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「落語 時そば」

■ことば遊び イソップ物語 「井の中の蛙 大界(大海)を知らず…」

狐が井戸の底を覗きこみ、「蛙さん、可哀そうに、井戸の底から見える世界は、
丸く小さなお空だけ。それに引き換え僕なんか、春・夏・秋・冬、野山を駆け巡
り、小川で遊び、楽しいことだらけ…、君には想像できないような世界を沢山
知っているよ…」。
そんなやりとりから、「自分の狭い了見に囚われ、他に広い世界があることを
知らないで、得々と振舞っている様」を例えて、言うようになった…。

この狐の哀れみの言葉を耳にした蛙、何て返答しただろうか? 
「井の中の蛙 大界を知らず」と哀れんだ狐さんに、蛙は「されど……」と、
胸を張って言い返した。

答えは、このメルマガの最後に…

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 146】
~ことば遊び~
「落語・時そば」

今日は、落語家柳家小さんの得意ねた、「時ソバ」のさわり。
「笑い」をくすぐる…、私の好きな落語の一つです。

町を流し歩くソバ屋を呼び止めた男が、客のくせに調子のいいことを並べて
ほめちぎる。
「おめえんとこの行灯、変わってるねェ~。的に矢が当たってるじゃねえか」
『へえ、手前どもの屋号は"当たり矢"と申します』
「当たり矢なんざうれしいねェ。おめえんとこの行灯見たら、呼び止めるからな」

『よろしくごひいきに。……へい、親方、お待ちどうさまでございます』
「おう、早いねえ…」
「ちょっと無駄話ししているうちに『親方、お待ちどうさま』はうれしいな。
こちとら江戸っ子だよ。催促してやっと持って来るなんてのは、
うまいものも、まずくなっちゃうぜ。いや、本当だよ。うれしいねェ」

こんな調子で、丸箸でなく、割箸を使っているのは清潔でいい。
ものは器で食わせるというが、いい丼を使っている。匂いがいい。
鰹節をおごってるな。出汁がきいてるぜ。しかも、ソバが細いのがうれしい。

なかには、うどんみたいに太いソバがあるが、あんなものは江戸っ子の食う
もんじゃないよ。腰があっていいね。
たいがい、まがいの竹輪麩(ちくわぶ)を使っているが、本物の竹輪で、
しかも厚く切ってある。夜鷹ソバにしちゃ出来すぎだ。
などとほめちぎって、「いくらだい」
『十六文ちょうだいします』

「銭は細かいんだ、手ェ出してくれ。いいかい? ほらいくよ。ひい、ふう、
みい、よ、いつ、む、なな、や、いま何時だい?」 
『へえ、九つです』
「十、十一、十二…」
と数えて、十六文払うと…、ぷいと行ってしまった。

これを見ていたのが、ちょっと抜けた男。ぺらぺら喋りすぎるし、ソバ屋を
持ち上げるので、食い逃げするのかと思ったら、銭を払って行ったので、
ますます気に入らない。

二人のやり取りをなぞっていたが、十六文と決まっているソバの値を、
わざわざ聞いたり、ていねいに勘定していたのを思い出した。
八文まで数えて「いま何刻だい?」 『へえ、九つです』
「十、十一、十二」と、一文かすめ取ったのに気づいた。
「あれじゃ、ソバ屋は生涯気がつかねえや。面白ぇな。おれもやってみよう…」

あいにく細かい銭を持っていないので、あくる晩、細かいのをそろえると、
待ちかねて飛び出した。
ところが、前夜のソバ屋とは雲泥の差で、もたもたして時間がかかるし、
割箸でなく丸箸を使っている。
丼は縁が欠けてノコギリのようで、口を切りそうになるありさま。
出汁は濃いし、ソバはうどんのように太くて、ねちゃねちゃと腰がない。
その上カンナで削ったように、薄い竹輪麩で情けなくなってしまう。

さて、金を払う段になって、
「銭、細かいんだ。ちょいと手ェ出してくれ。それいくよ…
ひい、ふう、みい、 よ、いつ、む、なな、や、いま何時だい?」 
『へえ、四ツです』 
「いつ、むう、なな、や……」

 

■「井の中の蛙 大界を知らず」の下の句…
 「されど、 天の心(深さ)を知れり」

毎日飽きもせず、天空の一点を見上げているカエル。日々季節に合わせ姿を
変えていく天空…、そこに輝くお星さま…。何と奥が深く、素晴らしいことか…。
狐さんには、とても分からないだろう。だから、ちっとも寂しくなんかないし、
狐さんをうらやましいと思ったことはない。

狐の生き方は「広く浅く」。蛙は「一つことを、とことん深め・極める」人生。

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