« 2004年04月 | メイン | 2004年06月 »

2004年05月 アーカイブ

2004年05月07日

海外旅行

4月30日から1週間、南の島「パラオ」でスキューバーダイビング。グアムから飛行機を乗り継いで2時間、 太平洋の真ん中のダイビングポイントです。
マリンブルーの海にサンサンと輝く太陽。パラオで潜るのは2回目になります。

大型クルーザーに寝泊りして、ダイビングポイントへ移動。パラオは大物・小物の宝庫。3日間で12本潜り、スキューバーダイブの醍醐味を、 たっぷり味わってきた。
60cmはあるギンガメアジの大群、1メーター以上のバラクーダ群れ。それに、お目当てのマンタも間近に見ることができた。

4日目は、スキンダイブ。世界に一箇所だけという、湖に生息するクラゲの大群を見たり、カヌーで遊んだ。思い出に残る感動の4日間でした。
私がスキューバーを始めたのは46歳の時から。現在までに120本は潜っています。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第29号】
「海外旅行」

ゴールデンウイークは、どのような過ごし方をされたでしょうか? 私の近所の夫婦は、石垣島へ出かけた。 20日間ゆっくり滞在し、のんびりしてくるとのこと。

私はといえば、昔から観光スケジュールがビッシリ組まれたツアーはあまり好きではない。何もかもお仕着せで、 セカセカしていて、免税店を何ケ所も付き合わされたりして、自分流に旅を楽しめない。

例えば、イタリアへ行ったときもツアーには参加しなかった。私一人をローマに残して、みんなポンペイ遺跡へ。 私はビデオ片手に、ローマの街中をのんびり一人歩き。
二千年の歴史が、目の中に飛び込んでくる。
当日は日曜日。歴史の重みを感じる教会で日曜礼拝。こだます賛美歌、何とも言えない敬けんな気持ちになり感動!  
下町では結婚式に出くわし、高台の広場では、子どもたちの仮装大会だろうか? 
蝶ネクタイの少年、真っ白なロングドレスを着飾った少女を伴った家族連れで大にぎわい。ラッキー!
観光客が訪れない下町をうろつき、地元の暮らしを垣間見て、様々な発見をするのが楽しい。

この五月の連休は、成田や関空から海外へ出かける日本人で溢れかえった。
昨年は、SARSの影響で海外へ出かける人は少なく、”安・近・短”で済ます家庭が多かった。
今年はその反動からか、昨年の二倍近くの大変な賑わいだったという。人気の上位は欧州8万人、韓国7万人、 中国5万4千人がベスト3で、ハワイ、アメリカ本土、グアムがそれぞれ4万人と続いた。そんなわけで今年の連休は、 財布の紐がゆるんで”高・遠・長”になった。

一昨年の2002年、海外に出かけた日本人は1,652万人。 これに対して日本を訪れた外国人旅行者は三分の一の523万人。旅行者受け入れ数では、世界の33位と低い。
では、日本に来る外国人では、どこの国の人が多いのでしょうか?
アメリカ人がトップとばかり思っていたら…

(1) 韓 国 134万3千人   (5) 英 国 39万1千人
(2) 台 湾 83万8千人   (6) フイリピン 18万6千人
(3) 米 国 71万5千人   (7) オーストラリア 15万2千人
(4) 中 国 44万4千人   (8) カナダ 12万9千人

読売新聞「なんでもランキング」より

2004年05月11日

みんな仲良く助け合い

■詩人・坂村真民の代表作 「二度とない人生」

二度とない人生だから 一輪の花にも 無限の愛を そそいでゆこう
一羽の鳥の声にも 無心の耳を かたむけてゆこう
二度とない人生だから 一匹のこおろぎでも ふみころさないように
こころしてゆこう どんなにか よろこぶことだろう

二度とない人生だから 一ペんでも多く便りをしよう
返事は必ず 書くことにしよう
二度とない人生だから まず一番身近な者たちに できるだけのことをしよう
貧しいけれど こころ豊かに接してゆこう

