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落語・こんにゃく問答

■ことば遊び「無理問答」
「○○とはこれいかに。△△と言うがごとし」といった題で、
笑点の「大喜利」のネタにもよく使われます。

「一羽でも ニワトリとはこれいかに」
「一羽でも 千鳥というがごとし」 といった言葉遊びです。

「赤い花でも 葵(青い)とはこれいかに」
「見るものでも 菊(聞く)というがごとし」

「朝届いても 郵便(夕便)とはこれいかに」
「走って配っても 配達(這い立つ)というがごとし」

「一度打っても 碁(五)とはこれいかに」
「一篇でも 詩(四)というがごとし」

「何個あっても 荷(二)とはこれいかに」
「一回でも お産(三)というがごとし」

吉村外喜雄のなんだかんだ
~ことば遊び~
「落語・こんにゃく問答」

会話の中に、ひょいと出で来るジョークは、笑いを誘い、雰囲気を和ませ、
人間関係を親密なものにしてくれる。
名の知れた大学教授の講演を聴く機会が多い。共通しているのは、講義にあり
がちな堅苦しさはなく、聞き手を笑いに引き込み、時間を忘れさせてくれるこ
とだ。学生に人気がある教授ほど、その傾向が強い…。

「感性論哲学」の創始者、芳村思風先生。講義中、聴講生が散漫になりかけたの
を壇上から見ていて、フッと話を中断し、しばし沈黙してしまう…。
聴いている私たち、何だろう?次に話すことを忘れたのでは?と、みな先生に
意識が集中する…。 と、突然、「なんちゅうか、かんちゅうか、ほんちゅうか、
な~んちゃって…」の、お得意のジョークが飛び出してくる。

会場はドッと笑いの渦に包まれ、それまでの眠気もふっ飛んでしまう。先生は
笑いでもって、受講生を引き付ける"ネタ"を、幾つか隠し持っているのです。
何度か講義を受けているうちに、それが分ってくる。
そら!出るぞ、出るぞ…! 要望に応えて、先生の口からジョークが飛び出し
てくる。そのたんびに、会場は爆笑。講義が、何とも楽しいものになっていく。

受けを狙ったジョークや笑いは、言おうとして出てくるようなものではない。
日頃からユーモアを楽しむ心がないと、身に付かないもののようです。

さて今日は、洒落話しといきましょう。言葉遊びに「無理問答」というのがある。
落語のネタによく使われています。中でも有名なのが「こんにゃく問答」。
その中で交わす、八っつァん、熊さんの珍問答が面白い…。

「……、野郎、しからば一不審(いつぶしん)、もてまいろうか」
『なにをいってやんでえ畜生、高慢なことを言うな、 なんでも持ってこいっ
てんだ!』
「われ鉄眼の竜となって、汝(なんじ)を取り巻くときは、これいかにとくらァ
…! どうだ、驚いたかこの土手カボチャ」
『土手カボチャァ!? 畜生め! 汝、鉄眼の竜となれば、炎となって汝を
溶かす、とくらァ…、どうだ、おたんこなす』

「汝、火となるときは、われ、水となってこれを消す!と、どうだ!」
『水になれば、土手になってこれをふせぐ』
「土手になれば、猪になってこれをくづす」

『猪なら狩人になって、汝を撃つ』  「汝、狩人になれば、われ庄屋となる」
『汝、庄屋となるときは、代官となる』 「汝、代官となれば、われ奉行となる」
『奉行となれば、老中となる』     「老中となれば、将軍となる」
『将軍となれば、天子となる』     「太陽となる」

『高いもんになりやがったなこん畜生! 
  汝、太陽となれば、日蝕となって世界を暗くする』 
「汝、日蝕となれば、百万がけのろうそくの灯りになって、世界を照らす」
『ろうそくになれば、風となって、その灯りを消す』
「風になれば、壁となって、これをふせぐ」

『ネズミとなって、食い破る』 「猫となって、汝をとる」
『汝猫となれば、われおさんどんとなって、これをブチ殺す』
「おさんどんになれば、権助となって、われ汝をくどく」
『べらんめェ、お前ぇなんかにくどかれてたまるか…嬶ぁが化けて出ら!』
「嬶ぁが出てきたか…。おおクワバラ、クワバラ、嬶ぁには勝てない…」

落語の「無用問答」はここまでにして、「ああ言えばこう言う」。こんな会話の
ヤリトリを"尻取り遊び"のように、瞬時に応酬し合って、勝ち負けを楽しむの
も、ユーモアや、営業のセンスを磨くのには役立つたかも…。

難しい研修カラキュラムだけでは疲れてしまう。15分ばかり、こんな課題で
場をなごますのも、いいかもしれませんね?

 

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