禅宗の教えに、病を得たらいずれ”死ねば治る”というのがある。どんな辛く苦しい病でも、
「死ねば治る」のである。しばしの我慢でよいのだからと、病に伴う死への恐怖などはない。自然体に身を任せているからには、
死ぬときがきたら死ねばいい。病の苦痛に勝る難行苦行を積んできた禅僧にとって、病などなにほどのこともないのである。
しかし、我々凡人には、人生、何が苦であるといって、「病」に勝る苦痛はない。
人の世に「病」というものがなければ、どれほど人は幸福であろうかと思う。
「人生とは何だろう」。人の一生には運・不運が付きまとう。思わぬ運・不運に人生がほんろうされる。私は、
数えればきりがないほどの運に恵まれ、今を生かされている。
今日のお話は私事ですので、お読みになりたい方だけ、どうぞお読みください。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第36号】
~幸せな人生を歩むために~
「幸運と感謝に生きる」
三八豪雪の年の春、雪下ろしで真っ黒に日焼けした私。健康そのものでした。
念願の東京に就職が決まり、旅立つ二日前の三月三十日、フッと、健康診断を受けるなら今と、病院へ検診に出かけた。
検診の後、先生が言った。
「ベッドを空けておくから、午後から入院の手続きをするように」。 『……』
4年前に発病して大学進学をあきらめている。その後、薬を飲み続けて治ったと思っていたら、気づかないうちに病気が再発し、
進行していた。
その日から、隔離病棟のベッドに横たわる毎日になった。
それから七年、病魔との闘いの日々。同世代が、青春を謳歌し、職場で、仕事で人生の土台づくりに励んでいる大切な時期、
私はベッドにひたすらじっと横たわる毎日が続いた。
毎日、お尻に打つ注射が、筋肉の硬直で刺さらなくなり、経験の浅い看護婦の手をわずらわせた。辛い日々だつた。
病棟で共に暮らす患者。3年・5年は当たり前、死んでいく人もいる。亡くなると、看護婦が部屋に入ってきて、
何事も無かったように、その空きベッドのシーツを取替え、きれいにする。数日後、新入りの患者さんが入ってきて、
そのベッドの住人になる。
刑務所の囚人の方がまだましだろう。
あと何年何ヶ月何日で、娑婆に出られる…
と、わかっている。私たち患者は、誰一人、いつ退院できるか、わかるものはいない。「このまま一生、
病院暮らしになるかもしれない…」。そんな不安がよぎる。
ベッドで何もせず寝ているだけの毎日。半年、一年と経つうちに、こんな生活に耐えられなくなってくる。
刑務所なら、毎日運動の時間があるだろう。作業時間もある。たまに運動会や演芸会もあるだろう。しかし、
私達は365日何もなく、何もせず寝ているだけ。
隔離病棟だから、見舞いに来る人もいない。退屈で単調で、拷問のような毎日。
何よりも辛かったのは、朝・昼・晩の病院食。冬、丼の底に水が溜まり、冷たく団子になったご飯、シジミの味噌汁、
がんもどき。毎日同じようなメニューで、味なくまずい食事だった。そのせいか、今でも和食が好きではない。
当時の病棟・病室には、テレビは一台もなかった。一家にようやく一台の時代です。NHKの大河ドラマ「花の生涯」が、
ちまたで大変な人気だった。
外見は健康そのもの。食欲は旺盛。それでいて、じっとして寝ていなければ治らない。有り余るエネルギーのはけ口がない。
じっとしているのが、耐えられない。
「病気から逃れたい」「早く退院したい」と、体が訴え、もがく。辛くて、辛くて、布団の中で、やり場のない自分に、
涙がこぼれ出た。
いつ治るとも知れない中、病棟の患者さんが入れ替わる。亡くなる人、病気が治り、長い闘病生活にさよならをする人。
嬉しそうに各病室を周り、お別れの挨拶をして退院していく。自分はいつになったら退院できるのだろうか?
「何のために、この世に生まれてきたのだろうか?
生きるとは何なんだろうか?」
そんなことを考えるようになった。
そして、哲学書や宗教書を読んだ。そこから、私なりの人生観が生まれてきた。
「過去は振り返るまい。将来をあれこれ思い悩んでも仕方がない」。
「生かされている今に感謝し、今を楽しく、今日を最高に生きよう」と…。
この考え方が、その後の私の生き方を支配した。そして、幸運をもたらした。
入院後しばらくして、アメリカで新しく開発された新薬が試されることになった。
「ストレプトマイシン」「カナマイシン」「トリコマイシン」。次々と試される薬のお陰で、徐々に回復していった。
薬害で難聴になった。
精神的我慢の限界を迎えたころ、ようやく退院することができた。
もしも、最初に病気が見つかったとき、発見が遅れていたら…。
その時気づかなければ、おそらく大学受験で、夜遅くまで勉強していただろう。
四年後に再発したとき、そのことに気づかずに東京に出ていたら…、おそらく、がむしゃらに働いていたことだろう…。人生、
運・不運は紙一重。
何れも、もっと病魔が進行して、苦しむことになっただろう。もっと長い闘病生活を余儀なくされたことだろう。 そうしたら、
今のような幸せな人生を手にすることはなかっただろう。妻とも出合わなかったし、
息子や娘と過ごす幸せな人生もなかっただろう。 もしかしたら、手遅れで死んでいたかもしれない。
たまたま、日本に入ってきた新薬のお陰で命拾いした。早く健康を取り戻すことができた。運がいい、ついている。
よろずの神に感謝した!ありがとう!
想像すると、今でも胸が締め付けられる。あの頃を思い出すと、身震いがする。
しかし、それ以上に、いく重もの幸運に恵まれたことに、なによりも感謝しなければならない。
一度死を覚悟したお陰で、その後の人生はすべて”おまけ”。
毎日やることが楽しくてしようがない。退院後再出発した人生は、信じられないくらい次々と幸運に恵まれた。
やりたいことすべてがうまくいった。日一日に感謝し、好きなことを好きなだけやり、生きたいように生きてきた。
今日一日を最高になるよう生きてきた。仕事でも、遊びでも、何でも一所懸命、全力を出し切るようにしてきた。
一度は死んだ身。だから「今日一日を生き切る」。明日もそうしようと思う。
死はちっとも怖くはない。40年も余分に生きられたことが、何よりも嬉しい。
人生の終りには、「充実した生涯であった」と言い切ることができれば、それでいい。