二度とない人生だから つゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを思い
足をとどめて みつめてゆこう
二度とない人生だから のぼる日しずむ日 まるい月かけてゆく月
四季それぞれの 星々の光にふれて わがこころを あらいきよめてゆこう

二度とない人生だから 戦争のない世の実現に努力し
そういう詩を 一篇でも多く作ってゆこう
わたしが死んだら あとをついでくれる若い人たちのために
この大願を 書きつづけてゆこう

【心と体の健康情報 - 144】
~日本人のアイデンティティー~
「みんな仲良く助け合い」

ほんの20~30年前まで、日本人の長い歴史の根底にあったアイデンティティーは、「みんな仲良く助け合い」でした。 三月まで放映していたNHK朝の連続ドラマ「あした天気になぁ~れ」は、昭和三十年代から四十年代のパン屋さん家族の物語。 寅さんの「男は辛いよ」もそうですが、ご近所や町内の皆さんが、家族同様の触れ合いをしている。
そういったシーンを見るにつけ、今は失われてしまった、人情味溢れた善き時代があったことを思い起すのです。

中山靖雄氏は、「広やかな心」の中で、日本人の特性をユニークに語っています。

日本の着物は大抵の人が着られます。 洋服は一人ひとりサイズを合わさなければ着られない。下駄もみんな共通、誰でも履ける。 靴はそうはいきません。下駄は左右反対でも履けるが、靴は左右反対というわけにはいかない。 懐中電灯は一点しか照らさないが、提灯はみんなを照らす。

日本式住居は、襖・障子を取り払えば、「みんな仲良く助け合い」です。昔は、結婚式も葬式もみんな家でやった。 今の住宅のほとんどは個室尊重型だから、家族のコミュニケーションが図りにくい。日本式浴室は何人も入れて、 親子が触れ合う場だが、西洋式バスは一人しか入れない。日本は、一部屋にお布団を詰めて敷けば、 何人でも寝られる。洋室の寝室はそうはいかない。

西洋のチェスは駒取りゲーム。日本の将棋やマージャンは、駒を生かすゲーム。
「みんな仲良く」なのです。日本人の根底にあるものは「みんな仲良く助け合い」なのです。 個人のプライベートを尊重するよりも、 家族の集団的触れあいを中心とした生活様式で暮らしてきたのです

                                     
戦後米国から入ってきた欧米の生活文化と教育思想が、日本古来の家族文化を破壊し、地域社会をよそよそしくし、 偏った個人主義がはびこる社会にしてしまったのです。
私たち夫婦は、結婚と同時に両親と同居しました。当時は親と同居するのが普通だったのです。そして、 私の妻は年老いた両親の世話をし、看病をし、天国へと見送ったのです。今は、 住む場所があっても 同居しない親子がほとんどです。

そんな社会構造が、子育てがわからなくノイローゼになる母親が増え、子供を見てくれる年寄りがそばにいないから、 保育所や託児所に子供を預けなければならない。
一方の年寄りは、我が子が近くにいても独り暮らし。
市町村は、子供を預かるためや、老人介護のために、お金をかけて施設を作らなければならない時代になったのです。

家族みんなが助け合い、支えあって生活してきた、日本の家庭の良さが、今はもうないのです。親子の間の情が薄くなり、 近所づきあいもなくなり、なんとも寂しい世の中になったものです。

テレビのホームドラマの家族構成は、両親にお爺ちゃんかお祖母ちゃんが同居しているケースがほとんど。そして、 大家族がそろって食事をしている。その食事風景のなごやかなこと!
私達の子供の頃に繰り返された懐かしい光景が、今の普通の家庭のごとく演じられている。それが、 見ている人の郷愁をさそうのでしょう。

2004年05月14日

米国に商社は造れない?

