« 足るを知る | メイン | 足るを知る-3 »

足るを知る-2

■「なにかあるのが世の中よ!」

二十日ほど前の177号で、女人禁制の話をしましたが、つい先日、京都で地下鉄に乗ったとき、うっかり男子禁制、 女性専用車両に乗ってしまった。
まさか、京都にも女性専用車両があるとは…! シマッタ!! 私以外はすべて女性。全く気づきませんでした。周りの女性も知らぬふり。 次の駅に着くまで、私も知らぬふりをして乗っているしかなく、デパートの女性下着売り場に間違えてまぎれ込んだような…、 内心恥ずかしさでいっぱいでした。

中村天風師の言葉に、「なにかあるのが世の中よ!」 がある。
本当に何が起きるかわからない…。 生きている以上、いろんなことが起きる。
起きて当たり前。何もなかったら生きている意味がない。いろんな出来事に出会ったら、もう一歩踏み込んで、「では、 どうしたら良い方に展開できるか」と、常にプラスの方向に頭を働かせていくことだと教えている。

【心と体の健康情報 - 148】
~幸せな人生を歩むために~
「足るを知る(2)」


人生、善いこともあれば、悪いこともあります。私は思わぬ不幸に遭遇したとき、「この程度で済んで良かった」と思うのです。 起きてしまったことを、歎いても仕方がないし、そのことのために、失うものがあっても、悔やんだり、 くよくよしたりしない性格のようです。

以下、「致知1月号」で、平成十三年に芥川賞を受賞した禅僧”玄侑宗久”氏と、聖心女子大学教授”鈴木秀子” 氏の対談の中からの抜粋です。

禅の世界にも「知足」 (足るを知る)という言葉がある。 「自分の身に起こることは、すべて偶然ではなくて、 起きることすべてに意味がある」と考えます。
私が日本人に生まれたのも、男子に生まれたのも、突然病気になったりするのも、 全部何か意味があることなのです。意味があって起きたのであれば、起きたことに過不足を思うこともないのです。
「生まれたときはみな裸、死ぬ時も又裸。何一つ持ってあの世には行けない。何を不足に思うことがあろうか」と… 』


”偶然は必然”、友人の新田哲夫氏から、「つきを呼ぶ魔法の言葉」という、 世にも不思議な運命を体験した人のメールをいただきました。感動と驚きの物語です。50ペ-ジの長文ですので、 時間に余裕があるときに、ゆっくり開いて読んでください。 >>ファイルをダウンロードして読む

禅の世界では、例えば何かの角に頭をぶつけたとすると、「痛い! 」と言わずに、「風流だね」って言う。痛いからって、 自分に腹を立てたり、 人に文句を言ってもしょうがないし、逆に人から「ボヤッとしているからだ」 なんて言われると、余計に腹が立ち、 痛みが増します。
ぶつかってしまった以上は、痛みがなるべく速やかになくなる言葉を吐くようにする。それが「風流だね」 なのです。

人生で起こるいろんなこと、バカバカしいこと、楽しいこと、悲しいこと、「それが人生だ」と達観して、 「何があっても今が最高!」と思うことだそうです。
今日は今日でしかない。「今ここに」なのです。
今日が最高なんだと、今この瞬間を喜び、こうして生かされてある命のありがたさを実感できれば、 すべてに感謝することができるようになり、何があっても素直に受け入れることができるようになるのです。

だから、「人生にピークがあって、年とともに衰えていく」という考え方をしない。
今日を最高に生きていけば、明日はもっと最高になる。「人間というのは、生きている限り高まり続けていく」 という考え方です』

例えば、私は今六十二歳です。「六十二年間待ちに待った最高のときが、今やって来た」 と考えるのです。
癌の病を克服した人が、「ガンは自分にとって素晴らしい贈り物だった」と言う。
ガンになったお陰で、「生きる喜びを知り、家族のあり難さを知り、身体について実に多くのことを学んだ。 食生活も改善することが出来た。すべてに感謝して生きるようになった」と…。

「すべて、良いことも悪いことも、自分にとって必用なことであり、人生を豊かに生きるために起こること…」と考えれば、 悩んだり悔やんだりすることにも意味があることになる。
常にどう変わるかわからない今を、尊く生きる人生でありたいものです。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)