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人生想い描いたようになる

いつだったか、NHKで見た”人間ドキュメント”を忘れない。
京都で名の知れた西陣織の職人の話です。七十歳のときに、余命残り少ない中、自分の持っている技術を、 世の中のお役に立てないものかと考えた。

ある時、美術館へ行った。そこで見たものは源氏物語絵巻。一千年の歴史で色あせ、虫食いのようになっている。 西陣織でこの絵巻を復元しようと心に決め、作業に取りかかった。あれから三十年。現在百二歳。三十年かけて、大変な思いをして、 全四巻のうち、ようやく三巻まで完成した。
約三百色の縦糸と横糸を駆使して、持てる技術のあらん限りをつくして織り上げた作品。
アナウンサーが尋ねた。「お歳を考えると、完成を急がないといけませんよね」。
老人は答えた。「わしは、未完成のまま死んでもいいと思っている。この模写が、このあと一千年の後に、その値打ちが問われるものにしたい。 だから、いい加減な仕事だけはしたくない」と…。
テレビ画面に映るその姿は、使命感と気迫に満ちて、百二歳とは思えぬ若々しさ。
只々、おそれいって声も出ない。

【心と体の健康情報 - 176】
~幸せな人生を歩むために~
「人生想い描いたようになる」

「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんとするや、
必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしめ、
その体膚(たいふ)を餓えしめ、その身を空乏にし、
行いをそのなすところに払乱(ふつらん)す。
心を動かし、性を忍ばせ、そのあたわざるところを増益せしむるゆえんなり」

これは孟子の言葉です。何か困ったことが起こったときには、「これは、天が自分に大任を降そうとしているのだ」 と思うことです。すると、それが勇気の源となる。
勇気を奮って事に当たれば、困難が一気に解消されて、人生が開けてくるようになる。                         
新しい年を迎え、神社をお参りしたとき、今年はどんな願かけをしたでしょうか?
人生というものは、自ら想い描いた方向にしか進んでいきません。その一方で、想い描いたようにはなかなかならないのも、 また人生です。
自分がやりたいと思ったことをやり続け、貫き通すならば…。また、人に感謝され、喜ばれることをやっていれば、 愉快で楽しい人生になり、想いが叶うでしょう。

「想わないことは決して目の前に現れることはないし、手にすることはない」
「目の前に現れる問題や障害は、すべて自らが解決できることです」。
このことは、過去何度かお伝えしてきました。

何かをやろうとするとき、自分にとって実現不可能なことは、目の前に浮かんではこないし、想い描くことはありません。 想い描くことは、すべて実現可能なことばかりです。だから本気になって取り組めば、想いが叶うようになるということです。
想い描くとは、「自分にできる」と思ったことです。私達には、 無限の可能性を秘めた能力があります。どんな難しいことでも、同じことを100回続ければ、たいがいのことは、 出きるようになります。100回やって出来なかったら、200回やれば出きるようになるでしょう。
「出きる」と思うから、あきらめずやり続けることができるのです。想いが大きければ、 一生かけなければ出来ないこともあります。小さな想いや目標なら、一ヶ月、半年、 ちょっとその気になれば出きるものもあります。

やってみれば出きることでも、「そんなことは出来ない、出きるはずがない」
「自分には無理だ」と思えば、そう思った瞬間に「夢」がはじけてしまいます。
潜在意識の中にある、自らが持つ無限の可能性を摘み取ってしまうことになる。
運を呼び込むかもしれない折角のチャンスを、自ら放棄してしまうのです。

私は一度も政治家になろうと思ったことはないし、ジェット機のパイロットになろうと思ったこともない。ですから、 そのようなきっかけや、チャンスは一度も訪れてはきませんでした。想い描かないことは、 絶対に目の前に現れることはないのです。
以上、年の始めにあたり、「今年はどんな夢に向かって努力するのか?」と、自らに問いかけているのです。

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