■日本人が誇っていいこと 

致知四月号 牛尾治朗「巻頭の言葉」に、以下のことが書かれていました。
昨年、SARSで世界が大騒ぎした中、日本では一人の患者も発生しなかった。
衛生管理の徹底では、日本は世界に誇れる国として見直されたのです。

又、九年前の阪神大震災の際には、被災者とボランティアが見事な連携をとって、事態の収束に努めた。中でも、火事場泥棒、 略奪のたぐいが一切なかったことで、諸外国から尊敬のまなざしで見られた。
日本にしかない良さが、まだまだ沢山息づいている証しといえます。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第30号】
~日本人のアイデンティティー~
「米国に商社は作れない?」

日本が急成長し、国際的地位と、経済力が高まって、二十一世紀は日本の時代と言われ始めた頃のお話です。
時の大統領はジョンソン。当時の国務長官で元CIA長官のニクソン(後の大統領)に、極秘調査の指示が出された。 日本急成長の一旦を担っている、日本独自の「商社」 というものを研究し、「米国にも商社を作ってはどうか?」というものでした。

半年後に、調査結果が大統領に提出された。答えは「ノー」である。大統領から出された指示で「ノー」 の回答が出されるのは異例なことである。
大統領が「月へ行け」と言えば、総力をあげて取り組むのがアメリカ。そんな中で、 元CIAの経歴を駆使しての調査結果をもってしても、「ノー」なのである。日本には沢山ある「商社」が、 何故アメリカでは作れないと言うのか? 

何故なんでしょう? あなたも考えてみてください。

三人の猟師が山に入りました。一人は鹿を一頭、一人は兎を三羽、一人は何も採らずに戻ってきました。
農耕民族の日本の商社は、獲物を一箇所に集め、収穫の大小に関わらず労をねぎらいます。そして、 会社と社員が相応に仲良く利益の分配をするのです。勿論、何も採れなかった者にも分け前があります。
個人の売上よりも、グループの和と結束力を重視し、部署の売上として処理し、収穫物を会社と社員で仲良く分け合う、 独自の文化があるのです。日本独特の「みんな仲良く」なのです。

米国は狩猟民族の国。力のある者は、それに見合う分け前を、当然のこととして要求します。当初の契約を盾に、 鹿を採ってきた猟師は相応の分け前を主張し、兎を採ってきた猟師も一羽持ち帰ります。 何も採れなかった猟師は何ももらえません。
商社は、あらゆるモノを右から左へと動かして利ざやを稼ぐ商売。個人の能力より、組織力とチームワークが優先される。 米国のように、個人の業績に応じて、大きな報酬を支払っていたのでは、経営が成り立たないのです。

更に、米国でどうにもならない大きな理由は、日本の給与制度があった。日本の何れの商社も、 大卒者の給与を28歳まで一律に抑え、能力の差は賞与で、ほんの少し加減するやり方をしてきた。
28才になって初めて、同期入社の中から役職者(係長)が出て、給与に能力差が出始める。その間の若い人材を、 低い賃金の戦力としてフルに活用できることは、国際競争で有利に働くのです。

米国に商社が存在しない理由は、日本独自の給与制度を真似られないことです。入社後28歳頃まで、 能力に関わらず人件費を一律に低く抑え、しかもチームワークで競争に打ち勝とうとする日本独自の雇用慣習。 個人の能力を重視するアメリカでは、日本式商社経営は無理なのです。

不況が続く中、日本の会社も勤続年数に関わらず、能力第一の給与配分を重視するようになってきた。  「みんなで仲良く助け合い」 という終身雇用制度、年功序列などの日本独自の文化、雇用慣習が失われていくのに伴い、 日本古来の助け合いの精神も、失われつつあるのです。

2004年05月18日

失われた日本人の心

■ことば遊び。同じ文句を並べた「畳語」、今日はその二回目です。

  • 人生訓では、
    『今今と、今という間に今ぞなく、今という間に、今ぞ過ぎゆく』
    『為せば為る、為さねば為らぬ何事も、為らぬは人の、為さぬなりけり』
    何れも、よくご存知と思います。
  • ちょっとやけっぱちなのに、
    『南無釈迦じゃ、娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃ、どうじゃこうじゃと
    言うがおろかじゃ!』 
    もう一度繰り返してみてください。これが何とも可笑しい。
  • では、私の贋作二つ
    『除夜に鐘を突かねえから 金がねぇのかねェ』
    『今宵良い日じゃ 酔えば酔うほど より良い酔いに 酔いしれる』  

