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江戸小噺・おなら

■ことば遊び「屁の河童」

「語源」を探って、「へェ~」と納得するのも、ことば遊びの面白さです。
今日は「屁の河童」 の語源をたどってみます。

"たやすい"ことを「屁の河童」という。何とも可笑しな言葉です。
語源をたどっていくと、「木っ端の火」になる。

七輪で火をおこすとき、火種に木屑を入れ、燃え上がったところへ炭を入れる。
この木っ端は、ぱっと燃え上がるが、すぐ燃え尽きてしまうので、手早くしなければ間に合わない。そこで江戸時代、 "はかないもの"を「木っ端の火」と言った。

しかし、このままでは面白くないので、江戸っ子特有の洒落で、「河童の屁」と言うようになったのです。
いつのころからか、それがひっくり返って「屁の河童」となり、言葉の意味もひっくり返って、 "たやすく出来る"の意味に使われるようになった。
これこそ「へぇ~」ですね…。


【吉村外喜雄のなんだかんだ - 611】
~ことば遊び~ 「江戸小噺・おなら」

出張先での朝食…和食か洋食かと問われれば、惑わず洋食コースを選ぶ私…。
家でも、パン2枚にバターを塗り、目玉焼きソーセージに牛乳を添えるのが、長年の定番…。
昨年から、メタボを改善しようと、キャベツを刻んで皿に盛り、リンゴ半分と、五郎島の"蒸かし芋"2切れを添えて朝食にしている… 食生活を改善しようと始めたのはいいが、日に一度、所構わずオナラが出るのは問題です。

落語や小噺の下ネタには、「おなら」を題材にしたものがいろいろあります。
緊張した時に限って出るのが「おなら」。「場所柄をわきまえず…」と、怒るわけにもいかない…当の本人は、もっとバツが悪いのだから…。

■江戸小噺その一 「ただの風」
あるところに、大変けちな男がおりまして、くれるものなら、なんでももらうと言う。
「おおう、おめェかい…くれるもんならなんでももらうっ、てェやつは」
『へェ、左様でございます』
「じゃ、俺はお前にやりたいものがあるんだが、貰うかい?」
『ええ、いただけるもんなら、なんでも…』
「そうかい、実はな、俺はさっきから、腹が張ってしょうがねェんだ。
屁をお前にやるから、後ろへ回んな、いいか…」

なんてんで、男が後ろへ回りますと、大きなのを一発「ブー」。
と、男はそのおならを、両手で、ぱっとつかみまして、バーと駆け出しまして、どうするのかと思うと、自分の畑へ参りますと、 この手をパーッと広げまして、「ただの風よりましだろう…」

■江戸小噺その二 「仁王様」
あるとき、浅草の観音様に泥棒が入った。
賽銭箱を風呂敷でくるみますと、これをしょいまして、野郎、裏から逃げればいいものを、表から堂々と逃げようとしまして…。
ところが、表には門番の仁王様がいらっしゃいますから、逃がす訳はございません。
「この野郎ふてェ野郎だ!」なんてんで、泥棒の襟首をつかまえまして、目よりも高く吊り上げると、そのまま地面へ叩きつけまして…、

泥棒が四つん這いになると、上から、あの、何文あるか分からない大きな足で、ぐぐぐぐぐっと、踏みつけます。
ってェと、かの泥棒、下腹へ力を入れて力みましたから…たまりません。
さっそく大きな"おなら"を「ブゥ~ッ!」。

仁王様「む、むむむむ、臭せェ~もの…」(曲ェ者~)
泥  棒「ハ~ア~、臭うかあ~」(仁王かぁ~)

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