■「柳生家の家訓」
出会いや縁を大切にすると、人生が開けてきます。新しいチャンスが芽生えてきます。以下は「柳生家の家訓」です。
「小才は 縁に気づかず」
時代が変わろうと、環境が変わろうと、
いっこうにその変化に気づかない人
「中才は 縁を活かさず」
変化に気づいているのに、何もしようとしない人
「大才は 袖すりあう縁までを活かす」
大きな才能のある人は、わずかの縁にも機敏行動し、
マイナス要因まで
チャンスに変えてしまう
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第35号】
~幸せな人生を歩むために~
「人生チャンスは三度訪れる」
私の好きな言葉に、米国の実業家 アントリュー・カーネギーの言葉がある。
「チャンスに出会わない人間は一人もいない、
それをチャンスにできなかっただけだ!」
人生三度のチャンスが巡って来るという。チャンスの女神には前髪はあるが、後ろ髪がない。(私には後ろ髪があるが、
前髪がない…ちょっと不真面目)
チャンスがくることが事前にわかっていればいいが、通り過ぎてからでないとわからないから、どうしようもない。
■チャンスを、逃さないようにするために、私が心がけて来たことは、
(1)目標のある生き方をすること
(2)多方面に幅広くブレ-ン(友人・知人)
を持つこと
(3)情報を積極的に収集し、
世の中の動きや変化に絶えず目をこらすこと
(4)積極的に行動すること
(じっとしていても運にはめぐり合えない)
人の一生に大きな影響を与えるものに「運」があります。ある日突然目の前に現れる運が「幸運」であったり、「不運」
であったりします。
高校卒業のとき病気で、学校推薦が受けられなかった。そこで一箇所だけ自薦で、日立の代理店の就職試験を受けた。当時、
私が最も苦手としたのが”作文”。そこで、事前に模範的作文を一つ作って、試験に臨んだ。
私が一つ選んだ題目は「実社会に出るにあたって」。試験当日の倍率は七倍。
筆記試験の後、試験官がやおら黒板に「実社会に出るにあたって」と書いた。
ラッキー…。楽勝でした。
ただ、この時運に頼っていたわけではなく、運を呼び込む、いろんな事前準備をして臨んでいる。
学校に内緒で受けたため、「駄目なら次」というわけにはいかなかったのです。
一次面接の後、一週間して二次面接、そして最終面接で採用が決まった。
又ある時、同僚四人で山陰ドライブを楽しんでいたら、一日に二度もスピード違反で捕まった。
「運」は「運ぶ」という言葉であるように、人の出会いが良い運も、悪い運も運んできます。良い運を沢山求めるのであれば、
毎日、東奔西走、善い運を持った人に沢山出会うことでしょう。
ところで、幸運な人に会っていれば「良い運」に恵まれるかというと、そうはならない。目的を明確にして、
その目的達成のために汗をかきかき、人に遭うのでなければ、出合った人から良い運をいただくことはできません。
ノエビアでは毎年春になると、新入社員の飛び込み研修を約4カ月間実施します。
研究所や総務に配属される女性であっても、配属先に関係なく、全員に課せられる研修です。
全く知らない土地で飛び込み営業が始まる。最初一週間は先輩が同行し、飛び込み営業の手ほどきを受ける。
それから後は一人で、自分で考えて毎日飛び込みをしなければならない。
辛く過酷な研修です。毎日、売上と廻った軒数を報告します。売上全国ランキングも公表されます。
最初の意気込みはどこえやら、一週間二週間と、回れども、回れども、誰も話を聞いてくれません。ほとんどは玄関払いです。
成果を持って帰りたいと焦っている間は、何故か、良い運にめぐり合うことはない。一ヶ月、足を棒にしたころ、
心に変化が現われてくる。
昨日まで早く成果を出そう、会社に認めてもらおう、早く楽になりたい、と思ってやっていたが、
「もうそんな売上を追うことは止そう…。お客様に喜んでもらえるような訪問の仕方をしよう。どうせやるなら楽しくやろう…」
と…。
その心の変化が、しばらくして、素晴らしいお客様との出会いを呼び込む。
そこからは幸運の連続。あんなに悩んでいたことが嘘のよう。やること為すことすべて旨くいくようになる。大体そうなる。
ところで、誰もが皆そうなるのかというと、そうはなりません。二ヶ月経っても三ヶ月たってもいっこうに結果が見えず、
悩みぬいた末、折角難関を突破して就職した会社を、辞めていく新入社員が出てくる。
社会に出たとたんに運に見放される人もいるのです。
チャンスは、目標・目的を持って汗を流し、毎日努力の積み重ねをしているからといって、訪れて来るとは限らない。いや、
そうではなくて、チャンスが目の前まで来ているのに気づかず、つかみ方がわからず、通り過ぎていってしまうのです。