【心と体の健康情報 - 145】
~日本人のアイデンティティ~
「失われた日本人の心」

倫理法人会「倫理325号」に掲載された文章から抜粋してお伝えします。

前財務相で、三十余年の国会議員を引退した、「塩爺」こと塩川正十郎の言葉です。「戦後の高度成長に弾みをつけたのが、 田中角栄の日本列島改造論。その頃から、日本人全体が物欲に走り、 国全体がモノで栄え心で滅ぶ。そんな道を歩み始めた」

現代の日本人から”心”が失われ、この心の喪失感が、経済界をも含めた混迷の原因と言われています。では、 「失われた心」 とは、どのような心でしょうか?
様々挙げられるでしょうが、ここでは復活を期したい”三つの心”を考えてみることにします。

第一は、 「何事にも耐えうる、たくましい心」
「逆境に対するたくましさ」であり、自らが設定した「目標実現のために、辛抱強く我慢する心」です。
「たくましい心」を養うには、苦労を体験し、苦労の意味を知るのが一番です。
苦難はその人を成長させます。また、「解決できない苦難は決して目の前に現れたりしない」ということも、 心得ておかなければなりません。
合わせて、「モノ事の成否は、心の持ち方しだい」ということです。可能性を信じ、希望を失わずにいるから、 道が拓けてくるのです。

第二は、 「謙虚な学びの心」です。
現状維持にあまんじた時から、衰退が始まります。日々変化する世の中に合わせ、常に変わり続けようとすることです。 そのために、学びを続けなければならないのです。
この学びの元となる教えは、周囲に満ちています。大自然から発せられる”気づき”のメッセージを、 いかに謙虚に教えとして受け止められるかが鍵になります。

三つ目が 「思いやりのある愛の心」です。
今の世相は自分中心で、自分のことだけを優先させ、人のことに気を回そうとしません。 人から愛を与えられても気づかない人は、人に愛を与えることを知りません。
いつも求めるばっかりで、不足不満の状態に陥っています。
様々な問題の原因を突き詰めていくと、幼少の頃の「母と子の愛情不足」が、その決定的要因になるのです。

愛を育て与えることは、少なからず何らかの自己犠牲が伴います。愛は一方的に与えるものであって、 「与えた分に見合う見返りを期待する」ようでは、思いやりのある愛の心にはならないのです。愛や優しさは、一方的に、 心がそうさせるのであって、見返りを期待して与えるものではないからです。

子供が成長してから、いかに苦労して育てたかを言って聞かせ、見返りを求める親がいるとしたら、どう思うでしょうか?

2004年05月21日

女人禁制

[西日本で、いまだに女人禁制が守られているところ]

  • 滋賀県守山。産後一ヶ月は鳥居をくぐってはいけない
  • 祇園祭りの「鉾巡業」。すべての鉾が女人禁制
  • 春日神社の祭礼のおみこしは、女性がかつぐことも、さわることもできない
  • 奈良の吉野「大峰山」は修験道の聖地。女性の入山禁止
  • 岸和田の「だんじり」。女は不浄。だんじりに乗ってはいけない
  • 綱をまたいではいけない
  • 出雲大社の吉兆の行列
  • 新居浜の石鎚山の七月一日のお山開き。女性の登山は認められない
  • 博多山笠は、一切男性のみで行われる行事。期間中女性を近づけない

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第31号】
「女人禁制」

5月8日の北国新聞に掲載されていた記事を見て、以外に思った。
大相撲の土俵に女性を上げることの是非を問うアンケートに対する回答である。

■[相撲の伝統(女人禁制)は守るべきと思うか]

  全くそう思う そう思う その他 支持率
男性 159人 82人 37人 6人 74.8%
女性 116人 42人 34人 40人 65.5%
計  275人       70.9%

