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孔子の教え/譲り合いの精神

致知出版「仕事と人生」 の編者、川人正臣氏の奈良県の自宅を訪れたのは4年前。
当時、小学校六年と三年生の姉妹、幼稚園児の長男、そして奥様の5人家族。
ご主人に導かれ玄関に足を踏み入れ、驚いた。奥様と三人のお子さまがお出迎え。
玄関かまちに並んで、一人ひとり可愛い声で自己紹介。躾がなされていて、礼儀
正しい。
毎朝行われる家族のおつとめに参加しようと、一晩泊めてもらった。
朝六時半、家族全員座敷に正座。神棚に拍手を打ち、朝のお参り。次いで数分間黙祷…。
その後、全員「論語」 を素読する。子ども達の素読の早いこと。ついていくのがやっと…。
私が論語に触れたのは、この時が最初だった。午前七時、家族揃って食卓に着く。
私も一緒に朝食をいただいた。

お暇をすることになって、玄関に出たら、来たとき同様、子ども達・家族全員玄関に
立った。…お別れの挨拶を交わした。こんな素敵な家庭…初めてです。

【心と体の健康情報  - 238】
~古典から学ぶ~ 
「孔子の教え/譲り合いの精神」

交差点で接触事故を起こし、相手に「すみません」と言ったばかりに、その一言
を盾に一方的に制裁を押し付けてくる。こんなケースが増えてきている…。
嫌な世の中になったものです。

交差点の事故は、双方に非がある場合が多い。一昔前であれば、とりあえず
接触したことを謝罪するのが礼儀。自分に非がなくても、一歩控えて謝する、
そんな謙虚な心があった。
今は一言でも「すいません」と言おうものなら、
『あなたは今謝られましたね! 自分の方に非があると認めるのですね!』
と、念を押され、補償交渉を有利に導こうとする。昔の日本人なら、誰一人と
してそんなことを、考えたりしなかっただろう。

欧米の個人主義は、自分に非があっても「謝らない」と聞く。自らの権利を主張
しなければ、相手につけ入られ、どんな目に合うかわからない…とか。
そんな西欧の風潮が、日本にも浸透…。
昭和も中ごろ迄の日本は、まだ戦前の教育の影響が残っていた。
「礼」を重んじ、「譲り合う精神」があった。 論語に以下の文章がある。

『 師曰く、 よく礼譲をもって国をおさめんか、何か有らん。
  よく礼譲をもって国をおさめずんば、礼を如何にせん 』 
(里仁第四)
「先師が言われた。礼の根本である譲る心をもって国を治めれば、なんの難し
いことがあろうか。その譲る心をもって国を治めなければ、礼制がいかに整っ
ていても、どうしようもないであろう」

ライブドア事件や、姉歯事件を契機に、今の国会で様々な法改正が取りざた
される。人間としての根本に欠ける事件が頻発するのは、「それを定める法に
欠陥があるからだ」という。
そこで、法律をより厳しくして、事を治めようとする考えが、頭をもたげてくる。
中学や高校で、やたらと校則を厳しくして、問題の発生を規則でもって抑え込
もうとするのと何ら変わらない。問題の根本解決にはならないと思うのです…。

「人の本性は悪で、先天的に利欲の心が強く、善に見えるのは偽りで、
天性に従って行動すれば、争いが絶えない」

このような 「性悪説」 を唱える荀子(じゅんし) を他国から招き入れ、国家統一
を図った秦の始皇帝。法と刑罰で国を治めようとして、民心の離脱を招き、
わずか15年で国が滅びた。
孔子は「国を治むるは徳をもってなすべし」と言う。「仁・礼」がまず先で、
その後に「法」がある。二千年も前に、孔子はそのことを諌めているのです。

古代中国、聖王"周"の文王は、自らの"徳"によって、中国全土の3/2の
諸侯が帰服したとある。
ある時"虞(グ)と苪(ゼイ)"に紛争が持ち上がり、その制裁を周に求めてきた。
両国の君主が文王に呼び出され、周を訪れた。一歩周の領内に入ってみると、
農民はあぜを譲り合っており、年寄りを敬して立て、年長者に譲る気風がみな
ぎっているではないか…。
二人はすっかり我が身を恥じ、「我々の争いなど、この国では物笑いの種、
恥をかきに行くようなものだ」と、早々に引き返し、お互いに譲歩し和解した
という。 
                                   論語の友9月号より

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