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西欧の論理と羅本の論理

スマトラ沖地震で、ドイツ人観光客が撮影したビデオ映像がテレビに映し出された。
今まさに大波が押し寄せんとするとき、ドイツ人の撮影者が一瞬、「ツナミ!」と叫んだのを気づかれたでしょうか? 「tsunami」 は今やドイツ語なのです。
「スシ」と同様、「ツナミ」も国際用語になったようです。

"tsunami"が一般化したのは1964年。この年アリューシャン地震による津波がハワイを襲い、被災した日系人が口にした 「ツナミ」が、新聞に使われたことから。
欧州では、1755年のリスボン大地震で大津波が発生し、人口の四分の一が犠牲になったが、それ以降、記録に残る津波は起きていない。

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第66号】  
~日本人のアイデンティティー~
「西欧の論理と日本の論理」

小泉政権になってようやく、日本は体を張って国際貢献をするようになった。
そして今国会は、猫の首に鈴、つまり「憲法九条改正」に手を染めようとしている。以下、”塩野七生”「再び男たちへ」 文芸春秋からの抜粋です。 

つい最近まで世界の先進国からは、「日本は強制しない限り、 世界に対して何ら貢献をしたがらない国である」と…。
日本は、「できれば他国を助けたいと思っている。しかし、他人の内部問題に介入するのは、 いかなる国民の倫理にも反する。要請されても関与すべきでない」

という考え方をしてきた。

この問題は、国策を担当する官僚も、知識人・言論界も、おしなべて同じような考え方であり、政治家も、 与野党の間にそれほど大きな違いがなかったのである。
その理由について、多くの説明が行われ、その一つひとつは”もっとも”と思われる。
しかし、とどのつまりは、言い訳の山…。世界の問題と人間に対する真の思いやりが欠如しているのに、 もっともらしく正当化し、問題回避しようとする魂胆…。
西欧諸国は、そういう風に見ていたのです。

日本は経済大国。国際安全保障に十分貢献できる国力がありながら、意識と自覚がない。ならば、日本はそれだけの対価を払わなければならないことを、自覚すべきである…。 それだけの対価とは…?  はっきり言えば、国際社会から受ける「軽蔑」である。

「エコノミック・アニマル」と、軽蔑の目で見られたのもその一つ。
1月22日、たまたま見た民放TVで、日本がアルカイーダの新たな報復対象になっていると、その筋の評論家が警告していた。 「その原因はイラク”派兵”にある。国民をアルカイーダのテロから守るためには、今すぐ撤退すべきである」と…。

声だかに撤退を訴えても、それに代わる代案を示そうとしないのが、この手の人達である。要するに「一国平和主義」 である。他国がどうなれ、日本がよその国のトラブルに巻き込まれるのは、ゴメンなのである。

なぜユダヤ民族が西洋の国々から嫌われてきたのか? 
彼らはすべてのことをやったが、他者を守るために、体を張ることだけはしなかった民族だからです。中世、 ユダヤ人は、キリスト教徒の二倍の税金を払う代わりに、軍務から免れてきた。イスラエル建国まで、 不都合が起きると「金」で解決するしか、選択の道がなかったのです。

日本もつい最近まで、理由は違えど、同じように金で解決するしかなかった。
ブッシュ大統領は、この一月の就任演説で、20分間に45回も「自由」を訴えた。
「我々は、わが国の自由のために、アメリカの自由を世界に広めるために、自由のない国に自由をもたらすために、戦っている」 と…。

中世、西欧諸国の支配階級、貴族や騎士階級は、 自分たちが住む周りを城壁で囲んで、武力でもって敵から味方を守ることで、 民衆から敬意を払われてきた歴史がある。この伝統は今も立派に生きていて、アメリカが大国と認められるのは、 経済力だけでなく、世界にニラミをきかす軍事力のお陰である。

ヨーロッパの人たちが、三千年を費やしてつちかってきた西欧の論理。
つまり「力とはイコール軍事力」という論理を…、日本人は理解しなければならない。

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