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運動会抜くなその子は課長の子

北国新聞「子ども討論会」のテーマ、"かけっこ"についての六年生の意見です。
「ビリの子は傷つくから、なくしてしまったら…」 「順位があるから盛り上がる…」 
「競い合った方が自分の力が出せる…」。中には「走るのが遅い子は、前の方
からスタートすれば…」という、面白い意見もあった。
                                    
でも…、前の方からスタートする子が勝ったりしたら、いじめに合いそう…。
成長度合いに、大きな開きが出る小学生。運動能力に、どうしても差が出てくる。
勝ち負けにこだわる教育ではなく、強い者が弱いものに手を差しのべる、そんな
教育であってほしい。

ところが、「先生が生徒をいじめていた…」なんて、とんでもないTV報道。
学校現場も、落ちるところまで落ちてしまったようです…。
教える側の先生に、倫理観・道徳・人間性が欠落しているのでしょう…。
当の先生が悪いというより、先生の子どもの頃の家庭や教育環境が悪かった
からでしょう。
安倍内閣のキャッチフレーズは、「美しい国日本。敗者が復活できる国づくり」
美しい日本にするために、教育を含め、何をどう意識改革していくのか? 
今一つ見えてこない?

【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 147】
~幸せな人生を歩むために~

「運動会抜くなその子は課長の子」

雪印事件から早や七年になる。企業犯罪は性懲りなく繰り返され、収まりそう
にない。なぜこのような事件が繰り返えされるのだろう? 
そこには封建時代のなごり?「藩」の主従関係に近い社風が垣間見える…。

私は以前、業種の違う二つの「大藩(会社)」に仕え、禄を食んだ経験がある。
大きな会社は、組織と上下関係がガッチリしていて、歯車の一つとしての責任
は重く、みッちり働かされた。有給休暇を取る余裕もなかった。
会社の都合が全てに優先し、家庭も私生活も犠牲にして、身を粉にして働いた。
企業戦士と言われて頑張ってきた世代なのです。

現在も仕事に追い回され、過労死するといった、労働災害があとを絶たない。
一年前のJR西日本の脱線事故。事故を起こした若い運転手、お客様の安全よ
り、遅れを取り戻すことの方が大事…。懲罰が頭にちらつき、何とか遅れを取り
戻そうと事故を起こし、死んでしまった。

会社から月給という禄を与えられ、会社が世間の常識やモラルに反することを
習慣的にやっていても、「お家(会社)第一」 のじゅばくにかかり、見ざる・言わ
ざる・聞かざるの、家畜ならぬ"社畜"と化している…。

岐阜県庁で裏金が発覚し、処置に困り、500万円を燃やしてしまった職員…
まだ記憶に新しい。三菱自動車のリコール隠しもそう…。月給は口止め料、
もしくはガマン料である…。

大きな会社、個人の力は小さい。一人問題意識を持ったところで、どうなるも
のでもない…と、私は思ってきた。
ところが「内部告発」というやり方で、企業のモラルを正そうとする動き…見逃
せない。企業の良識、まだ失っていないということでしょうか? 会社への忠
誠心が薄れてきたことも、その一因でしょう…。

私が勤めていた頃…実力で所長から部長になり、将来は取締役と言われたA氏。
ところが、五十前の働き盛りに、突然後輩に道を譲るようにと言われ、机が一つ、
部下が一人もいない閉職に追いやられた。日頃、A氏の傲慢な言動を嫌った部
下が、連名で社長に直訴した、というのが表向きの理由…。

閉職になった途端、面倒を見た部下が離れていく…。出世コースから外された
無力さを思い知らされ、居場所を失ったA氏、寂しく退職していった。
講談社の「平成サラリーマン川柳傑作選」には、そうしたサラリーマンの悲哀が
数多く詠い込まれていて、どれも、身につまされる…。

「運動会 抜くなその子は課長の子」 
「ああ言えばこう言う奴ほど偉くなり」 
「持ち歌を歌ったばかりに 左遷され」
「社宅では 犬も肩書き外せない」
「シッポ振るポチに 自分の姿見る」 
「客よりも上司を立てる大会社」

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