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2004年06月 アーカイブ

2004年06月01日

日本語は漢字文化

■「松下資料館」を見学

先週の土曜日は京都にいた。京都駅から地下鉄で奈良方面に向かうこと40分。
静かな住宅地の一角にある、豊かな緑に囲まれた「松下資料館」を訪れた。
敷地は1800坪。隣接してPHP研究所の建物も見える。

資料館は、1階が図書館のよう。松下幸之助翁の著書、PHPが出版した書籍、国内で出版された著名な経営書、経済書がびっしり。 自由に閲覧できる。
2階は、松下翁が理想とした「人間としての生き方」「人生の考え方」「企業経営のあり方」、そして「国家社会の展望」にいたるまで、 幅広い偉業、経営道を、ビデオ映像・音声、写真などを通して、分かり易く展示紹介してあり、楽しく見学できた。

【心と体の健康情報 - 147】
~日本人のアイデンティティー~
「日本語は漢字文化」

私が四歳の時、日本が戦争に負けた。そして米軍がやってきた。日本占領後直ちに教育改革に取り組んだ。 彼らはまず小学校の教室を廻った。そして顔をしかめた。
子供たちが読んでいるのは、国語読本の名作といわれた、昭和八年の「サクラ本」である。
小学校で、子供たちが「サイタ、サイタ、サクラガサイタ、コイ、コイ、シロ、コイ」と、声をそろえて斉読するの聞いて、 「これぞ日本の全体主義の温床だ」と、厳重に中止を申し渡した。
さらに追い討ちをかけるようにして、日本語の改革に取りかかった。
曰く「複雑難解な日本語では、この国の近代化はむずかしいだろう」と、口語体に改革し、漢字の略字化を推進した。

日本の歴史・文化を理解せず、素人に近い米国の教育使節団が取り組んだ改革の一つに、国語の読み書きを、 外国人も読めるローマ字書きにすることがあった。
私が小学校四年の頃、早速、アルファベットの読み書きが授業に取り入れられた。

”よ”は「YO」、”し”は「SHI」。平仮名だと一字で済むものが、二字にも三字にもなる。
何でこんなことをするんだろうと思った。ローマ字の読み書きにはなじめなかった。
幸いなことに、国語になることはなく、一年くらいで授業から消えていった。

中国も日本も、漢字は国民の命。漢字がなければ表現ができない。今後も漢字文化は不変であろう。その一方で、 中国に隣接している北朝鮮やベトナムは、漢字の使用を中止している。

日本語は書きにくいが、読みやすいという特性を持っている。漢字は見ただけで意味がわかり、平仮名は記号である。だから” 斜め読み”ができる。
同じ意味の文章をアメリカ人が英語で、日本人が日本語で読んだ場合、その読解速度は日本人が九倍の速さであったと、かって、 糸川英夫博士が語っていたことがある。
和歌や俳句、川柳など古来から受け継がれてきた伝統文化は、漢字と仮名文化なしには有りえない。 今から思うと馬鹿馬鹿しいことだが、占領政策で、もし日本人から漢字と平仮名を取り上げて、ローマ字を国語にしていたら、 長い歴史に培われた日本文化の伝承が、一時期にしろ途切れてしまったかもしれないのです。

日本人にとって「漢字と仮名」は、アイデンティティそのもの。
占領軍の教育改革の目的は、日本の非軍国化にあったわけで、その時に発令された方針に基づく国の教育方針が、今の日本を、 日本人を、骨抜きにしてしまったのです。 

2004年06月04日

足るを知る

【足るを知る】
老子三十三章に「知足」がある。
『人を知るものは智   自らを知るものは明なり
人に勝つものは力あり 自らに勝つものは強し
足るを知るものは富み 強めて行うものは志あり』


仏教思想では、
『裸で生まれてきたのだから裸で帰る。人間寝るところ一畳あれば足りる。
人間を入れる棺桶は巾二尺、長さ六尺もあれば足りる』
 

聖書五章十五節には、
『人は母の胎より出で来たりし如く また裸体にて帰り行くべし。  
その労苦によりて得たる物を 一つも手にとりて携え行くことを得ざるなり』


【吉村外喜雄のなんだかんだ 第33号】
~幸せな人生を歩むために~
「足るを知る」

稲盛和夫氏や、政治評論家細川隆一郎氏などの有識者は、今の日本を根本から立て直すには、”足るを知る” という精神を学ばなければならないと言っている。
先々週お話を聴いたばかりの、100円ショップ・ダイソーの矢野社長も同じことを言っておられた。

