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「日本の戦後賠償」

8月15日、小泉首相は靖国神社に参拝した。中国は今日本に対し、必要なまで
に戦争責任に対する政府の姿勢を非難し、謝罪を求めてくる。
靖国問題は国内問題と、首相は弁明するが、中国は追求をゆるめようとしない。

そうした中国の姿勢に、何かが胸に痞えたような思いの私ですが、ここで注目す
べきことは、最大の戦争被害国中国が、一切の戦後賠償請求権を放棄しているこ
とです。そういった過去のいきさつを知らずに、中国政府の姿勢を憤っているのです。

一方、中国の国民もまた、戦後保障に変わる、日本からの円借款、政府開発援助
(ODA)が、この20年で3兆円にもなり、天津・上海・広州の電話通信網や、衡陽ー
広州間の鉄道建設、北京の下水道など、中国各地の社会・経済インフラ整備に、
多大な貢献をしてきた事実を、全く知らないのです。


【吉村外喜雄のなんだかんだ  - 137】
~歴史から学ぶ~
「日本の戦後賠償」

太平洋戦争が終結して60年になる。日本は、戦争責任をどのように果たして
きただろうか? 戦後賠償に多額の血税が使われてきたことに、さしたる関心
もなく、知らないまま今日まで暮らしてきた。
そこで今日は、あの「ポツダム宣言」とは、「サンフランシスコ講和条約」とは、
どのようなものだったのかを、書き出してみました。

終戦直前の7月、米英中の三ヶ国首脳が発した「ポツダム宣言」。敗戦国日本の
対外賠償の原則が示された。同宣言は、日本に"金"ではなく、"物"による賠償を
求めた。第一次大戦後、ドイツに過酷な現金賠償を科して、結果、ナチスの台頭
を招いたことへの反省があったからです。

とはいえ、占領初期の米国の対日賠償要求は厳しい内容だった。駐日大使は
「最小限度日本経済を維持する以外に必要でないものは、すべて日本から除去
する」と発表した。
(最小限度とは、日本が侵略した東南アジア諸国より高くない生活水準をいう)
これに従い、日本国内の財閥は解体され、産業施設は撤去され、取り外した工
作機械は、中国、フイリピンなどの国々に搬出された。

その後の米ソ冷戦の進行に伴い、日本を弱体化させる産業施設の解体は中止
された。とりあえず、日本への物的賠償請求を中断することにしした。
冷戦が、「自立日本建設」の方向に、転換を促したのです。

1951年(昭和26年)「サンフランシスコ講和条約」が結ばれた。
連合国は、「すべての賠償請求権」と「戦争中日本軍がとった行動から生じた
損害の請求権を放棄する」ことを、規定に盛り込んだ。
連合国48か国との講和条約によって、日本は国家としての主権を回復した。
このに条約に沿って、米国など大半の国が対日請求権を放棄。
その後、ソ連も中国も、インドも請求権を放棄した。

一方で、日本が占領した国に与えた「損害及び苦痛に対して、賠償義務を定め、
賠償を希望する国と速やかに交渉を開始しなければならない」とした。
支払いは金銭ではなく、日本の「生産物・技術・労働力」などを無償で提供する
方式が原則とされた。
以後、東南アジア諸国と個々に話し合い、賠償する国、賠償を放棄する代わり
に、無償・有償援助を求める国など、戦後処理が進められていった。

日本の賠償や経済協力は、アジア諸国のダムや発電所などのインフラ整備に
役立つ一方、日本経済の復興にも貢献した。物による賠償は、日本製品への
"なじみ"を作り、アジア市場進出に効を奏した。
例えば、ミヤンマーに供与した日本製自動車は、それまで市場を独占していた
英国車を、駆逐してしまった。

・日本が戦後賠償に応じた国…フイリピン、インドネシア、ベトナム、ビルマ
  賠償額総額    1664億円

・無償貸与した国…韓国、マレーシア、カンボジア、ラオス、ビルマ、タイ、
             シンガポール、モンゴル、ミクロネシア
  無償貸与総額  1780億円

・有償で資金提供した国…韓国、フイリピン、インドネシア、ベトナム、ビルマ
  有償貸与総額  3408億円

台湾の他、最も被害の大きかった中国、そして大国インドは、日本からの無償
・有償、いずれの援助も受けていない。日本が中国政府に対して、卑屈なまで
に弱腰なのは、こうした事情があるのです。
                                     情報源/読売新聞


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