとするよりも、自分の得意なこと、好きなことを、更に伸ばしていくようにします。自信が付き、 より前向きに積極的になり、プラスのストロークがいっぱい出るようになります。

結論として、「逃げる」「忘れる」「諦める」などは、あくまでもプラス思考に持って行く手段です。 同じことをマイナスに思考したら、グレーになってしまいます。何事もすべて取りようによって、プラスにもマイナスにもなるということです。

2004年07月30日

一眼・二足・三胆・四力

【吉村外喜雄のなんだかんだ 】
~古典から学ぶ~

「一眼、二足、三胆、四力」

柳生新陰流の開祖「柳生但馬守宗炬」の書に、「一眼、二足、三胆、四力」 という言葉がある。これは、 柳生新陰流の奥伝といわれている。

「一眼」 剣道では、相手の目を見据えて勝負に挑みます。相手が何を考え、何をしようとしているのか、 相手を見つめて眼を離さないことです。相手の心を読むことであり、意味するところは、何事にも”精神一点集中” を第一とすること。
「二足」 第二に必用なことは、二本の足でしっかり大地をふんまえ、足腰がしっかりしていること。即ち” 基礎体力、土台”がしっかりしていることです。そのためには、日常の鍛錬が大切になってきます。
[三胆] 三番目は、平常心の中での決断です。そして、その時の状況判断に基づき、”冷静沈着に大胆に” 攻撃を加えるのです。
[四力] 最後は”決断力と実行力”です。そして、更に大きなパワー力をつける”集中力、胆力” が必要となってきます。すべての力を勝負に賭ける集中力が勝敗を決します。

 

■これをそのまま経営に置き換えると

「一眼」は、情報力になるでしょうか…。それは着眼点、 発想力だともいえます。
膨大な情報の中から、何を感じ取り、何を取り込んでいくか?        
目指す方向を明確に示すために、しっかりとした眼力がいります。

「二足」は、時代の変化にも耐えうる企業の体質と土台をしっかり固めておくことです。 財務体質を強化し、人材を育成し、二本の足でこまめに稼ぐ努力がいります。

「三胆」は、明確な戦略に基づく目標を決定し、 決定したことに不退転の決意で全社一丸となって挑みます。

「四力」は、決断したからには迷うことなく、勇猛まい進する実行力でしょう。目標必達に向け、信念と自信をもって実行します。

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