■靖国神社
私が中学生のとき、肩かけカバンを下げて、香林坊から兼六園の園内を突きぬけ、護国神社の境内を通って、学校と自宅を毎日往復した。
護国神社の境内を歩くと、おごそかな気分になり、心が引き締まる。しかし、ふだんは詣でる人もなく、ひっそりとしている。
白山ひめ神社を知らなかったように、靖国神社についても何も知らない私です。
そこで、ホームページで調べてみました。
靖国神社
明治二年、明治天皇のおぼし召しにより、徳川幕府から明治の新時代に生まれ変わるとき、内戦で斃れた人たちを祀るために創建された。
戊辰戦争、日清、日露、大東亜戦争など、明治、大正、昭和、日本のために命を捧げた人たち、247万柱が祀れている。
【吉村外喜雄のなんだかんだ 第16号】
~日本人のアイデンティティー~
「靖国神社参拝」
日本の首相が靖国神社を参拝するたびに、なぜ大騒ぎするのだろうか。今年の正月元旦、
小泉首相は就任して四度目の靖国神社参拝をした。それに対して中国と韓国は、いつもながら強く抗議の反発をしている。
野党も、政府を批判し、「国益を害う行為」と攻撃している。
日本はあらゆる宗教が、ごく普通に生活の中に溶け込み、共存している国です。靖国神社は、
戦犯だけが祭られているのではなく、戦争で国のために命を捧げた人たちが、地位や身分や宗教に関係なく、
等しく祭られている神社です。
どんな悪人であっても、死者に対しては平等に弔うのが、日本の伝統的文化、習俗です。歴代の首相がお参りするのは、
国家の元首として、純粋に国に命を捧げた先人たちの霊に、こうべを垂れるためであろうと思うのです。
国の命でイラクへ赴いた自衛官が、不幸にして戦いに巻きこまれたとき、「だから言わんこっちゃない」と、
政府を非難するだけでいいのでしょうか?
過去の時代背景がどうであれ、国のために一命を捧げて、祀られている人たちです。そういった人たちに哀悼の意を示さず、
憲法を盾に否定し、無視するのは、日本人として悲しいことです。
私達が毎年、宗教的意味合いなど意識せず、清らかな心で、新年には神社をお参りし、お盆には墓参りをする。
そのような気持ちで、靖国神社をお参りしてもいいのではないでしようか…。
神社に参拝するのは、一般の宗教的信仰とは趣を違にする、「日本人の心」に根付いた、
日本人のアイデンティティそのもののように思うのです。
「一国の首相が、戦没者を追悼するために、いつどんな形で参拝するかといった問題は、本来、
その国の伝統や慣習に基づく国内問題であり、他国からとやかく言われる筋合いではない」と、
読売新聞は社説で近隣諸国の言動を批判している。
野党は、首相が戦争犯罪人の霊を弔うために参拝している、と批判している。しかし、
政府の足を引っ張るための政争の具としているのなら、そういった行為こそ国益を害うことになります。
読売新聞によると、戦後歴代の首相が靖国神社を参拝をしていたが、外交問題に発展することはなかった。ところが、
1985年中曽根首相の時になつて初めて、外交問題になったとのことです。
聞くところによると、当時の某野党が政争の具にするため、中国政府に情報を流し、言わしめたと言われている。
日本の内政問題に干渉する口実を、外国に与えるような行為こそ慎むべきでしょう。
どこの国でも、外国から主賓クラスが訪れたとき、真っ先にその国の戦没者慰霊碑に詣でるのが慣わしです。
日本の首相が、諸外国の顔色を伺いながら参拝しているのもおかしいし、
戦没者に哀悼の意を示そうとしない政治家がいることも、憂うることです。