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フランシスコザビエルが見た日本

【伊達政宗家訓】
一. 仁に過ぐれば 弱くなる
一. 義に過ぐれば 固くなる
一. 礼に過ぐれば へつらいとなる
一. 智に過ぐれば 嘘をつく
一. 信に過ぐれば 損をする
一. 気長く心穏やかにして よろずに倹約を用いて金銭を備うべし
一. 倹約の仕方は 不自由を忍ぶにあり
一. この世に客に来たと思えば 何の苦もなし
一. 朝夕の食事うまからずとも ほめて食うべし
一. 元来 客の身なれば 好き嫌いは申されまじ
一. 今日の行をおくり 子孫兄弟によく挨拶をして 
    しゃばのお暇申すがよし

伊達政宗は、フランシスコ・ザビエルが布教にやって来てから、18年後の1567年、日本の歴史に登場した人物。この家訓から、 論語や孟子の教えをまつりごとに取り入れ、国を治めたことが伺える。

【心と体の健康情報 - 236】
~歴史から学ぶ~
「フランシスコ・ザビエルが見た日本人/貧すれど貪せず」

1549年8月、フランシスコ・ザビエルが鹿児島の地にやって来た。地元の人に
心から歓迎された。鹿児島に居を構えて3ケ月後、本国宛て、日本の印象を書
き送った。

■1549年11月5日 鹿児島からゴアのイエズス会員にあてた書簡「第90」 
ー前文略ー 
日本についてこの地で知りえたことを、あなたにお知らせします。

まず第一に、この国の人々は、私の知る過去のいかなる国の人々より優れて
いることです。彼らは親しみやすく、善良で、悪意がありません。他の何もの
よりも"名誉"を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士も庶民も、
貧しいことを不名誉とは思っていません。

他人との交際は大変礼儀正しい。しかし、侮辱されたり、軽蔑されたりした
ときは、黙って我慢をする人々ではありません。人々は、武士が大変貧しい
暮らしをしていても尊敬するし、武士は、その地の領主によく仕え、よく臣従
しています。

この国の人達の食事は少量ですが、飲酒の節度はいくぶん穏やかです。
(こんな昔から、酒飲みには甘かった)
この地方にはブドウ畑がなく、米から取った酒を飲んでいる。
人々は賭博を一切しません。賭博をすれば、他人の物を欲しがるようになり、
そのあげく盗人になると考え、大変不名誉なことだと思っているからです。

大部分の人は読み書きができます。彼らは一人の妻しか持ちません。
盗人は少なく、盗みの悪習を大変憎みます。盗人は非常に厳しく罰し、死刑に
します。盗みについて、これほどまでに節操のある人々を、見たことがありませ
ん。
人々は大変善良で、社交性があり、知識欲はきわめて旺盛です。
彼らは獣(けだもの)の偶像を拝んだりはしません。その昔、哲学者のように
生活した人々を信仰(釈迦や阿弥陀)し、多くは太陽を拝んでいる(神道)。

この国は土地が肥えていないので、豊かな暮らしはできません。しかし、家畜
を殺したり、食べたりせず、時々魚を食べ、少量の米と麦を食べています。
彼らが食べる野菜は豊富で、幾種類かの果物もあります。

この地の人々は不思議なほど健康で、老人も沢山います。たとえ満足ではない
としても、自然のままに、わずかな食物でも生きていけるということが、日本人
の生活を見ていると、よく分かります。
日本にはボンズ(坊さん)が大勢いて、彼らはその土地の人達から、大変尊敬さ
れています。彼らボンズは、厳しい禁欲生活をし、決して肉や魚を食べず、野菜
と米だけを食べ、一日一度の食事はきわめて規律正しく、酒は飲みません。

           平凡社 河野純徳著「聖フランシスコ・ザビエル全書簡」より

いかがでしょうか。これが450年前、山之内一豊が生まれる少し前の時代の、
私たち日本人の姿なのです。
これを、私が生まれ育った昭和30年代に当てはめると、ザビエルが見た当時
と変わらない暮らしをしていたことに気づきます…。3月上旬、日本アカデミー
受賞10部門の内、9部門を総なめにした映画、「三丁目の夕日」の時代です。

今からわずか四・五十年の間に、こうした"日本人の心"が色あせていき、
荒んだ世の中になっていったのです。
民主党の永田議員、目上を敬うことを知らず、礼を失した無礼な振る舞いに気
づかない。それはそのまま、私や私たちの世代を写し出す"鏡"なのでしょう…。

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