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”お陰様”の言葉に込められる感謝の心

【吉村外喜雄のなんだかんだ 第39号】
~幸せな人生を歩むために~
「”お陰さま”の言葉に込められる感謝の心」

言葉遊びに、言葉の意味・由来・語源を追求していくのがある。
それが「ヘェ~」となり、意外と面白い。
今日は、私たちが普段よく使う言葉、「お陰さまで…」の語源を探ってみます。

私の父は香林坊に店を構えていた。町内の商店主がふらりと店に入ってきて、
「最近暇やねェ~。商いのほうはどうやいね?」と尋ねられる。
普通は『まぁ、ボチボチやわ』と、謙遜して言うところを、『お陰さまで… 』と言う。
父に「何故いつも、お陰さまで…、としか言わないのか?」と訪ねたら、『同じ商
いをしとるもんに、”お客が来んで暇や”と言っても仕方がない。いくら嘆いても、
誰も助けてくれんわいね。だから”お陰さまで…”としか言わんことにしとる…』

「お陰さまで…」の由来については、致知8月号の五木寛之氏と稲盛和夫氏の
対談で、二人が語っている。

五木 『大阪の人は、「儲かりまっか」と聞かれたら、「お蔭さんで、まあぼちぼちでんな」 と答える。「お陰さまで」の「お陰」は、「御蔭参(おかげまいり)の「お陰」です。
御蔭参りは、伊勢神宮へ参ることです。ですから、「お陰さんで」ということは、「天地神仏のお陰、 世間様のお陰で商売はなんとか儲かっております」という大阪の礼儀を表している言葉なのです』
稲盛 『確かに「お蔭さんで」という感謝の気持ちは、優れた経営者は必ず持っていますね。 俺の才覚で成功したなどとは誰も言いません。「私は運が良かった」と謙虚に語る。つまり神様であるとか、 何かそういう大きな力の支援で成功できたのだと、自分のビジネスの成功をとらえておられる』

念のために広辞林を繰ってみたら、「おかげ参り」は、『江戸時代、父兄や主人の許しを得ず、旅費も持たずに家をぬけ出し、 沿道の人々から施しをもらいながら、伊勢神宮参拝したこと。「抜け参り」ともいう』とあった。

北陸ゼミは定員650名。七月中には申込者のめどが立つよう、皆様に参加のお願いををさせて頂いております。 沢山の方にご参加頂き、「お陰さまで!」と、早く言えるようになりたいものです。
そして、受講された皆様からも、「お陰さまで…よかった!」の嬉しい声が聞けるよう、準備をさせていただいているところです

 

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