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大学を出ることの意味

12月1日、京都へ論語の勉強に出かけた折、円山公園から、ねねの道、高台寺を散策。今年最後の紅葉を楽しんだ。


高台寺・圓徳院の
桃山時代を代表する庭園の紅葉

今月出産する二人目の外孫の安産祈願にと、八坂神社にも立ち寄った。

今日は、月初めの一日、本殿はお参りする人でにぎわっていた。その本殿をぐるりと取りまいて、お稲荷さんやミニ神社があり、 お参りしている。

そこで私も、由来を記した立て札を読みながら、一つ一つお参りして歩いた。
商売繁盛の「蛭子社」、「大黒福の神」。舞妓さんがお参りする「美の神神社」。
伊勢神宮・天照大御神をお祀りした、「神宮社」。
そして「疫払い神社」など、数えたら12ケ所もあった。

【心と体の健康情報 - 273】
~子育て心理学~
「大学を出ることの意味/今どきの若ものは…」

古代アッシリアの遺跡で発見された文字。解読したら「今どきの若いものは実に困ったものだ」と書かれていた…。 よく知られている逸話です。

生きてきた時代が違えば、育った環境も違う。当然両者の意見は、かみ合わなくなる。若い人から逆に年配者を見れば、 「考えが古くてついていけない…」と言うだろう。
例を挙げれば、私たちの世代、子どもの頃はいつもお腹を空かせ、何もかも貧しかった。懸命に働いて欲しいものを一つひとつ手に入れ、 幸せを実感しながら、人生を歩んできた。「もったいない精神」が体全体に刷り込まれた世代である。
私の息子の世代になると、生まれた時から衣食住満ち足り、なに不自由なく育った。この当時、日本人一人当たりのGDPは、 アメリカに次いで世界第二位、世界一・ニの豊かな国になっていたのです。

戦後の発展を支え、豊かさのシンボルだった家電ブームが去って、家の中は消費財で溢れ、売るものも買うものもない時代になった。 生活に余裕が出た私たち庶民は、土地や株を買いあさって、にわか成金が続出。高級車や貴金属、毛皮が売れ、円高を背景に、海外ブームに沸いた。

肉体労働が嫌われるようになり、ホワイトカラーがもてはやされるようになった。
バブルがはじけ、経済が低迷している時、雇用を守るため、国は休日を国民に奨励。週休二日が広がっていった。日本人から「勤勉」 というふた文字が消えていったのです。

怠惰になった日本人は、かってのように若者を育成し、企業の最前線に駆り立てる必要を感じなくなった。 若者を必要としなくなったのでしょう…。
安価な労働力、つまり、パートやフリーター、外国人労働者で間に合わせ、あふれた若者は、深夜のコンビニのレジ係、 ファーストフードの店員、風俗業や、サラ金などといった職業へ…。このような仕事は、資格もいらなければ、高等教育も不要である。

ところが、親や教師は、「大学へ進学しなければ駄目だ」という。将来何になりたいかはともかく、大学だけは出ておけと言う。 こんな時代だから、一流企業を目標に、エリートの座をつかめというのだろうか?

私たちと、その親の世代にとって「学歴」は、絶対的な価値を生み出すものと考えられてきた。富めるものはその富を守り、 社会的評価を高める手段として、貧しいものは、貧しさから抜け出す手段として、「学歴」の持つ価値は絶対的だった。
その一つが、結婚式での仲人の新郎新婦紹介…親の見栄・世間体が、我が子を一流校へと駆り立てる。

そういった社会の風潮を背景に、いつの頃からか、教育そのものが金儲けを目的としたものに変質していった…?  少しでも良い学校へ進学させたい親の弱みを突いて?学習塾が繁盛し、何箇所も受験させたあげく、私立の高校・大学は入学金をせしめる。 その金策に、親は頭を悩ませることになる…。

なのに子どもは、どれだけ親に感謝し、将来恩を返えそうと思っているだろうか?
将来どうあれ、資格を取ることを目的とした専門学校がやたらと増えている。
宅建主任や、情報・ビジネス専修学校など、資格を取ったからと、直ぐ良い職にありつくことができ、食べられるわけではない。 どうなるものでもないのです…。

12/10夜9時のNHKスペシャル「ワーキングプア」。"働けど働けど暮らし楽にならず"、そんな暮らしをしている家庭が、 全国に400万世帯はあるという。

二人の子どもを抱える母親。一流大卒なのに、子どもを抱える母子家庭ということで、働き口がない。日に4~5時間の睡眠で、 三つの勤め先でパート。
夜中まで働き、収入は合わせて18万円。必死に頑張り、何とかしのいで生活している…。
そんな環境から抜け出そうと、会社の求めに応じ、国家資格を取得した。
が、付いた資格手当はわずか10円、時給650円が660円になっただけ…
達成感のない努力を強いておきながら、「それが教育」とうそぶく…。

今の時代の若者たちに、無力感を植え付けたのは、明らかに一つ前の世代の古い価値観?を若者に押し付けている、 私たちではないでしょうか?

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