« 尺貫法 | メイン | 食の不安 »

孔子の教え/教養の書・論語

■「仁義礼知信」 「仁」とは 人を慈しむ心。
「義」とは 義侠心。
「礼」とは 礼儀・礼節・親を敬う心。
「知」とは 学ぶ心。
「信」とは 信頼・信じる心。

"孔子(前551~479)"の教えの中心をなすのは 「」。
孔子の高弟"曾子(前506~?)"の教えは、親孝行の 「」。

後に"四書"の一つに加えられた"孟子(前372~289)"は、 「」を重んじた。
孟子は孔子の思想を継承し、「性善説」に基づく王道政治を説き、諸国を歩いた。

「性悪説」を唱えた"荀子(前298~238頃刑死)"は 「」を重んじ、
秦の始皇帝は、国家統一を維持するために、これを重用した。

5/27 中国「曾子77代目」"曾 慶淳"先生 来日講義から

  

【心と体の健康情報  - 248】
~古典から学ぶ~
「孔子の教え/教養の書・論語」

論語は、日本における最も基本的な教養の書として、千数百年読み継がれて

きた。「学而(ガクジ)編」に始まり「尭曰(ギョウエツ)編」を最後とする二十編、
五百近い章から成り立つ人間の記録です。

孔子の思想のキーワードは「仁」である。この「仁」の上に立って、 "人間論"
"政治論""指導者論"が、生き生きと語られている。
論語第一章「学而」の書き出しは、論語をまったく知らなくても、聞き覚えのあ
る言葉で始まります。
学びて時にこれを習う、またよろこばしからずや。
朋(とも)遠方より来る有り、また楽しからずや…

「勉強したことを何度も復習していると、理解が深まり、自分のものとして体得
できる。これぞ人生の喜びではないか!学問について志を同じくする友達が、
遠いところから来て、学問について語り合う。なんと楽しいことではないか!」

つい最近まで、日本人は中国古典を学び、人間としての素養を高めてきた。
とりわけ「論語」は、人間学の原理原則であり、先人たちは「論語」を心の拠り
どころにして、厳しい現実に対処してきた。

しかし近頃は、そういった素養を身につける人は少なく、それが政・官・財界の
倫理観の喪失、モラルの低下、不祥事につながっているように思えるのです。
孔子は「上に立つものはを身につけよ」と説いている。上に立つ者は、
それなりの"器量と人格、自分を律する倫理観"を持たなければなません。

利を見ては義を思い…(憲問第十四)
も、孔子が弟子に伝えようとした言葉です。
「利益を求めるときは、人としての正しい道を念頭においてみなさい…」
と言っている。
つまり、現代社会における不正な行為、金儲けのためになりふり構わずといっ
た風潮を、戒めているのです。
ライブドアや村上ファンドは、現代社会の在りようを象徴する事件でしょう。

義を見て為さざるは、勇無きなり(為政第二)
もまた、有名な言葉です。
「正義だと知りながら行わないのは、勇気がないからだ」

以下、PHP「リーダーのための中国古典・論語」からの引用です。

ある時、弟子の子路から
「先生の理想とする生き方は、どんな生き方ですか?」と尋ねられた。
孔子はそれに答えて…
『年長者からは安心され、同輩からは信頼され、年少者からは慕われ
  る。これが私の理想だよ』

平凡なように思われますが、極めて含蓄にとんだ言葉であることに
気づきます。これらは、聖人の言葉というより、人生の苦労をなめ尽
くした苦労人の言葉、といった方がぴったりでしょう。

論語は、噛めば噛むほど味が出てくると言われている。
それは、このような苦労人ならではの言葉が、沢山盛り込まれて
いるからでしょう。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)