■「松下資料館」を見学
先週の土曜日は京都にいた。京都駅から地下鉄で奈良方面に向かうこと40分。
静かな住宅地の一角にある、豊かな緑に囲まれた「松下資料館」を訪れた。
敷地は1800坪。隣接してPHP研究所の建物も見える。
資料館は、1階が図書館のよう。松下幸之助翁の著書、PHPが出版した書籍、国内で出版された著名な経営書、経済書がびっしり。
自由に閲覧できる。
2階は、松下翁が理想とした「人間としての生き方」「人生の考え方」「企業経営のあり方」、そして「国家社会の展望」にいたるまで、
幅広い偉業、経営道を、ビデオ映像・音声、写真などを通して、分かり易く展示紹介してあり、楽しく見学できた。
【心と体の健康情報 - 147】
~日本人のアイデンティティー~
「日本語は漢字文化」
私が四歳の時、日本が戦争に負けた。そして米軍がやってきた。日本占領後直ちに教育改革に取り組んだ。
彼らはまず小学校の教室を廻った。そして顔をしかめた。
子供たちが読んでいるのは、国語読本の名作といわれた、昭和八年の「サクラ本」である。
小学校で、子供たちが「サイタ、サイタ、サクラガサイタ、コイ、コイ、シロ、コイ」と、声をそろえて斉読するの聞いて、
「これぞ日本の全体主義の温床だ」と、厳重に中止を申し渡した。
さらに追い討ちをかけるようにして、日本語の改革に取りかかった。
曰く「複雑難解な日本語では、この国の近代化はむずかしいだろう」と、口語体に改革し、漢字の略字化を推進した。
日本の歴史・文化を理解せず、素人に近い米国の教育使節団が取り組んだ改革の一つに、国語の読み書きを、
外国人も読めるローマ字書きにすることがあった。
私が小学校四年の頃、早速、アルファベットの読み書きが授業に取り入れられた。
”よ”は「YO」、”し”は「SHI」。平仮名だと一字で済むものが、二字にも三字にもなる。
何でこんなことをするんだろうと思った。ローマ字の読み書きにはなじめなかった。
幸いなことに、国語になることはなく、一年くらいで授業から消えていった。
中国も日本も、漢字は国民の命。漢字がなければ表現ができない。今後も漢字文化は不変であろう。その一方で、
中国に隣接している北朝鮮やベトナムは、漢字の使用を中止している。
日本語は書きにくいが、読みやすいという特性を持っている。漢字は見ただけで意味がわかり、平仮名は記号である。だから”
斜め読み”ができる。
同じ意味の文章をアメリカ人が英語で、日本人が日本語で読んだ場合、その読解速度は日本人が九倍の速さであったと、かって、
糸川英夫博士が語っていたことがある。
和歌や俳句、川柳など古来から受け継がれてきた伝統文化は、漢字と仮名文化なしには有りえない。
今から思うと馬鹿馬鹿しいことだが、占領政策で、もし日本人から漢字と平仮名を取り上げて、ローマ字を国語にしていたら、
長い歴史に培われた日本文化の伝承が、一時期にしろ途切れてしまったかもしれないのです。
日本人にとって「漢字と仮名」は、アイデンティティそのもの。
占領軍の教育改革の目的は、日本の非軍国化にあったわけで、その時に発令された方針に基づく国の教育方針が、今の日本を、
日本人を、骨抜きにしてしまったのです。