「足るを知る」は、仏教の教え「吾唯知足(われただ、ちそく)」のことである。
昨年京都へ紅葉を見に行ったとき、竜安寺の伝道掲示板に、

貧乏とは 何も持っていない人のことではなく 多くを持ちながら
  まだまだ欲しい欲しいと  満足できない人のことである

という意味の言葉が掲げられていたのを、記憶している。
禅修行の目的の一つ、”足るを知る”人間になるには、欲望が抑制され、煩悩妄想による迷いもおのずと消え、 いついかなる時も、心清き状態にいられるようになることだという。

今の時代の日本は「物で栄えて心で滅ぶ」と言われているように、私達の生活は買うものがないくらい、 物質的には十分潤っている。ブランド志向のより高価なものを身につけ、より美味いものを食べ歩き、使い捨て、 食べ残しが当たり前となり、「もったいない」という言葉が死語になっている。

以下、(株)新経営サービース「バイマンスリーワーズ」からの転載です。

バブル崩壊後、アメリカの勝つか負けるかの企業戦略論が、 日本経済社会を覆っている。戦略的には大切でしょうが、相手を倒すことを狙った戦略は、 いずれ己を滅ぼすことになります。
もともと狩猟民族であるアメリカの戦略論に、農耕民族の日本の経営者が、 感化洗脳されていることに問題があると思うのです。

アメリカを代表する企業日本マクドナルド。一昨年の平日半額セールは大ヒットした。  ITを駆使して世界中から最安値の食材を仕入れて、コストダウンを行った成果です。しかしその後、 急速に業績を落としたのは何故か? 
平日半額セールは一見、うまくいったようですが、その実「自分さえよければ」という発想から脱していません。
マクドナルドの低価格戦略は、牛丼、弁当、ラーメンなど他の外食産業にも浸透し、デフレを加速させました。 無理な低価格政策は、同業者間の熾烈な競争を生み、取引先から反発を買い、 不信感に陥った消費者も少なくないのです。


稲盛和夫氏も言っている。

我々はいつまでも豊かさを追い続けることはできない。 永久に経済的な成長を続けることは、地球の破滅につながるだけである。豊かさを手に入れた今こそ「足るを知り」 、現在の豊かさに感謝し、これ以上の物質的繁栄を追い求めることは、もうやめるべきではないか…

と…。そんな時期に来ていると思う。

2004年06月08日

足るを知る-2

■「なにかあるのが世の中よ!」

二十日ほど前の177号で、女人禁制の話をしましたが、つい先日、京都で地下鉄に乗ったとき、うっかり男子禁制、 女性専用車両に乗ってしまった。
まさか、京都にも女性専用車両があるとは…! シマッタ!! 私以外はすべて女性。全く気づきませんでした。周りの女性も知らぬふり。 次の駅に着くまで、私も知らぬふりをして乗っているしかなく、デパートの女性下着売り場に間違えてまぎれ込んだような…、 内心恥ずかしさでいっぱいでした。

中村天風師の言葉に、「なにかあるのが世の中よ!」 がある。
本当に何が起きるかわからない…。 生きている以上、いろんなことが起きる。
起きて当たり前。何もなかったら生きている意味がない。いろんな出来事に出会ったら、もう一歩踏み込んで、「では、 どうしたら良い方に展開できるか」と、常にプラスの方向に頭を働かせていくことだと教えている。

【心と体の健康情報 - 148】
~幸せな人生を歩むために~
「足るを知る(2)」


人生、善いこともあれば、悪いこともあります。私は思わぬ不幸に遭遇したとき、「この程度で済んで良かった」と思うのです。 起きてしまったことを、歎いても仕方がないし、そのことのために、失うものがあっても、悔やんだり、 くよくよしたりしない性格のようです。

以下、「致知1月号」で、平成十三年に芥川賞を受賞した禅僧”玄侑宗久”氏と、聖心女子大学教授”鈴木秀子” 氏の対談の中からの抜粋です。

禅の世界にも「知足」 (足るを知る)という言葉がある。 「自分の身に起こることは、すべて偶然ではなくて、 起きることすべてに意味がある」と考えます。
私が日本人に生まれたのも、男子に生まれたのも、突然病気になったりするのも、 全部何か意味があることなのです。意味があって起きたのであれば、起きたことに過不足を思うこともないのです。
「生まれたときはみな裸、死ぬ時も又裸。何一つ持ってあの世には行けない。何を不足に思うことがあろうか」と… 』


”偶然は必然”、友人の新田哲夫氏から、「つきを呼ぶ魔法の言葉」という、 世にも不思議な運命を体験した人のメールをいただきました。感動と驚きの物語です。50ペ-ジの長文ですので、 時間に余裕があるときに、ゆっくり開いて読んでください。 >>ファイルをダウンロードして読む

