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失われた日本人の心

■ことば遊び。同じ文句を並べた「畳語」、今日はその二回目です。

  • 人生訓では、
    『今今と、今という間に今ぞなく、今という間に、今ぞ過ぎゆく』
    『為せば為る、為さねば為らぬ何事も、為らぬは人の、為さぬなりけり』
    何れも、よくご存知と思います。
  • ちょっとやけっぱちなのに、
    『南無釈迦じゃ、娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃ、どうじゃこうじゃと
    言うがおろかじゃ!』 
    もう一度繰り返してみてください。これが何とも可笑しい。
  • では、私の贋作二つ
    『除夜に鐘を突かねえから 金がねぇのかねェ』
    『今宵良い日じゃ 酔えば酔うほど より良い酔いに 酔いしれる』  

【心と体の健康情報 - 145】
~日本人のアイデンティティ~
「失われた日本人の心」

倫理法人会「倫理325号」に掲載された文章から抜粋してお伝えします。

前財務相で、三十余年の国会議員を引退した、「塩爺」こと塩川正十郎の言葉です。「戦後の高度成長に弾みをつけたのが、 田中角栄の日本列島改造論。その頃から、日本人全体が物欲に走り、 国全体がモノで栄え心で滅ぶ。そんな道を歩み始めた」

現代の日本人から”心”が失われ、この心の喪失感が、経済界をも含めた混迷の原因と言われています。では、 「失われた心」 とは、どのような心でしょうか?
様々挙げられるでしょうが、ここでは復活を期したい”三つの心”を考えてみることにします。

第一は、 「何事にも耐えうる、たくましい心」
「逆境に対するたくましさ」であり、自らが設定した「目標実現のために、辛抱強く我慢する心」です。
「たくましい心」を養うには、苦労を体験し、苦労の意味を知るのが一番です。
苦難はその人を成長させます。また、「解決できない苦難は決して目の前に現れたりしない」ということも、 心得ておかなければなりません。
合わせて、「モノ事の成否は、心の持ち方しだい」ということです。可能性を信じ、希望を失わずにいるから、 道が拓けてくるのです。

第二は、 「謙虚な学びの心」です。
現状維持にあまんじた時から、衰退が始まります。日々変化する世の中に合わせ、常に変わり続けようとすることです。 そのために、学びを続けなければならないのです。
この学びの元となる教えは、周囲に満ちています。大自然から発せられる”気づき”のメッセージを、 いかに謙虚に教えとして受け止められるかが鍵になります。

三つ目が 「思いやりのある愛の心」です。
今の世相は自分中心で、自分のことだけを優先させ、人のことに気を回そうとしません。 人から愛を与えられても気づかない人は、人に愛を与えることを知りません。
いつも求めるばっかりで、不足不満の状態に陥っています。
様々な問題の原因を突き詰めていくと、幼少の頃の「母と子の愛情不足」が、その決定的要因になるのです。

愛を育て与えることは、少なからず何らかの自己犠牲が伴います。愛は一方的に与えるものであって、 「与えた分に見合う見返りを期待する」ようでは、思いやりのある愛の心にはならないのです。愛や優しさは、一方的に、 心がそうさせるのであって、見返りを期待して与えるものではないからです。

子供が成長してから、いかに苦労して育てたかを言って聞かせ、見返りを求める親がいるとしたら、どう思うでしょうか?

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