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孔子の教え(19)

■論語は、授業の外での"余談"を集めたもの

「論語」は、孔子の死後、孫弟子たちが、孔子が語ったこと、弟子たちが言ったこと、行ったこと、問答したこと等を思い起こし編纂した、 短い語録です。
20扁、約500章から成り、小説のように扁と扁のとの間につながりがなく、全てが単独の章で成り立っています。

ですから、何処から読み始めてもいいし、何処で終わってもいい書物です。
一行にも足らない文章が、1章となっているものもあります。
孔子は大変な苦労人で、社会の辛酸をなめ尽くした人ですから、短い文章の中にも、無限の内容が含まれています。

従って、読む人によって、みんな解釈が違ってくる。
若い時に読んだ、中年で読んだ、老年になって読んだ…或は平社員の時読んだ、管理職になって読んだ…その時の環境によって、 受け止め方も千差万別であります。
従って、一人ひとりが論語に対する"私感"を持って、実践することが大切なのです。

伊与田 覺 「人間学と論語」より


【心と体の健康情報 - 608】
~古典から学ぶ~  孔子の教え(19)
「何処まで相手のことを知っているか?」

7月、埼玉県川口市のマンションで、15歳の長女が、皆が寝静まった夜中の3時に、父親を包丁で刺し殺すという事件が発生した。
長女は、前日午後には父親と弟と買い物に出かけ、夜は一家団欒食事をした後、居間でビデオを鑑賞している。「夫と娘は仲が良かった… 思い当たることがない」と、母親。
警察の調べで、父親から「勉強しなさい」と言われたことが、動機だというが…。

その数日前に、両親に反感を持った男子中学生が、両親の一生をメチャメチャにしてやると、バスジャック事件を引き起こしたことは、 記憶に新しい。

「子曰わく、 人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり」
「先師が言われた。 人が自分を知ってくれなくても憂えないが、自分が人を知らないのを憂える」

9月半ばまでNHK・BSで放映されていた、韓国の大河ドラマ「ファン・ジニ」。
ドラマで、王族が論語を学習するシーンがあった…その時素読していて、耳に入ったのが、上記の言葉。

身近にいる奥さんや、会社の上司・社長が、自分の能力や力量に気付かず、認めてくれないことに、不満を抱いたりしたことは、 なかっただろうか。
たとえば、同期入社の社員が一足先に出世したり、ボーナスの額に差をつけられたりすると、「なぜ?自分の方が仕事も出来るし、 会社に貢献しているのに…」。
正当に評価してもらえないことに、悔しい思いをする…誰にも、こんな思いをしたことがあると思う。

他人に認めてもらえないと嘆く…。
裏返して、自分は、息子さんや奥さんのことを、どこまで分かっているだろうか?
奥さんから突然言い出される離婚話。奥さんの、長年溜まりにたまった怨念を、離婚を切り出されてもなお、気付かない夫…「何で? 何が不満なのだ?」と、うろたえる。

「人が自分のことをどう見ているか?」と、思い悩む前に、息子さんや奥さんが、自分に対し、 同様の不満を持っているかもしれないことに、気を回すことです。
毎日顔を付き合わせているのに理解できず、真の姿を見つめ、認めることが出来ない自分を、思い悩むべきなのです。

人を知ろうと思うなら、人を好きになることです。
人を好きになるには、人に好かれなければなりません。
そのためには、人と触れ合う機会を増やし、人をよく観察し、意見を交換し、考え方や生き方の違いを、多く知ろうとする努力がいります。
論語「里仁篇」にも、こんな文章があります…
「子曰く 位無きを患えず 立つ所以(ゆえん)を患う。
   己を知るなきを患えず 知らるべきを為すを 求むるなり」

「先師が言われた。地位のないのを気にするよりも、なぜ地位が得られないかを考えるがよい。 自分を認めてくれないことを気にするよりも、どうすれば認められるのかを考えて、努力することだ」

武田双雲著「心にひびく論語」より

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