禅の世界では、例えば何かの角に頭をぶつけたとすると、「痛い! 」と言わずに、「風流だね」って言う。痛いからって、 自分に腹を立てたり、 人に文句を言ってもしょうがないし、逆に人から「ボヤッとしているからだ」 なんて言われると、余計に腹が立ち、 痛みが増します。
ぶつかってしまった以上は、痛みがなるべく速やかになくなる言葉を吐くようにする。それが「風流だね」 なのです。

人生で起こるいろんなこと、バカバカしいこと、楽しいこと、悲しいこと、「それが人生だ」と達観して、 「何があっても今が最高!」と思うことだそうです。
今日は今日でしかない。「今ここに」なのです。
今日が最高なんだと、今この瞬間を喜び、こうして生かされてある命のありがたさを実感できれば、 すべてに感謝することができるようになり、何があっても素直に受け入れることができるようになるのです。

だから、「人生にピークがあって、年とともに衰えていく」という考え方をしない。
今日を最高に生きていけば、明日はもっと最高になる。「人間というのは、生きている限り高まり続けていく」 という考え方です』

例えば、私は今六十二歳です。「六十二年間待ちに待った最高のときが、今やって来た」 と考えるのです。
癌の病を克服した人が、「ガンは自分にとって素晴らしい贈り物だった」と言う。
ガンになったお陰で、「生きる喜びを知り、家族のあり難さを知り、身体について実に多くのことを学んだ。 食生活も改善することが出来た。すべてに感謝して生きるようになった」と…。

「すべて、良いことも悪いことも、自分にとって必用なことであり、人生を豊かに生きるために起こること…」と考えれば、 悩んだり悔やんだりすることにも意味があることになる。
常にどう変わるかわからない今を、尊く生きる人生でありたいものです。

2004年06月11日

足るを知る-3

【人生に達観した人】
人生に降りかかってくる災難。「それが人生だ」と達観して、何があっても今が最高!今日が最高なんだと、今この瞬間を喜び、 こうして生かされてある命のありがたさを実感できる。そして、すべてに感謝することができ、何があっても素直に受け入れることができる。 そんな人生に達観した人とは…。 

一.三途の川を渡りかけて、引き返してきた人。
   病気や事故、戦争などで、死の一歩手前を体験し、悟りを得た人。
二.幼い頃に貧乏のどん底を体験したり、倒産・死別など、何度も繰り返す苦難
   を乗り越え、人生の機微に触れた人。 
三.体力・知力の限界に挑む、荒行・苦行の末、自らの悟りを開いた人。

百円ショップのダイソー、矢野博丈社長の人生は、夜逃げに始まり、度重なる苦難の連続。そういった体験が、 人生の危機を乗り越える直観力を磨き、年商三千億円の巨大企業にまで育て上た。

両親を知らず、兄弟親戚一切なしの天蓋孤児で、孤児院から人生が始まった、カレーチェーン1番屋の宗次元社長。お二人は二番の人生です。

吉村外喜雄のなんだかんだ 第34号
~幸せな人生を歩むために~
「足るを知る-3」

前号に続き、(株)新経営サービース「バイマンスリーワーズ」からの転載です。

自然界は、生きとし生きるものすべてが共に生きることで、 バランスを保ってきた。ところがこの60年の間に急速に科学技術が進歩し、人間の幸せを追求する余り、 地球の生命バランスを崩してしまった。

自由主義経済の中で、生死を賭けた企業間競争、拝金思想が、地球を蝕んでいった。二十一世紀の人類にとって、 「勝つか負けるか」の闘争論理ではなく、「いかに大自然と共存共栄するか」という考え方の方に、 少しづつ舵の切り替えをしていく必要があるようです


市場には競争原理が必用です。競争の中で企業が鍛えられ、共に体質が強化されていきます。
今、企業間のデジカメ戦争はすさまじいものがあります。商品寿命はわずか三ヶ月だという。 次々と新しい商品を市場に送り出し、生き残りのための戦いは熾烈を極める。
販売量で上位を占めた企業(キャノンやソニー)が、更に低価格の商品を市場に投入し、ライバル企業を蹴落としていく。 今後急速に勝敗が決して、二極分化されていくという。

競争相手を倒して、獲物のすべてを奪う「闘争」は、 いずれ己を滅ぼすことになる。
「競争」はどちらもレベルが上がるが、「闘争」は、相手が倒れるまで戦う消耗戦になってしまう。
肉食動物が草食動物を、草食動物が植物を、欲望の赴くまま食い尽くしてしまうと、 いわゆる食物連鎖は途切れてしまう。満腹のライオンは、鹿を目の前にしても見向きもしません。 自然に生きる動物たちは、そのことを本能的に知っているのです。ところが、 足るを知らない人間がその自然の摂理に背いているのです。