相撲協会は、過去何度か、太田房江大阪府知事が千秋楽で土俵に上がることを拒み、マスコミの話題となっていただけに、 男性はともかく、女性の支持率の高いのには驚いたし、以外であった。
女人禁制の慣わしは、古くから女性はけがれている、不浄とされ、清浄を重んじる神社の神事から遠ざけられて来た。
けがれの象徴が「血」。女性の生理・出産は不浄とされ、女人禁制の理由にされてきた。

宗教界でも、女性は不浄とする伝統がある。禅僧は修行を通して、あらゆる雑念を打ち払っていかなければならない。 「禁欲生活の支障になる」との理由で、女性を遠ざけてきた。
もう一つの大きな理由は、禅僧は托鉢で施しを受けて、何とか生きながらえている。妻帯し、妻子を養っていく収入がない。 いくら修行僧といえ、身近に若い女性がいれば、男女の恋も芽生えてくるというものです。

同じ5月8日の新聞に、メキシコ五輪金メダリスト三宅義行氏の長女が、金沢で開幕された重量挙げ全日本選手権で優勝し、 アテネ五輪代表入りに大きく前進したとの一面記事。

今回のオリンピックの代表選手。初めて女性選手が、男性の数を大きく上回った。重量挙げだけでなく、レスリングやサッカー、 ソフトボールなど、男性をしのぐ活躍が期待されている。
今まで男性の牙城と言われてきた世界に、どんどん女性が進出して、古い因習の壁が破られてきているのです。

昔は、女性が白山や立山に登ることは許されなかった。今まで頑固なまでに女性の運転手を拒んできた私鉄・JRも、 三~四年前からちらほら女性の運転手が誕生するようになった。
「トンネル工事現場内は女人禁制」の慣習があるが、それもぼちぼち破られつつあり、 女性がトンネルの見学会に参加できるところもある。

相撲協会が、沢山の女性ファンに支えられていることを思えば、いつまでも伝統を固持し続けるわけにはいかないだろう。
こんな文章を書いていて、ふと、近頃は逆に「男子禁制」が増えてきているように思う。 東京私鉄の「女性専用車両」、「女性だけの宿泊ホテルや賃貸マンション」などがそう…。

2004年05月25日

21世紀、どう生きる

先週の金曜日、広島市の沖合いにある、江田島旧海軍兵学校(現在の江田島術科学校) を見学してきた。
船が桟橋に着き、大地に足を踏み下ろしたとたん、眼の中に飛び込んでくる校舎。
長い歴史の重みが伝わってくる。
お目当ては、屋外に展示してある回天特攻隊の人間魚雷と、歴史資料館。人間魚雷は、想像していたよりも大きく、しかも精巧で、 船内にはびっしり機関や配管が張り巡らされていた。

次に見学した「教育参考館」には、東郷平八郎や山本五十六元帥の遺品の他、日清・日露・ 大東亜戦争時の海軍関係者の書や遺品が展示されていた。
中でも、自らを犠牲にして国のために散っていった、若き特攻隊員の展示室に入るや、その遺書を読み、血に染まった遺品を見つめているうちに、 熱いものがこみ上げてくるのを押さえきれず、深い感銘を受けた。

国を守ろうと、散っていった二千三百柱の特攻隊員の名前が壁一面に刻まれた前では、頭を垂れ、冥福を祈った。

【心と体の健康情報 - 146】
~幸せな人生を歩むために~
「二十一世紀、どう生きる」

先週広島へ行った。広島といえば皆さんもよくご存知の100円ショップ ダイソーの発祥地。 矢野博丈社長の創業時の苦労話を聴く機会を得た。
(株)大創産業は現在年商三千億円、国内に2400店舗、海外に250店舗も展開している大企業です。
約二時間の講演の中で、「今春の入社式で新入社員に伝えた三つの要点」をお話されました。矢野社長の”生き方理念” が伝わってきます。

  1. 皆さんは社会に出て、学生時代の延長でやっていけると思っているかもしれない。しかし、 世の中はそんなに甘くない。
    これからの時代は、今まで生きてきた二十世紀のようにはならない。
    厳しい世の中になることを知っておいてほしい。

