秋の味覚の王様松茸が市場に出回り始めた。石川県の主産地は能登半島の先端
珠洲。今年は豊作だという。
ところで、一本二千円もする松茸を前にして目を細め、舌鼓を打っているのは日本人
だけ。外国人にはその味覚がわからない。
中国では刻んで油で炒める食材にする。素材そのまま、香りや歯ざわりを楽しむ
のは、日本人だけである。
欧米人がマズイといって吐き出してしまうのは何故だろうか? その答えは、味噌・
醤油文化に慣れ親しんだ日本人だけの味覚感覚にあった。
松茸の味や香りを分析すると、その成分は、味噌・醤油の成分にそっくりなのです。
吉村外喜雄のなんだかんだ 第50号
~ことば遊び~
「さようならの意味」
言葉の語源の意味を知るのも、言葉遊びの一つ。語源を知って、「へぇ~」と、
結構楽しいものです。
昨日、「老荘思想」「禅のこころ」「菜根譚」など、東洋思想家としてその名を知られている”境野勝悟” 先生の講演を聴く機会を得た。
どんなむずかしい話をされるのかと思っていたら、講演の二時間、会場は笑いの渦。メインテーマは、
日頃なにげなく交わしている「さようなら」の語源と、意味についてでした。
先生は大学を卒業後、私立の学校で国語の教師として教鞭を執っていた。その時の校長は西欧人。校長から「さようなら」
の意味を職員に尋ねられた。が、誰も答えられなかった。その後、調べてみても意味が解からず、
ようやく言葉の意味が解ったのは、二十数年も後のことだったという。
「さようなら」は別れの言葉。その語源は江戸時代の武家ことば、「左様なればしかじか」 である。それをそのまま友達と別れるとき、○○さん「左様なれば…」、『左様なれば…』 と言い交わしたとしたら、どうもピンとこない? この言葉の後に、「ご機嫌よろしく」 が続くのです。「左様なれば、ご機嫌よろしく」となる。これでようやく意味が通じることになる。
明治になって、男女の別れの時に、男性が女性に「さようなら」と言い、それに女性が「ごきけんよう」 と返すようになった。大正・昭和と、男性中心社会になるにつれ、「さようなら」だけが一人歩きし、「ごきげんよう」 は置き去りにされてしまった。今も「ごきげんよう」と言うが、まれにしか使われない。
もう一つ、吉田金彦著「ことばのルーツ探し」には、あまり使われないが
「サラバ」
と「アバヨ!」
についての記述があります。
「サラバ」の語源は「左有らば」で、源氏物語にも使われている。
「アバヨ!」は、「逢はばや」が語源。「ではまた逢いましょう」という意味である。
今の別れが最後にならないように、との思い。若い人の間では、「では又、じゃあね!」になる