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いらく紛争・歴史は語る

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第75号】
~歴史から学ぶ~
「イラク紛争、歴史は語る」

アメリカで、太平洋戦争の激戦地硫黄島を映画にする話が持ち上がっている。
(硫黄島/米国の死傷者…約二万七千名。日本軍の戦死者…二万名)

太平洋戦争。日本と戦ったアメリカは、サイパン、硫黄島、沖縄と攻め上ってくるとき、徹底抗戦! 降伏しない日本人にほとほと弱り果てた。
このまま背水の陣で待ち受ける本土決戦に臨んだら、あと一年半は戦いが続き、連合軍の死者は新たに百万人覚悟しなければならない。 そのように米英軍部は、ルーズベルト大統領に報告した。

日本民族は、欧米文明の尺度をもってしては測れない、異質の心性の持ち主で
あるとの思いが大統領をさいなむ。そこで日本の都市を焼夷弾で焼き尽くし、
原爆を落とす作戦に出た。
三月に放映されたNHKの特集によれば、東京大空襲で10万人死んだ。
全国四十数か所を焼き尽くして、更に30万人が死んだ。そして原爆を二個落と
した。
ようやく終戦を迎え、日本を統治することになった米国。あれほどこわもての
日本人が、ゲリラなどで抵抗するでなく、猫のように従順で、おとなしくなって
しまった。
そうした過去の経験を生かし、アメリカはイラク問題に取り組んだ。当初の計画
通り、フセイン政権を瓦解させ、新しい国づくりに取りかかった。ところが、ゲリラ
が荒れ狂って国が治まらない。困惑の極みである。日本人もイラク人も、爆弾を
抱えて敵陣で自爆することをいとわない民族。この違いは何だろう?

二月中旬、NHK・BS2で、久しぶりにアカデミー賞大作「アラビアのロレンス」
を見た。ロレンスは、敵(トルコ軍)の裏をかき、不可能と思われていた砂漠を
横断し、敵の背面を突く作戦に出た。
必死の思いでようやく死の砂漠を脱出し、井戸に取り付いて渇ききった喉を癒し
た。そこへやってきた土着民(井戸の所有者)に、案内役のアラブ人が、やにわ
に射殺されてしまった。他部族の土地で、他人が所有する井戸水を、無断で飲
むのは泥棒と同じ。殺されても文句が言えない。

ロレンスが抱いた理想は、イギリスやトルコ、フランスの植民地から独立して、
アラブ人による、アラブ人の民主国家を創ること。単身、アラブ部族を率いい
て、ダマスカスに攻め入り、陥落させたまでは良かった。
今のイラクと同様、どの部族の長を大統領にし、どの部族から首相を出すか…。
議場内は、部族間の利害から罵声が飛び交うばかり。収拾がつかなくなった。
どうにもならない。各部族は大同団結をあきらめ、散っていった。

ロレンスがいくら説いても、自分の部族の利益を優先するばかり。アラブの大儀
などカケラもなく、「アラブ人の国家を創るんだ!」と説いても、言っていることが
空しい。ロレンスが命をかけて戦い、描いてきた夢は、はかなくも崩れ去った。

アフリカからイラン、イラク、中東一帯は、小部族が群雄割拠する土地柄。
紀元前753年、現在のローマ市の七つの丘を中心に、周囲わずか10キロの
新生ローマが誕生した。そしてその後一千年、あの偉大な帝国を創りあげた。
そのローマが、イタリア半島の七割を支配するようになるまで、四百年の歳月を
要している。半島に点在する他部族と戦い、コテンパにやっつけて、二度と反乱
を起すことのない、強靭な中央集権国家を創りあげるのに要した年月なのです。

イラクも部族国家。よほどの英雄傑物が排出されない限り、割拠する部族をまと
めていくのは至難の業。部族の長から見れば、国王や大統領の存在は邪魔に
こそなれ、無用な存在。その上宗教・宗派が違う。
フセインは、まれに見る偉大な政治家。が、国内のクルド族や、他宗派の部族を
弾圧することで、国家の統一を維持してきた。

どの部族も、先祖伝来の土地を大切に守り、受け継いできた。同じアラブ人で
ありながら、互いに争ってきた長い歴史がある。故に国家意識は極めて薄い。
何が嫌かといえば、他の部族に大きな顔をされ、政治的支配を受けることです。
他の部族の支配に甘んじて、言いなりなるなど、絶対に許せないのです。

あの偉大なチトー大統領亡き後に、長年抑え込まれていた怨念が、民族間の
争いとなって表面化し、国家が幾つにも分裂したユーゴスラビアなどは、その
良い例でしょう。
こうした部族に、日本人が持つ譲り合いの精神、「共に勝つ」「共に栄える」の
精神で臨めば、これほど国が混迷することはないと思うのですが…。

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