月曜夜八時のNHK番組「地球・ふしぎ大自然」で、蟻食いが、アリ塚に穴を開けて蟻を食べるシーンがあったが、 一つのアリ塚で食べる量は150匹くらいにしかすぎない。決して蟻塚を突き崩したりしない。 蟻たちに与えるダメージが少ないことが、蟻食い自らの生命を守ることになるのです。そのことを蟻食いは知っているのです。
禅修行の中に「生飯(さば)」という食事作法があります。ご飯は全部食べずに、 3~7粒くらいの飯粒を残すのです。これを池の鯉や小鳥など、他の生命にも分け与えるのです。
農村に行くと「のこし柿」という風習がある。実った柿をすべて採り尽くさず、 冬を迎える動物や鳥たちのために残しておく。昔は皆貧乏でした。食べものを残すような粗末なことは、誰一人しませんでした。 そんな時代の中での風習なのです。

必用な分を必用なだけ手元に残し、残りは人に差し上げ施す。謙虚で思いやりのある 「自利利他」の精神を、身につけていかなければならないと思う。しかし、 煩悩の世界に生きている自分には、とても難しいことです。

「足るを知る」の精神は、古来より日本人が持ち続けてきた、”みんな仲良く” の精本人の心の奥底にあるアイデンティティなのです。

2004年06月15日

運のいい人、悪い人

■ことば遊び「畳語」
                                                             同じ文句を並べた 「畳語」。今日は三回目です。

春は、『桜咲く 桜の山の桜花 咲く桜あり 散る桜あり』
夏は、 『瓜売が 瓜売にきて売残し 売売帰る 瓜売の声』
秋は、『月月に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月』

・これが江戸川柳では、 『月月に 月見る月は 下女安堵』となる。
この月の月は、お月さまのことではありません。
わからない人のためにもう一句、『豆に花咲いて小豆の飯をたく』  

■畳語に冬の句が見当たらないので、一句作ってみました。
 『雪が降る 粉雪吹雪 しまり雪 雪降る山に 雪はしんしん』

【心と体の健康情報 - 149】
~幸せな人生を歩むために~
「運のいい人、悪い人」


私の人生、運七割で生きてきたと思っている。
私が尊敬する成功者は、おしなべて「運を呼び込む力が強い」とも、思い込んできた。
ところが、それとは正反対の人生を送ってきて、年商三千億円の大企業にまで育てた社長さんがいる。前号でも紹介した、 100円ショップ・ダイソーの矢野博丈氏である。以下矢野社長の言葉です。

私はご覧の通りのごく普通の平凡な男で、頭が悪くて勉強嫌い。能力に欠けている。そして、 運と能力に見放された人生を送ってきた。しかし、「能力がない」「運が悪い」という人生のお陰で、 現在の成功を手にすることができました。

倒産夜逃げ、火災、社員の離反と、人生何度となく訪れる「不運」。しかし、その体験を生かし、同じ「不運」 を寄せつけず、最初の不運をバネにして、謙虚に物事に接してきたことが、逆に「強運」を呼び込むことになったのでしょう。

世の中には運のいい人がいれば、運に見放されたと思っている人もいます。
何がそうさせるのか、人生紙一重の差といっていいでしょう。
「自分の身に起こることは、すべて偶然ではなくて、起きることすべてに意味がある」「自分の人生で起きることは、 すべて必然・必要なこと」という考え方がある。
運を呼び込むことができる人間になろうと思ったら、自分にとって不幸なことでも、すべてベストだと、 肯定的に受け入れることだそうです。起きたことすべてに、何か意味があるのです。意味があって起きたのであれば、 起きたことを過不足に思うことはないのです。自分の身の周りに起きたことすべてベストと考える。

このように口で言ってしまえば簡単なことですが、こればっかりは、本人の性格にもよるし、あるいは苦労を重ね、 人生に達観した人でないと、そういう域には達しないだろうと思う。

ところで、「運に恵まれて、好きなことをして人生を楽しもうと思ったら、以下の条件を満たさなければならない」と、 船井総研の船井幸雄会長が”運は必ず甦る”と題する講演の中で語っている。

1. 他人に迷惑をかけない。
2. 良心に反することをしない。
3. 誠の心でもって、すべてに対応する。
   (NHK新撰組、近藤塾長が浮かんでくる)
4. 慈愛の心で人に接する。
5. 自分の身の丈に合った暮らし方をする。
6. 運のいい人(ついている人)と付き合う。
   (善い友を持ち、悪い友と付き合わない)