    私も、社会に出るとき、学生時代の経験から、将来出世するんだ、ひとかどの人間になれると思っていたものです。 それがたった二年半で、女房子供を連れて夜逃げという、どん底を味わうことになったのです。

    そして、その半年後には、更に厳しい現実の壁にぶつかることになった。その時私は、運には見放されたが、 能力はあると思っていた。
    ところが、セールスの能力がゼロに近い自分がいた。人に物を売ることが出来ないのです。
    社会に出てたった三年で、「運」も「能力」もない自分に思い知らされたのです。

  2. あなた方が子供のころ過ごした二十世紀は、幸せ多い時代でした。
    それは、もう過去のものなのです。
    二十一世紀は 「苦しさを乗り越えていく中に、楽しさがある」
    そんな時代になります。
    致知出版社の二十五周年記念で、五木浩之先生が講演されました。
    その中の言葉です。
    「苦しさと楽しさは一対である」「悲しさと幸せも一対である」
    二十世紀の日本人は、「楽しさ」と「幸せ」 ばかりを訴求して、人間が枯れてしまった。涙を流さなくなった。
    良い日本人というものが無くなってしまった。

    ところで、人生で最も美しいものは「一条の光」である。 真っ暗闇の中に射し込む一条の光、こんな美しいものはない。
    「今の時代、この一条の光を見ることのできる人は少なくなった」
    五木浩之氏が、戦地から引き揚げてくるときの苦難・苦痛・厳しさ・悲しさ・辛さの中から味わった一条の光…。

    私たちは、五百条・千条の光を、当たり前のように受けて育ってきた。
    二十世紀はそうだったかもしれない。けれども二十一世紀はそうではない。
    二十一世紀という世紀は厳しい世紀である。
    苦しさの中を乗り越えてこそ、楽しさを見つけることができる世紀なのです。

  3. 「生きる」ということはそんなに簡単なことではない。
    江戸時代の農家。もし二人以上の子供が生まれたら、食べさせることが出来ない。厳しい生活環境の中、 子沢山では一家が飢え死にしてしまう。
    授かった子供を幸せに育てる自信がない。そこで間引く、殺す。
    その子にとって生きていることよりも、死んだ方が幸せと思うから、殺すのです。 

    私の母は、上海から引き上げてくるとき、冬の上海の浜辺に腰まで浸かって、当事お腹の中にいた私を流産して、 砂浜に埋めようとした。
    しかし、幸いにも、流すことがでず、私はこの世に生まれてきた。
    こんな世の中に生まれてくるのはかわいそうだ、生まれてきても、幸せの薄い子になると思った。当時の状況から見て、 お腹の子が生まれてくるのが幸せか、死ぬことが幸せかを考えたとき、死なせてやることの方が、 この子にとって幸せと思ったという。

    「スタートが大切なのではなくて、成し遂げていく、努力し続けるところに価値観がある」
    この世に生を受けたスタートの日、 誕生の日を喜び祝うのもいい。しかし、生を受けた後、努力して、人生の幸せを手にした時にこそ、 喜び祝うべきではないでしょうか。

    「生きる」とは、そんなに簡単なことではありません。二十世紀、大多数の日本人は幸せを手にすることができた。 それはたまたま、そんな良い時代にめぐり合わせただけなのです。
    今までの皆さんは、それほど努力しなくても、幸せでいられた。その錯覚に気づかなければならない。これから、 二十一世紀を生きていく皆さんは、一生懸命働いて、苦労して、自らの手で幸せをつかんでいく。努力をしなければ、 幸せを手にすることが出来ない時代になるのです。

