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アジアの貧困に学べ

25~26日の2日間、和倉温泉加賀屋あえの風で、商業界北陸ゼミが開催された。
700名近く参加をいただいた中、二人に一人は県外からの参加者。遠く沖縄や北海道、東北、九州など、 全国各地からお越しいただいた。

この催し事を企画運営したのは、わずか60名の小さな組織。半年間、 中心になって準備をしてきた役員の皆さんのエネルギーの高さには、頭が下ります。
大きな全国組織を持った団体が、全国大会を地方で開催することはよくある。
しかし、組織外の一般参加者が70%以上という、こんなとてつもない大きな事業を、三年に一度、 当たり前のように繰り返し開催している組織は、他に例を見ない。
先輩同友から受け継がれてきた、伝統の為せる業なのでしょうか…。

新潟から社員さん14名を引き連れてこられたKさん、奈良から4名で参加いただいたMさん、その他、 私の呼びかけに応じて参加いただいた友人のみなさん、
ありがとうございました



【吉村外喜雄のなんだかんだ 第44号】
~幸せな人生を歩むために~
「アジアの貧困に学べ」

先々週土曜日の民放、夜九時から放映された「世界が100人の村ならば」で、ロシアのマンホール・ チルドレンを追跡するドキュメンタリーがあった。

モンゴル、カンボジア、ミヤンマーなどのアジアの国々にも、 極限の貧困ゆえに親に捨てられたホームレスの子供たちが大勢いる。モンゴールの冬は、マイナス三十度。街の地下には、 温水菅が通るマンホールがある。捨てられた子供たちがその中に住んで、何とか寒さをしのいでいる。 マンホールチルドレンと呼ばれ、二千名はいるという。
カンボジアの首都には、四万人くらい住むスラム街がある。そこの子供たちは生きるために煙の充満するゴミ捨て場で、 一日中ビンや缶を拾い集めている。
貧くつ街に住む人達には、水を買う金がなく、川の水を飲んでいる。そのため、赤ちゃんがバタバタ死んでいくという。

池間哲郎「アジアのこどもたちに学べ」より抜粋

毎年沢山の日本人が、韓国や中国、ベトナム、タイなどアジア諸国へ観光する。
上海は、中国の中では生活水準が高い方です。それでも、私が見学した工場の女工さんの一ヶ月の平均賃金は、 日本円で七千円くらい。日本の観光客が上海の豪華レストランで支払う夕食代が七千円くらい。 現地の人が一ヶ月近く汗して働き、手にする金額を、一回の飲み食いで使ってしまうのです。

インドのお坊さんが、日本からはるばる観光に訪れたおばさん達に尋ねました。
「遠い日本から、はるばる私の国へ何を求めに来られたのかな?」
おばさん達は、目を輝かせて言いました。「私達はインドの素晴らしい遺跡や仏像を見るためにやってきました。 そして感動しました」

それを聞いたお坊さんは言いました。「どうして日本の人は、そんなに感動を求めてあちこち歩き回るのですか?  そのために使うお金を、貧しい人達に施せば、もっと素晴らしい感動を手にすることができるでしょうに…。 感動を求めるのではなく、感動を与える人になってほしい」と…。

今の時代の日本人、あれが足りない、これが欲しいと、求めることばかりで、与えることを知らない。日本人は、 あまりにも豊かで恵まれ過ぎていて、人間として一番大切なものを忘れてしまったようです。恵まれ過ぎていて、 世界の中で最も贅沢で豊かな暮らしをしていることに、気づいていない人が多い。

だからでしょうか? 大人も子供も、ちょっと辛いことがあると、生きる力を失ってしまう。つい十日ほど前の朝、 いつも犬の散歩をしている公園で、首吊り自殺があった。つなぎの作業服を着た四十代の男性でした。

子供や成人の人口比自殺者が、諸外国から見て極端に高いことからして、生きる力が、 世界一弱い民族ではないかと思うのです。
世界の75%の人たちが、日本より貧しく厳しい生活環境の中で暮らしている。
生きるために必死に頑張っている。
日本人の多くは、貧しい国の人から見たら、王様のような暮らしをしている。
そんな幸せな星の下に生まれながら、今の暮らしに感謝するでなく、「まだ、まだ」と、不足を言っているのです。

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