日頃、こういった条件に反することをやっていれば、運に見放され、苦労から逃れることはできない。

2004年06月18日

人生チャンスは三度訪れる

■「柳生家の家訓」

出会いや縁を大切にすると、人生が開けてきます。新しいチャンスが芽生えてきます。以下は「柳生家の家訓」です。

「小才は 縁に気づかず」
時代が変わろうと、環境が変わろうと、 いっこうにその変化に気づかない人

「中才は 縁を活かさず」
変化に気づいているのに、何もしようとしない人

「大才は 袖すりあう縁までを活かす」
大きな才能のある人は、わずかの縁にも機敏行動し、 マイナス要因まで
チャンスに変えてしまう

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第35号】
~幸せな人生を歩むために~
「人生チャンスは三度訪れる」

私の好きな言葉に、米国の実業家 アントリュー・カーネギーの言葉がある。
 「チャンスに出会わない人間は一人もいない、 
                 それをチャンスにできなかっただけだ!」

人生三度のチャンスが巡って来るという。チャンスの女神には前髪はあるが、後ろ髪がない。(私には後ろ髪があるが、 前髪がない…ちょっと不真面目)
チャンスがくることが事前にわかっていればいいが、通り過ぎてからでないとわからないから、どうしようもない。

■チャンスを、逃さないようにするために、私が心がけて来たことは、
(1)目標のある生き方をすること
(2)多方面に幅広くブレ-ン(友人・知人) を持つこと 
(3)情報を積極的に収集し、 世の中の動きや変化に絶えず目をこらすこと
(4)積極的に行動すること  (じっとしていても運にはめぐり合えない)

人の一生に大きな影響を与えるものに「運」があります。ある日突然目の前に現れる運が「幸運」であったり、「不運」 であったりします。

高校卒業のとき病気で、学校推薦が受けられなかった。そこで一箇所だけ自薦で、日立の代理店の就職試験を受けた。当時、 私が最も苦手としたのが”作文”。そこで、事前に模範的作文を一つ作って、試験に臨んだ。

私が一つ選んだ題目は「実社会に出るにあたって」。試験当日の倍率は七倍。
筆記試験の後、試験官がやおら黒板に「実社会に出るにあたって」と書いた。
ラッキー…。楽勝でした。
ただ、この時運に頼っていたわけではなく、運を呼び込む、いろんな事前準備をして臨んでいる。
学校に内緒で受けたため、「駄目なら次」というわけにはいかなかったのです。
一次面接の後、一週間して二次面接、そして最終面接で採用が決まった。

又ある時、同僚四人で山陰ドライブを楽しんでいたら、一日に二度もスピード違反で捕まった。
「運」は「運ぶ」という言葉であるように、人の出会いが良い運も、悪い運も運んできます。良い運を沢山求めるのであれば、 毎日、東奔西走、善い運を持った人に沢山出会うことでしょう。

ところで、幸運な人に会っていれば「良い運」に恵まれるかというと、そうはならない。目的を明確にして、 その目的達成のために汗をかきかき、人に遭うのでなければ、出合った人から良い運をいただくことはできません。

ノエビアでは毎年春になると、新入社員の飛び込み研修を約4カ月間実施します。
研究所や総務に配属される女性であっても、配属先に関係なく、全員に課せられる研修です。
全く知らない土地で飛び込み営業が始まる。最初一週間は先輩が同行し、飛び込み営業の手ほどきを受ける。 それから後は一人で、自分で考えて毎日飛び込みをしなければならない。

辛く過酷な研修です。毎日、売上と廻った軒数を報告します。売上全国ランキングも公表されます。 最初の意気込みはどこえやら、一週間二週間と、回れども、回れども、誰も話を聞いてくれません。ほとんどは玄関払いです。

成果を持って帰りたいと焦っている間は、何故か、良い運にめぐり合うことはない。一ヶ月、足を棒にしたころ、 心に変化が現われてくる。
昨日まで早く成果を出そう、会社に認めてもらおう、早く楽になりたい、と思ってやっていたが、 「もうそんな売上を追うことは止そう…。お客様に喜んでもらえるような訪問の仕方をしよう。どうせやるなら楽しくやろう…」 と…。

その心の変化が、しばらくして、素晴らしいお客様との出会いを呼び込む。
そこからは幸運の連続。あんなに悩んでいたことが嘘のよう。やること為すことすべて旨くいくようになる。大体そうなる。
ところで、誰もが皆そうなるのかというと、そうはなりません。二ヶ月経っても三ヶ月たってもいっこうに結果が見えず、 悩みぬいた末、折角難関を突破して就職した会社を、辞めていく新入社員が出てくる。 社会に出たとたんに運に見放される人もいるのです。