2004年05月28日

そんなに急いでどこへ行く

■坂村真民 「時」

日の昇るにも 手を合わさず 月の沈むにも 心ひかれず
あくせくとして 一世を終えし人の いかに多きことぞ

道のべに花咲けど見ず こずえに鳥鳴けど聞かず
せかせかとして 過ぎゆく人の いかに多きことぞ

二度とないこの人生を いかに生き いかに死するか 耳かたむけることもなく 
うかうかとして 老いたる人の いかに多きことぞ

川の流れにも 風の音にも 告げたもう声のあることを 知ろうともせず
金に名誉に地位に 狂奔し終わる人の いかに多きことぞ
生死(しょうじ)事大無常迅速 時人を待たず あ々…

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第32号】
~日本人のアイデンティティ~
「そんなに急いでどこへ行く」

坂村真民の詩を口ずさみ思う…。「あ々…!どうして毎日がこんなにセカセカとして、時のたつのが早いのだろうか…」
外国人が東京へ来てまず驚くのが、行き交う人がセカセカと急ぎ足なことです。
世界が、日本が、どんどん狭くなっていく。どこにでも気軽に行けるようになった。
世の中が便利になればなるほど、セカセカしてきて、「のんびり・ゆっくりズム」 が消えていき、「心のゆとり感」がなくなっていく。

十年近く患った病も癒えて、ようやく社会復帰への自信がついた二十八歳のとき、世の中の仕組みを学ぶためと、 自らを鍛えるため、片町に出していた店をたたんで、勤めることにした。
閉店バーゲンで売れ残った、残りものの商品を、同じ商店街でライバル関係にあった一の谷鞄店の社長が、 上代の四掛けですべて引き取ってくれた。
今の時代考えられないことです。そんな、のんびりと”みんな仲良く”商いをしていた、あの良き時代はとっくにない。

今はどの企業も商店も、東京、大阪などから進出してきた大手と戦っていかなければならない。 年を追うごとに競争が厳しくなってきて、元日の午前零時に初売りをする大手スーパーも現れてきた。

流通業界にすれば、消費が低迷する中、少しでも早く、一日でも多く店を開け、売上を確保したい気持ちはわかる。しかし、 そこで働く従業員はもちろん、押しかける客側にも、正月をゆっくり過ごす”ゆとり” が感じられない。

同業他社との競争が加速し、消耗戦の体を示し始めている。昼夜・年中無休、そして、切れ目のないサービスは、 企業を終りのないサバイバル競争へと駆り立て、社会全体から”ゆとり”を奪っていく。

そういった企業間競争の激化が、人件費の圧縮を余儀なくされる。年功序列制度を見直し、 成果主義の賃金体系に移行せざるを得なくなってくる。
ところが新聞の報道によれば、ここへ来て、若者がこういった成果主義をとる会社に、「ノー」 を突きつけようとしているのです。

急ぎ過ぎる企業環境の変化に、若者が背を向け始めているのです。行き過ぎた実力主義は、企業を、サラリーマンを、 終りのないサバイバルの世界へと追い込んでいく。若者たちは、そういった実力一辺倒の社会の流れに反発する。
若者たちが、こうした賃金体系の会社を敬遠し、就職離れが進むようであれば、社会問題と化し、 世の中に不安をもたらすことになるかも…。

生き残るためと、休む時間も惜しんで営業すれば、企業の収益は上がるだろう。が、競争に敗れる企業や社員が大勢出れば、 経済の活力は失われていくことになりはしないか…。
「何か革新的なことをしなければ、競争に勝てない」、「ライバル企業に遅れを取ってはならない」と焦り、経営者に” 心のゆとり”がなくなっている。
焦る心が国全体をセカセカと疲弊させていく…。

交通標語ではないが、「日本人、そんなに急いでどこへ行く…」。
もっと”ゆっくりズム”のゆとりのある生き方、 ゆとりのある人生に目を向けるべきではないでしょうか? ”みんな仲良く助け合い”の精神を大切にして、一度しかない人生、 もっとゆったりと、人生を、日一日を、楽しまなくっちゃ…

メルマガ購読受付

このブログの記事をメルマガで定期的にお届け致します。

メルマガ購読のお申し込みはこちら >>

About 2004年05月

2004年05月にブログ「吉村外喜雄のなんだかんだ」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2004年04月です。

次のアーカイブは2004年06月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.36