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自愛の心に欠ける日本人?

街を歩けば、若い人たちは黙々と指を動かし、携帯メールに余念がない。
用があれば、相手がどこに居ようと、呼び出すことができる。好きな時に即刻情報を伝達し合う。
そんな時代だからこそ、デジタルではなく、アナログを象徴する「手紙」や「ハガキ」を大切にしたい。自分の気持ちを相手に伝えるは、 一字一字に心を込め、時には絵手紙にして、受取る相手の喜ぶ顔を想像して投函する。

毎月決まった何人かの人から、季節感たっぷりの絵手紙が届く。貰って嬉しく、印象に残る。差出人の真心が伝わってくる。ならば私もと、 下手な絵手紙の真似事をするようになった。即、相手に意志の伝達ができる便利な時代だからこそ、後々まで手元に残る、 手紙やハガキを大切にしたい。

【心と体の健康情報 - 174】
~幸せな人生を歩むために~
「慈愛の心に欠ける日本人?」

ノエビアで来春、またラスベガスへ行く話しが持ち上がっている。
アメリカへ旅行するのも、もう何回目になるでしょうか? そのたびに気になるのが、 日本と米国の人間関係における習慣や文化の違いです。

米国へ行くたびに、気づくことは、
(1)街を歩く老夫婦、 皆仲良く手をつないで歩いている。
(2)見知らぬ人と顔を合わせたとき、 にっこりと微笑んでくれる。挨拶してくれる。
(3)すれ違いざま、ちょっとふれただけでも、 必ずむこうからエクスキューズ・ミー
  が条件反射で返ってくる。
(4)身体障害者には住みやすいよう、 社会が整備され、周りへの接し方が優しい。

今の日本人、見知らず人に対する「慈愛の心」が不足しているのではないでしょうか。
毎朝犬を散歩させていて、時折顔を合わす人に、すれ違いざまに「おはよう」と声をかけると、にっこりと「おはよう…」 と返事が返ってくる。ところが、向こうから声をかけてくることは滅多にない。すれ違うとき、お互いに意識をしているのに、 黙って通り過ぎてしまうことが多い。なんとなくスッキリしない。ちょっと声をかけてあげれば、直ぐに打ち解けて、 返事が返ってくるのに…。

日本では、街角ですれ違ったとき、肩がふれても無言のまま…。悪いと思っても、とっさに声が出ないのです。 逆ににらみ返されることもある。どちらが悪いというのではなくて、条件反射的に 「すみません」の一言が言えないのです。優しさが日本人に不足しているのではなく、 習慣がなくて声が出ないのです。

街で妻と手をつなぐのは「恥ずかしくてかっこ悪い」と思う。文化の違いと言ってしまえば、それまででしょうが、これ、 すれ違いざまに挨拶が交わせないのと同じではないでしょうか。慣れてしまえば何でもないことなのに…。
人の目が気になるのは自分だけ。意識過剰になるのも自分だけ。周りの人は他人のことなど無関心。気にも留めてくれません。

三週間ほど前、又も痛ましい幼児誘拐殺人事件があり、マスコミを騒がせている。
何と、「仕事と人生」の川人さんのご自宅がある町で起こった事件です。川人さん夫妻には二人の愛娘がいる。 内心穏やかざるものがあるでしょう。

お母さんが、我が子に「怖い人がいるから、外で知らない人に声をかけられても、無視して返事しないように」 と言うのが日本。
教会へ親子で出かけて、「知らない人にも、優しくしましょう」と教えられるのが西欧諸国。
日本人は心の優しい民族です。それなのに「慈愛の心」が不足して見えるのは、日常生活に宗教の結びつきが弱いからでしょうか。
米国では、住民の四割が毎週日曜礼拝に出かける。子供の頃からの習慣です。
米国社会では、教会に行かない人は信頼されません。「信心深い正しきアメリカ人」でなければ、 まともな地位につけないのも事実なのです。

余談ですが、大統領選でブッシュ氏が勝利した理由の一つに、信心深いブッシュ氏の姿がある。 これまで底流にあった米国市民のナマの価値観が一気に表出したことが勝因です。
ブッシュ氏は名門の出だが、若い頃酒におぼれたりして、家族の中では問題児だった。その後、宗教に目覚めて立ち直った。 そういった過去が、選挙民の宗教観、正義感をくすぐったのです。 

(11/9 京都新聞 京都女子大 柏岡とみひで教授「米大統領選を聞く」 より)

牧師から「汝、隣人を愛せよ…」と言われて育った米国人と、宗教とは無縁の少年期を過ごし、 倫理観が希薄な日本人との違いが、なにげない日常生活の違いに現れてくるのでしょう…。

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