チャンスは、目標・目的を持って汗を流し、毎日努力の積み重ねをしているからといって、訪れて来るとは限らない。いや、 そうではなくて、チャンスが目の前まで来ているのに気づかず、つかみ方がわからず、通り過ぎていってしまうのです。

2004年06月22日

運のいい人・悪い人(2)

■ 人生とは…

人生、良いときも悪い時もある。「逆境」は誰にでも訪れる。のがれることはできない。
このことを江戸時代の学者”佐藤一斎”が、言志四録の一つ「言志晩録」の中で語っている。
「人の一生には、順調の時もあれば、逆境のときもあり、 幾度となくやってくるものである。自ら検するに、順境といい逆境といい、なかなか定め難く、順境だと思えば逆境になり、 逆境だと思えば順境になるといった具合である。
だから、順境にあっても怠りの気持ちを起こさずに、ただただ謹んで行動するより仕方がないのである」


※言志四録
学問・思想・人生観など、修養処世の心得が1133条にわたって書かれた随想録

【心と体の健康情報 - 150】
~幸せな人生を歩むために~
「運のいい人・悪い人(2)」


6月19日福井で、日創研のSA講師でおなじみの、”坂東弘康”氏の講演を聴
く機会を得た。以下、二時間の講演の中からの抜粋です。

何事にもプラス思考で考える、「可能性思考能力」 を高めることが大切です。
自分の人生を振り返ってみて、「運に恵まれて生きてきた」と思うか、それとも、 「いつも運に見放されてきた」と思っているか…、どちらでしょうか?
意識の根っこの部分、潜在意識の中で、運に関わる意識が、「前向き・ブラス思考」なのか、それとも 「後ろ向き・マイナス思考」なのか…。それによって、モノの見方・接し方が全く違ってきます。

20日、日曜日のTV番組「波乱万丈」のお客様は愛川欽也。番組の中で 「どんなつまらない仕事でも、楽しく仕事をしてきた」と懐古している。モノ事をどのように見つめるかによって、 人との接し方、仕事の仕方が変わってくるのです。

又、こんな時、皆さんはどのように反応するでしょうか?
交差点で側面衝突事故を起した。その瞬間「怪我もなく、この程度の事故で済んで助かった」と思うか、 「ああ~ついていないよ、やってられない」と嘆くのか…。どちらでしょうか?
潜在意識の中の 「運」に関わる思考が、ブラスなのかマイナスなのかによって、 モノ事に対するとらまえ方が全く違ってくるのです。

いくら知識・技術・テクニックを身につけていても、意識の根っこにある考え方、 価値観が否定的であれば、折角身につけたものも、使えなくなってしまう。

[松下幸之助の人を見る目]
松下政経塾が塾生を採用するときの、入塾試験での話。 「松下さんは何を基準にして、人を選んでいるのですか?」 と尋ねたら、「それは、二つある」という。

その一つは 「運の強そうな人」であり、もう一つは「愛きょうのある人」 だと言う。松下政経塾は、運と愛きょうで塾生を選んでいることになる?
どちらも、偏差値のように、点数では表せないものです。運も愛きょうも、極めてあいまいなものです。 そういったあいまいさを基準にして、人を選ぼうとするところに、偉大な松下幸之助の人となりを見ることができるのです。

後日、この話を聞いた塾生が、松下幸之助に尋ねた。「私には運が備わっているでしょうか?」。幸之助曰く「君、 入塾できたことが運の強さだよ!」

選考基準の一つ、「愛きょうのある人」というのは理解できる。人に好かれるし、将来成功する確率が高いでしょう。しかし、 「運の強い人」というのはどうやって見分けるのだろうか?

過去の人生を振り返ってみれば、悲しかったこと、苦しかったこと、辛かったこと、 いや~なことがいっぱいある。そういった過去を全部ひっくるめて、運がいい人生だと思う人は、「運が強い」 人なのです。ですから、面接のとき、運が強いのか悪いのか、本人に直接聞いてみればわかることなのです。

潜在意識という根っこの部分で、「私は運がいい」という人生観を持っていると、そのような、 運に恵まれた人生を生きることになるのです。

「ついていない、運がない」と思っている人は、その人の思考回路は瞬時に否定的になり、 過去の失敗例や不運をいっぱいかき集めて、証明して見せようとする。
そんなことを、日常無意識に繰り返している。それが、その人の生き方なのです。

目の前に起きることは、取り方によつてはすべてハッピーなのです。運が悪いと思って生きている人にも、 ハッピーなことがいっぱいあるのです。
「人生の幸・不幸は、その人の思いで決まる」とは、 松下幸之助の言葉です


