■孟子の言葉
天が重大な任務をある人に与えようとするとき
必ず まずその人の精神を苦しめ
その筋骨を疲れさせ
その肉体を餓え 苦しませ
その行動を失敗ばかりさせて
そのしようとする意図と食い違うようにさせるものだ
これは 天がその人の心を発慎させ
性格を辛抱強くさせ
こうして 今までにできなかったことも
できるようにするための 貴い試練である
【心と体の健康情報 - 151】
~幸せな人生を歩むために~
「苦労は買ってでもせよ!」
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私にとって、死ぬことよりも怖いのは、病気が再発して、またも3年・5年と、治る見込みもなく、 病院のベット臥せてしまうことです。人生がメチャメチャになってしまう。こんな辛いことはない。
死の間際の苦しみは、せいぜい十日くらいだろう。しかし、治る見込みのない寝たきりの人生は、生き地獄である。 看病する家族の苦しみも含めて、思い出したくもない。それこそ、死んだ方がましというものです。
人は皆、いつかは等しく死を迎える。葬儀に参列したとき、命に限りがあることを感じ、かけがえのないこの命、 「大切にしなければ」と思う。
限りある命だからこそ、「死」に直面したとき、 生きようとする命の本能が働く。
真っ暗闇の怖さを知って初めて、太陽のまばゆさに感動するように…。
人生において、「嘆き悲しむこと」「絶望すること」「先が見えず途方にくれること」、いろんな”苦しみ・悲しみ・怒り” に遭遇する。
こういったことは、人間生きていくうえで、すごく大切な命の働きだと思う。
私達はこういったことを、マイナスのイメージにとらまえ、敬遠しがちです。
しかし、そういった影の部分を体験して初めて、 今まで見えなかった光の部分が見えてくることを、知らなければならない。
その影の部分が深ければ深いほど、大きければ大きいほど、その後に見えてくる光の部分の輝きも、大きいものになってくる。
「若い頃に、苦労は買ってでもせよ!」という。辛いこと、我慢しなければならないこと、自分を厳しく律すること、 こういったことは、誰もが嫌がり、避けて通ろうとします。
竹は、節があってこその竹である。節があるから強い風にもしなり、耐える。
いくらスクスクと成長しても、厳しさを体験しないまま、節のないまま、大きく成長したのでは、嵐がきたとき、 ひとたまりもなく倒れてしまうだろう。