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「護国神社参拝に思う…」

中国が恐れていることの一つに、日本が核保有国になることがある。
それをけん制する意味で、中国は「靖国」を問題にしていると、知識人は言う。
日本の外交戦略は正直過ぎる。

小泉首相の靖国参拝と、北朝鮮の軍事ミサイル発射と、どちらが相手国には脅威
だろう? 中国の内政干渉に、賛成だ反対だと騒いでいる日本。何とも情けない。
中国の仮想敵国であり、核保有国のインドは、しぶとい。この機に乗じてミサイル
実験をやった。国際社会からの非難はない…。

国際法上、明らかに日本の領土である竹島。つい最近、領海を定めようと、ソウル
で話し合いが持たれた。が、双方相譲らす。それどころか、「韓国が竹島周辺を調
査をする時は、日本に通知する義務はない!、日本が調査する時は、韓国政府の
了承なしにやってはならない」と…。
不法に占拠しておきながら、この言いぐさ。これが外交というものだろう。

「北朝鮮が核を保有するというなら、日本も防衛上、核を保有するしかない!」
「北朝鮮のミサイル発射を、中国やロシアが目をつむるというなら、日本もミサ
イル実験をやる!」と…。
そんなつもりはまったくなくても、世界に向って"ハッタリ"をかませ、"タンカを切る"
くらいのしたたかさがないと、中国やアメリカ、韓国は日本を軽視し続け、拉致問題
に目を向けることもないだろう…。


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 140】
「護国神社参拝に思う…」

先週の日曜日、厚生年金会館の催し事に参加した折、隣接の護国神社に参拝し
た。石川護国神社は、戊辰の役で戦死した人たちを祀るため、明治3年に創建。
その後、明治・大正・昭和と、国のために戦った石川県ゆかりの戦没者、約四万五千柱が祀られている。

境内には、太平洋戦争戦没者の慰霊碑が、大小所狭しと並んでいる。中国に進
駐して戦死した、金沢陸軍第九連隊の慰霊碑には、沢山の若者の名前が刻まれ
ている。陸軍航空隊で散っていった、七十数柱を祀った慰霊碑もあった。
それらの慰霊碑の前に立ち、建立の趣旨を読み、黙祷した…。

戦後教育の中に育った私。学校でも、社会人になって後も、お国のために亡く
なった先人たちの霊を慰め、敬い感謝することを、教えられたことはなかった。
だから、命を賭して戦った先人たちによって、今の平和があることに…気づか
ず、感謝することがない…。
境内は人影もなく、シンと静まり返っている。忘れ去られてしまったかのよう…。

過去敵国であっても、国賓として招かれたら、まずその国の戦没者慰霊碑に
頭を垂れるのが、国際社会の慣わし。
広島や長崎の原爆慰霊碑の前は、参拝する人で溢れかえっている。
修学旅行生はもとより、日本人であれば一度は訪れ、瞑目したであろう。
ところが明治以降、お国のため、家族のため、身を挺して死んでいった先祖の
御霊に、敬虔な心で参拝する人は、まれである。

靖国神社は、戦犯合祀問題で揺れている。しかし、石川護国神社には、戦犯は
祀られていない。戦犯が合祀されているから、お参りしないという人…、護国神
社なら参拝するのでしょうか?
元からその気のない人が、「日本のためにならない!」と、参拝の是非を語ると
したら、どうなんでしょうか…?

私達は、国の為に戦い、死んでいった先祖を敬おうとしない。そのような恥ずか
しい民族は、もしかしたら日本人だけかもしれない…。
過去二千年、異民族に国を蹂躙されたことが一度もなく、婦女子が辱めを受け
たことも無い。それが、国を大切に思う心の希薄さに、繋がるのでしょうか…。

江戸から明治にかけて、西欧諸国から敬意をもって見られた、倫理観に溢れた誇り高き日本人は、 どこへ行ってしまったのでしょう…。

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