2004年06月25日

幸運と感謝に生きる

禅宗の教えに、病を得たらいずれ”死ねば治る”というのがある。どんな辛く苦しい病でも、 「死ねば治る」のである。しばしの我慢でよいのだからと、病に伴う死への恐怖などはない。自然体に身を任せているからには、 死ぬときがきたら死ねばいい。病の苦痛に勝る難行苦行を積んできた禅僧にとって、病などなにほどのこともないのである。

しかし、我々凡人には、人生、何が苦であるといって、「病」に勝る苦痛はない。
人の世に「病」というものがなければ、どれほど人は幸福であろうかと思う。

「人生とは何だろう」。人の一生には運・不運が付きまとう。思わぬ運・不運に人生がほんろうされる。私は、 数えればきりがないほどの運に恵まれ、今を生かされている。

今日のお話は私事ですので、お読みになりたい方だけ、どうぞお読みください。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第36号】
~幸せな人生を歩むために~
「幸運と感謝に生きる」

三八豪雪の年の春、雪下ろしで真っ黒に日焼けした私。健康そのものでした。
念願の東京に就職が決まり、旅立つ二日前の三月三十日、フッと、健康診断を受けるなら今と、病院へ検診に出かけた。 検診の後、先生が言った。
「ベッドを空けておくから、午後から入院の手続きをするように」。 『……』

4年前に発病して大学進学をあきらめている。その後、薬を飲み続けて治ったと思っていたら、気づかないうちに病気が再発し、 進行していた。
その日から、隔離病棟のベッドに横たわる毎日になった。
それから七年、病魔との闘いの日々。同世代が、青春を謳歌し、職場で、仕事で人生の土台づくりに励んでいる大切な時期、 私はベッドにひたすらじっと横たわる毎日が続いた。

毎日、お尻に打つ注射が、筋肉の硬直で刺さらなくなり、経験の浅い看護婦の手をわずらわせた。辛い日々だつた。
病棟で共に暮らす患者。3年・5年は当たり前、死んでいく人もいる。亡くなると、看護婦が部屋に入ってきて、 何事も無かったように、その空きベッドのシーツを取替え、きれいにする。数日後、新入りの患者さんが入ってきて、 そのベッドの住人になる。

刑務所の囚人の方がまだましだろう。
あと何年何ヶ月何日で、娑婆に出られる…
と、わかっている。私たち患者は、誰一人、いつ退院できるか、わかるものはいない。「このまま一生、 病院暮らしになるかもしれない…」。そんな不安がよぎる。
ベッドで何もせず寝ているだけの毎日。半年、一年と経つうちに、こんな生活に耐えられなくなってくる。

刑務所なら、毎日運動の時間があるだろう。作業時間もある。たまに運動会や演芸会もあるだろう。しかし、 私達は365日何もなく、何もせず寝ているだけ。
隔離病棟だから、見舞いに来る人もいない。退屈で単調で、拷問のような毎日。

何よりも辛かったのは、朝・昼・晩の病院食。冬、丼の底に水が溜まり、冷たく団子になったご飯、シジミの味噌汁、 がんもどき。毎日同じようなメニューで、味なくまずい食事だった。そのせいか、今でも和食が好きではない。
当時の病棟・病室には、テレビは一台もなかった。一家にようやく一台の時代です。NHKの大河ドラマ「花の生涯」が、 ちまたで大変な人気だった。

外見は健康そのもの。食欲は旺盛。それでいて、じっとして寝ていなければ治らない。有り余るエネルギーのはけ口がない。 じっとしているのが、耐えられない。
「病気から逃れたい」「早く退院したい」と、体が訴え、もがく。辛くて、辛くて、布団の中で、やり場のない自分に、 涙がこぼれ出た。

いつ治るとも知れない中、病棟の患者さんが入れ替わる。亡くなる人、病気が治り、長い闘病生活にさよならをする人。 嬉しそうに各病室を周り、お別れの挨拶をして退院していく。自分はいつになったら退院できるのだろうか? 
 「何のために、この世に生まれてきたのだろうか?
  生きるとは何なんだろうか?」
そんなことを考えるようになった。
そして、哲学書や宗教書を読んだ。そこから、私なりの人生観が生まれてきた。

「過去は振り返るまい。将来をあれこれ思い悩んでも仕方がない」。
「生かされている今に感謝し、今を楽しく、今日を最高に生きよう」と…。
この考え方が、その後の私の生き方を支配した。そして、幸運をもたらした。

入院後しばらくして、アメリカで新しく開発された新薬が試されることになった。
「ストレプトマイシン」「カナマイシン」「トリコマイシン」。次々と試される薬のお陰で、徐々に回復していった。 薬害で難聴になった。
精神的我慢の限界を迎えたころ、ようやく退院することができた。

もしも、最初に病気が見つかったとき、発見が遅れていたら…。
その時気づかなければ、おそらく大学受験で、夜遅くまで勉強していただろう。
四年後に再発したとき、そのことに気づかずに東京に出ていたら…、おそらく、がむしゃらに働いていたことだろう…。人生、 運・不運は紙一重。

何れも、もっと病魔が進行して、苦しむことになっただろう。もっと長い闘病生活を余儀なくされたことだろう。 そうしたら、 今のような幸せな人生を手にすることはなかっただろう。妻とも出合わなかったし、 息子や娘と過ごす幸せな人生もなかっただろう。 もしかしたら、手遅れで死んでいたかもしれない。 
たまたま、日本に入ってきた新薬のお陰で命拾いした。早く健康を取り戻すことができた。運がいい、ついている。 よろずの神に感謝した!ありがとう!

想像すると、今でも胸が締め付けられる。あの頃を思い出すと、身震いがする。
しかし、それ以上に、いく重もの幸運に恵まれたことに、なによりも感謝しなければならない。

一度死を覚悟したお陰で、その後の人生はすべて”おまけ”。  毎日やることが楽しくてしようがない。退院後再出発した人生は、信じられないくらい次々と幸運に恵まれた。
やりたいことすべてがうまくいった。日一日に感謝し、好きなことを好きなだけやり、生きたいように生きてきた。 今日一日を最高になるよう生きてきた。仕事でも、遊びでも、何でも一所懸命、全力を出し切るようにしてきた。

一度は死んだ身。だから「今日一日を生き切る」。明日もそうしようと思う。
死はちっとも怖くはない。40年も余分に生きられたことが、何よりも嬉しい。
人生の終りには、「充実した生涯であった」と言い切ることができれば、それでいい。

2004年06月29日

苦労は買ってでもせよ!

■孟子の言葉

天が重大な任務をある人に与えようとするとき
必ず まずその人の精神を苦しめ  
その筋骨を疲れさせ
その肉体を餓え 苦しませ  
その行動を失敗ばかりさせて
そのしようとする意図と食い違うようにさせるものだ

これは  天がその人の心を発慎させ  
性格を辛抱強くさせ
こうして  今までにできなかったことも
できるようにするための  貴い試練である

【心と体の健康情報 - 151】
~幸せな人生を歩むために~
「苦労は買ってでもせよ!」

幹部候補生学校
公園で見かけた素敵な花です。名も知らぬ花ですが
美しくしっかりと咲いていました。

私は、病が癒えた後、十年近く再発を恐れていた。一度ならず、二度までも、自分の人生が、夢・目標が、 病気で失われてしまったからである。医者は次に再発したら、もう薬は効かないと言う。もうこれ以上、 病で人生が振り回されるのは御免です。

私にとって、死ぬことよりも怖いのは、病気が再発して、またも3年・5年と、治る見込みもなく、 病院のベット臥せてしまうことです。人生がメチャメチャになってしまう。こんな辛いことはない。
死の間際の苦しみは、せいぜい十日くらいだろう。しかし、治る見込みのない寝たきりの人生は、生き地獄である。 看病する家族の苦しみも含めて、思い出したくもない。それこそ、死んだ方がましというものです。

人は皆、いつかは等しく死を迎える。葬儀に参列したとき、命に限りがあることを感じ、かけがえのないこの命、 「大切にしなければ」と思う。
限りある命だからこそ、「死」に直面したとき、 生きようとする命の本能が働く。
真っ暗闇の怖さを知って初めて、太陽のまばゆさに感動するように…。

人生において、「嘆き悲しむこと」「絶望すること」「先が見えず途方にくれること」、いろんな”苦しみ・悲しみ・怒り” に遭遇する。
こういったことは、人間生きていくうえで、すごく大切な命の働きだと思う。

私達はこういったことを、マイナスのイメージにとらまえ、敬遠しがちです。
しかし、そういった影の部分を体験して初めて、 今まで見えなかった光の部分が見えてくることを、知らなければならない。
その影の部分が深ければ深いほど、大きければ大きいほど、その後に見えてくる光の部分の輝きも、大きいものになってくる。
                        
「若い頃に、苦労は買ってでもせよ!」という。辛いこと、我慢しなければならないこと、自分を厳しく律すること、 こういったことは、誰もが嫌がり、避けて通ろうとします。
竹は、節があってこその竹である。節があるから強い風にもしなり、耐える。
いくらスクスクと成長しても、厳しさを体験しないまま、節のないまま、大きく成長したのでは、嵐がきたとき、 ひとたまりもなく倒れてしまうだろう。

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